2021年12月24日金曜日

デレク・ベイリーのインプロヴィゼーションの感想文 つづき

 さて前述の読書のからみで、書評とか論文あわせて3本にであった。

藤枝守さんはちょっと過激なミュージシャンで、大学の先生でもあるらしい。彼によると、ピアノの大量生産が平均律を生んだのだという。

平均律のゆがんだ響かない音程が音楽嫌いを生んできた。楽譜に書かれた音符をまちがわないで演奏することに気を取られその音程が実際にどのように響いているかということを忘れたような音楽教育が続いてきた。複雑性や構築性ばかりに目を奪われていた現代音楽の作曲家たちは、自分たちが前提にしていた音程が音響的に欠陥であったという事実を見過ごしている。

・・・という。うむ、納得できることばかりではないか。

つぎ。和泉浩さんはマックス・ウェーバーの「音楽社会学」を評してこういう。

ウェーバーによる音楽の合理化についての分析をとおして、西欧近代の音楽的要請じたいに内在する矛盾があきらかになる。それは調整という理想のもとに、和声的合理化と感覚的合理化という対立するふたつの合理化をとおして形作られてきたからである。

マックス・ヴェーバーが音楽社会学なんて文章を出していたのをはじめて知った我輩だ。和泉さんはピアノの大量生産=>平均律の成立なのではなく、矛盾はそもそも内在していたのだとヴェーバーをネタにいうのである。論文のネタとしてはおもしろいけれど、たいして読みたくない。

大垣俊一さんは藤枝守さんの「響きの考古学」について、平均律が採用されたのはなんらかの必然性があったからだろうと推察している。

十字軍はそれぞれの国内に鬱積していた矛盾と不満のはけ口としてのものだから、必然性といえば必然性だ。「賢王」アルフォンソがトレドの書庫でみつかった大量のアラビア語文書をラテン語に翻訳させ、その事業がおわったとたん翻訳者のユダヤ人たちに改宗か追放かを迫ったという。これは西欧のルーツがギリシャ・ローマに直結しているというフィクションをでっちあげ、証拠を隠滅し、ギリシャ文化の仲介者がアラブ人だったことを隠したい意図がありありと見てとれる。それも必然なのだろうか。それから数百年にわたって、欧州のあちこちでユダヤ人を迫害し、殺したのも必然性というか。そしたら今のイスラエルがパレスチナを抹消しようとしているのも必然性になってしまう。

平均律の成立と敷衍は、当時の西欧が偏執的に追求していた、西欧文明のルーツはギリシャ・ローマだとしたい意図があって、中世キリスト教世界が他ならぬギリシャ・ローマの合理性を弾圧した歴史を隠し、アラビアが仲介者だったという事実を抹殺しようという、権力者はじめ集団的な意図がはたらいていた、そのひとつの発露であると思う。

与えていえば、要素を抽出し、純化し、それをあらゆるものに当てはめるという社会的雰囲気の発露であること。しかしその過程でユダヤ人のような不純物、アルメニア人のような中間者を弾圧してきたのだから、好意だけで考えることはできない。

大垣さんは上記著作から藤枝さんの言葉を紹介している。それは、あるとき琴を純正調で調律してみたところ、「琴の胴体が自然に鳴りはじめ」て驚いたという。・・・ピアノなんてばかでかい共鳴箱なのだから、純正律で調律したらどんな音になるのか聞いてみたいものだ。

我輩が思うに、平均律はピアノの大量生産という工業的な要請だけを背景に成立したものではなかろう。「平均律の和音なんて美しくない!」と抵抗した(非ユダヤ系)ミュージシャンもたくさんいたはずだ。いやひょっとして、平均律に抵抗したからユダヤ人とかジプシーは追放されたんじゃないか?



インプロヴィゼーション 著者: デレク・ベイリー

 工作舎 2300円


新品同様のきれいな本が岡谷のブッコフで200円だった。即買い。

翻訳の日本語もあんまりうまくないし、難解っぽかったので、寝るまえに読むには最適かと思量した次第。

読みはじめてとてもおもしろかった。内容はさまざまなジャンルのミュージシャンへのインタビューが基本になっている。

まずインド音楽。レッスンは師匠のまねをすることからはじまる。

インプロヴィゼーションの要素があるとすれば、ラーガのフィーリングを尊重しつつ演奏するのが結果的にそうなっている。とても自然なアプローチだと思う。

つぎはフラメンコ。ギターと歌と踊りがそろってはじめてフラメンコといえるのだそうな。知らなかった。ここでもインプロヴィゼーションは、俺様的アプローチではなく、曲に身をまかせることで高みに到達するものである、と。

そのつぎがバロック音楽。17〜18世紀というから比較的新しい。その成立にはインプロヴィゼーションが深く関わっていたのだが、後世(といってもこの200年くらい)になって固定化され、死体同然になった(と筆者の暗喩)

つぎに教会オルガン音楽。まいどまいどの礼拝にオルガン奏者はちがう素材でちがう演奏を提供するので、「速く考えられる」ことが求められるという。ジャズだけどジョーイ・デフランチェスカなんてめっちゃ指が早い人なので、忠実に伝統を引き継いでいるということなのだろうな。

そしてロック。このへんから何をいいたいのかよくわからなくなってくるのだけれど、文意はまだ理解可能。

つぎに「聴衆」という章があって、音楽は演奏する人と聴衆のインタラクションであるということが難しく述べられる。このへんで眠くなる。うん、いいぞ。当初の目的どおりじゃないか。

つぎにジャズ。ジャズは様式が固定化されたので、「ブラック・クラシック音楽」という呼称がいいんじゃないかと著者はいう。

まったくそのとおりで、ウィントン・マルサリス一派がでてきたころからジャズはチェンバーミュージック化し、地下酒場よりもリンカーン・センターが好まれるようになった。マルサリスが悪いのではない。マルサリスはマイルスの危惧を加速しただけなのだ。我輩はそれ以来、チャーリー・ヘイデンかパット・メセニー、あるいはマイク・スターンか死んだボブ・バーグしか聞いていない。

つぎの章が現代音楽。本のちょうどまんなかへん。このあたりから何が書いてあるか、読んでいて理解不能になる。

どっかの章の最後に書いてあったのだが、未来のインプロヴィゼーションというのは、あるジャンルで天才がすばらしい仕事をする、あとはしばらくみなが追従する。そういうかたちになるだろうと、あるミュージシャンが言っていた。

そのとおりだ。

ジャコ・パストリアスが出てエレクトリック・ベースの弾きかたが変わってしまった。あとはあの偉大なリチャード・ボナ様ですら、テクニックと完成度でははるかに上をいっているにもかかわらず、ジャコではないのだ。

2021年12月14日火曜日

イーブラヒム・アッザームとサイモン・シャヒーンの夕刻セッション

https://www.youtube.com/watch?v=JASfmtnd3Fs

 どっかの居間に20人くらい集まり、リラックスして音楽を楽しんでいる。

中心は(本来)ボーカルのイーブラヒム・アッザームと(本来)ウードのサイモン・シャヒーン。サイモン・シャヒーンがとてもいい感じでウードを弾くのが04:30〜06:26あたり。

それからしばらく見ているとなんと、サイモンシャヒーンがバイオリンに持ち替えて、プロ級の演奏で30分くらい延々とセッションしている。そうこうするうちにイーブラヒームがバイオリンをもってつまびきながらハビビの歌を歌ったりしている。まったくこの人たちの音楽的教養というか、音楽的素養はじつに奥深いものがある。ほんとうの意味でのアーティストたちだ。

聴衆とアーチストの距離がこんなにも近く、みな酒もなしで純粋に音楽を楽しんでいる。じつにすばらしいことだ。

2021年12月12日日曜日

マイケル・ハドソン教授のスーパー・インペリアリズム

 たしかスコット・ホートンの反戦ラジオでこの人のインタビューが出ていて、この本のことを語っていた。我輩にとってマイケル・ハドソン先生の本は2冊め。1冊めはジーザス・クライストが高利貸しの爺さんをボコっている絵が表紙の本で、借金から考察する歴史の本。2冊めがこれで、エイブ・ブックスから届いたばっかりでまだ読んでいない。

けれどなんで興味をもったかというと、インタビューでハドソン先生がこんなことを言うんだな。

「アメリカ人は家を買って、その家の資産価値があがったら喜んでいる。自分たちが豊かになったわけでもないのにね。中国人は家の値段が下がって、若い人たちが家を買えるようになったことを喜んでいる。どっちが豊かなんだろう?アメリカでは株価や不動産価格を上げるのが経済政策として成功だと思われている。中国ではより多くの人が家を買えたり、給料があがったりするのが政策の成功だと考えられている。」

ラディカルというのは根源的という意味があるそうだが、シンプルだけれどこういう根源的な考え方をする経済学者が世界のどっかにいる、というだけで嬉しいじゃありませんか。



2021年12月1日水曜日

若いウード弾きの名手Ahmed Alshaibaが西欧のヒット曲をカバーしている

 https://www.youtube.com/watch?v=ddoUBC1qrgg

若いウード弾きの名手が西欧のヒット曲をウードでカバーしている。聞いてみたら、期待に反してあんまりおもしろくなかった。

なんであんまりおもしろくないかというと、そのへんの理屈は(たぶん)松田嘉子さんがarab-music.comで解説してくれている。(竹間ジュンさんかもしれない)

http://www.arab-music.com/theory.html

いわく、西欧の音楽の旋法は短調と長調のふたつしかなくて「さっぱり」している。そのかわりを和音が受け持っていて、つまり和音のバッキングでバリエーションをもたせている。

和音を伴わない西欧のメロディーだけを単音で弾くと、よほど思い入れのない曲でもないかぎりあんまりおもしろくないと、そういうことだ。若い時に聞いた音楽は、どこでどんなシチュエーションで最初に聞いたのか、はっきり思い出すことができる。歳をかさねて思い入れのない曲を聞いたところで、あんまりピンとこない。

あとは歌詞。「深夜食堂」で有名になった福原希己江さんの「できること」を娘がギターで弾いていて、「なだそうそうのコードだよ」と言う。娘もギターで弾いてみるまで気づかなかったし、我が輩も指摘されるまでぜんぜんわからなかった。歌詞がちがうからだな。

何十年もいろんな音楽を聴いてきて、この歳になってアラブ音楽をしみじみ聴いているのは、メロディーの豊かさに魅力を感じているからなのだろう。


2021年11月3日水曜日

A=432ヘルツのピアノ

 10月最後の日曜日に原村の清水閣下の豪邸を訪問したら、隣の豪邸でなんかイベントをやっていた。パステル画の展覧会と、432ヘルツのピアノでショパンを弾くのだとか。

なんだかわからんけれどハイソな雰囲気っぽいのでその話を聞かなかったふりをしていたのだけれど、閣下が「のぞいてみませんか」というのでしかたなくご一緒した。

やっぱりハイソな人々が集っていた。我輩はなんで432ヘルツなのか興味があったので、ピアノをちょっとだけ触らせてもらった。その響きがなかなかよろしかった。

ふつう440ヘルツを432ヘルツまで落とすには、たんに緩めればいいというのではなく、弦を張り替えなければならないのだそうな。そこまでしてチューニングしたのは、「432」というのに半端ない思い入れをもっている人たちがいるということなのだ。

そのピアノの音色はとても落ち着いている。たとえばニューヨークでピッツアとステーキとクリームチーズばっかり食べていた日本人が、納豆汁と糠漬けと玄米飯とサンマを食べたときのように、しっくりくるのだ。

かといって、いままでたんにうるさい音楽だとおもっていたクラシックを432ヘルツで聞きなおそうとも思わない。我輩は(広義の)アラビア音楽という、もっとしっくりくる音楽を見つけたのだから。

ニューエクスプレスプラス ペルシア語 浜畑祐子 白水社  つづき

 まえに標記の本について書いたのが2020年の12月。そのころすでに6週間くらい取り組んでいたので、2020年の10月ごろには勉強をはじめていたのだろう。

いまは2021年の11月。ほぼ1年かけて19課まで進んだ。なにをもって「進んだ」というのかといえば、フレーズを理解して丸暗記したというのを一応のベンチマークにしている。

丸暗記しようと思ったのは、学生時代の外国語劇の経験が大きい。そのときはよくわからない台詞も丸暗記できたのだ。丸暗記して1年くらいたってから、「こういう意味だったのか」と理解したことはなんぼでもある。丸暗記もわるくない。

だもんで、今でもできないことはなかろうと考え、やってみたら案外イケるもんだ。はじめのころは仕事をしている途中にいきなりフレーズが浮かび、「いったいどういう意味だっけ?」なんてことはしょっちゅうあったけれど、いまとなっては教科書のどのへんにあったフレーズなのか、見当がつくようになった。

あとまた第20課が残っている。主人公のミナさんが空港でハミード君に別れを告げるシーンで、なんとなくしんみりしてしまう。だからまだ手をつけていない。

大学の卒業式を思い出してしまう我輩だ。

2021年10月3日日曜日

街道をゆく19 中国・江南のみち 司馬遼太郎

 満州族が明朝を倒したとき、漢人が大挙して日本に亡命した、とある。

「明人の亡命者が多く日本にきた。水戸藩の水戸光圀によって保護された儒者朱舜水や、黄檗宗というあらたな禅宗を京都郊外の宇治で興した隠元などは著名である。」云々。

それで思い出した。我輩が大学にはいったころの学長は林雪光(りんせっこう)という学者だった。彼こそ黄檗宗の後裔であり、中国語のみならず黄檗宗の研究で数々の著作がある。

ある先輩いわく、「(林雪光先生のばあい)じぶんの家の書庫でみつけた本を研究したら学位論文になる」と。プライベートな書庫なのだから誰も見たことがない本がたーんとある、そんな特権階級と競争しなければならないのが中国語の歴史文法研究の世界なんだ、と。

ドライブをしながら内儀が尋ねたもんだ。

「もういっかい若い時に戻れたら、やっぱり最初の会社を辞めるの?」

「いや、もういっかい戻れるとしたら、学生時代にもどって、もっとまじめに勉強するんだ。」

「まじめに勉強してたんじゃないの?」

「うん・・・、成績とか順位とか、そういう他人の評価・・・世間の評価みたいなもんをちょっとは気にしながら勉強するっていうことかなあ。でもそうだったら俺じゃないよな。」

閑話休題、ちゅうかこのブログはぜんぶ閑話なので別の閑話。

寧波をうろうろして地元の人の話を聞くとわかってくるのだが、蒋介石という中国共産党の仇敵、いわば中共にとって国賊の蒋介石は寧波出身であって、したがって寧波人には絶大な人気がある。「蒋介石って寧波語でなんていうの?」「ぢゃーがいせく。」と誰もが誇り高くいうのである。寧波とか上海とか、浙江省のあたりの地場の言葉は音節がきわめてみじかく、機関銃のようなスピードで話す。司馬遼太郎さんは浙江語と我が国の漢字の呉音を比較していらっしゃるけれど、お経に多い呉音の、特にくねった音のおおいまったりさと、現代浙江語の機関銃のようなスピードはぜんぜんイメージが異なる。そのへんはまったく書かれていない。

2021年9月26日日曜日

街道をゆく20 中国・蜀と雲南のみち 司馬遼太郎

「司馬史観」というのはようするに、日露戦争の203高地攻略で1万5千400人の死者と4万4千名の戦傷者を出した乃木大将を無能だったといって憚らなかった司馬遼太郎のことを批判する言葉である。司馬遼太郎自身がいうように、「大阪外国語学校でモンゴル語をまなび、自分をモンゴル人だと思っていた」若者が徴兵され、「関東軍に属し、満州の四平にあった陸軍四平戦車学校で教育を受け、そのあと東部国境に近い石頭という村落にある戦車第一部隊にいた。」その経験と、関西人らしい中央に対する天然の反抗心のままに、昭和天皇はじめ戦争犯罪について描き出すのに耐えられない人たちが言い出したことなのだろう。

司馬遼太郎はそこまで描いていないと思うのだが、化学者としての昭和天皇はみずから関わってつくり上げた731部隊の研究成果を差し出してマッカーサーに命乞いしたこと、安倍晋三の祖父・岸信介は盟友・里見甫とともに、満州傀儡政権の財政を支えた阿片取引のノウハウと、それで得た巨万の富の一部を上納することで助命され、それのみならず戦後政界の重鎮になったこと。司馬遼太郎がいまの情報自由化、文書開示の時代まで存命だったらと惜しまれるのである。

前述したように司馬遼太郎は大阪外国語学校(のちの大阪外大、現在の大阪大学外国語学部)でモンゴル語を学んだのだが、本人が標記の著作でいうように、「解放前に中国語を学んだ」すなわち大阪外国語学校時代の第二外国語として中国語を学んだ。だから中国語の聞き取りと簡単な会話ができるようだ。じっさいに通訳を介しながらも、市井の茶館などで庶民と交流している現場が想像できて楽しい。とくに最後のあたりで元老兵のことばは圧巻で、なまの言語を理解するものだけが描写できる迫力に満ちている。

ーーー 「うまいんだ。聴きにこないか」と老兵は、いった。

「第二外国語でそこまでできるわけがない」という人がいるかもしれない。しかし今の、あるいは我輩が学生だった40年前の第二外国語のレベルと比べても、司馬遼太郎や陳舜臣が学生だったころのレベルとは格段に異なることを書いておきたい。

陳舜臣は司馬遼太郎とたしか1年違いの同窓である。司馬遼太郎はモンゴル語、陳舜臣はインド・ペルシア語学科である。この「インド・ペルシア語」という括りに注目してもらいたい。現代的にいえば、イランのペルシア語と、パキスタンのウルドゥー語、インドのヒンドゥー語をひとまとめにしているのだ。パキスタンのウルドゥー語とインドのヒンドゥー語は、表記される文字は異なるとはいえ、話し言葉としてはほぼ互換性をもつ同一言語といっていい。しかしヒンドゥー・ウルドゥー語とペルシア語は印欧語族という同じグループに属するとはいえ、我輩がまなんだ限りではまったく違う言語である。それをひとまとめにして教え、訓練されたうえに、第二・第三外国語があった。それらを吸収してしまう当時の学生のレベルの高さを思うべきだ。ちなみに当時は、我輩の頃でさえそうだが、インターネットやYouTubeはない。

それはなにも司馬遼太郎・陳舜臣のころだけではない。我輩の5歳くらい年上の世代の東京外大には「ダッチ・インドネシア語学科」というのがあった。インドネシアはオランダに350年間支配されていたので、インドネシア語にはオランダ語由来の語彙が多量に流入している。とはいえ、オランダ語という低地ドイツ語と、オーストロネシア語であるインドネシア語を、インドネシア語の文法がいかに簡単とはいえ、いっしょくたに教え込まれたのである。それを受け入れた当時の学生のレベルの高さを思うべきだ。

たとえば、中国・タイ・チベット語学科なんてのがあって、中国語とタイ語とチベット語をいっしょに叩き込まれる、あるいは朝鮮・モンゴル・トルコ語学科なんてのがあって、複数の同族言語を同時期に同じ比重で教えられる、そんな感じといったらいいだろうか。タガログ、インドネシア、マレー、ベトナム語をいっしょくたに、もしくはタイ、ビルマ、ラオ語を同時に、みたいな。

さらに司馬遼太郎は戦後、産経新聞の記者をやっていたので種々雑多な分野に旺盛な好奇心をもっている。たとえば標記の本にはこんにゃくや家屋に関する記述があって、そこまで拘泥するかというくらい細部を観察し追求している。また竹の分類まで問題にしていて、室井綽先生の研究を引用している。室井綽先生は大学の一般教養で生物学を教えてもらった縁があり、いわば「謦咳に触れた」といえばいえるのだが、この本で名前を拝見してたいへん懐かしく思った。しかし竹の研究についての著作に触れたことはない。

2021年9月10日金曜日

忘れられた日本人 宮本常一 岩波文庫

江戸末から明治にかけて生まれた世代の、老人たちの語りを記録した本。文字をもたなかった人もいれば、文字を使っていた人もいる。たいへん興味ぶかい。とくにちかごろアフガンあたりのことをずっと考えているので、刺激的である。

愛知県北設楽郡設楽町という場所で採集された老人たちの話のなかで、小笠原という女性がこう語る。

「もとは一軒ごとにヒマゴヤがありました。」

「(月の)さわりがはじまるとそこにはいって寝起きもし、かまども別にして煮炊きしたものであります。いっしょに食べたのでは家の火がけがれるといって。しかしわたしの15歳の頃にはだいぶすたれました。それも車の通る道のできたためかもわかりません。この山のむこうにある宇連というところにはつい近頃までヒマヤがありました。」

「このあたりでは、ヒマヤは早くなくなりましても、月のさわりのときは、仏様へお茶湯をあげることもならず、地神の藪へは12日間もはいってはいけぬことになっておりました。」

「女はヒマヤのときは男の下駄をはいてもいけないものでありました。いまでもわたしらのような年寄りは腰巻きは日のあたるところへは干しません。また腰巻きをひろげて干すこともありません。わたしのうちの若い嫁なのそういうことはしませんが、わたしは自分の気がすみませんけに、自分のだけはかげに干しております。」

https://goo.gl/maps/KmCL5xt8HWmJ5HoQ8

こういう話に触れると、タリバンの考えかたが身近にみえてくる。しかし「車の通る道」ができると、住む人の考えかたがぼちぼち変わってくるというのである。

「安房トンネルができてから、飛騨高山を訪れる人が飛躍的に増えました。」と語ってくれたのは、石川県羽咋郡志賀町の宿のおやじさんである。この人は若いころ船橋と羽咋をずいぶん往復したらしい。安房峠というのは長野県松本市と岐阜県高山市の境界で、じっさいに我輩は安房山の峠道を何度か往復したことがある。積雪や路肩崩落のため通行止になることもふつうにあって、トンネルなら季節天候を問わず数分で抜けることができる。このトンネルができたのは1997年、たった24年前である。

伊那谷と木曽をむすぶ権兵衛トンネルができたのは2006年、いまから15年前である。土地の人は「権兵衛トンネルができてずいぶん便利になった」という。それまでは権兵衛さんが開拓した峠道しかなかったのだが、トンネルであっというまに行き来できるようになった。近代日本でも土地の人々はトンネルの威力を肌身で知っている。

アフガニスタンの山にトンネルを穿って人とモノが行き来するようになり、100年も経てばさすがに女性の地位は向上するのではないか。カーブルですら標高1800メートルなので、簡単な工事ではないだろうけれど。

1936年(昭和11年)、甲子園で「躍進大日本博覧会」があったというのをこの本で知った。我輩の死んだ父が11歳のとき、両親が離婚して貧困のどん底に喘いでいたころである。

古い考えかたをする男たちを空爆しても、無線機をもっている男をドローンで発見しミサイルで爆殺しても、タリバンを増やすだけだった。それよりも道路を整備し、トンネルを穿ったほうが、遠回りに見えるようでいて、人々の考えかたや行動様式を内側から変えていく力になると思う。

アフガニスタンはピースコーの初期派遣国のひとつだが、ピースコーはいったいなにを見て、なにを学んで帰ったのだろう?


2021年8月24日火曜日

スイスの時計コンクールでセイコーが優勝しそうになるまえにコンクールそのものが消滅したこと

セイコーがスイス天文台クロノメーターコンクールに挑戦を開始したのは1964年。1967年に企業賞で第2位になり、翌年には優勝が射程にはいってきた。しかしそのタイミングで100年続いた「コンクールが取りやめになった」と、セイコーのプロジェクトを率いたチームリーダーだった師匠が淡々という。

https://museum.seiko.co.jp/seiko_history/milestone/milestone_04/

オメガやゼニスやロンジンなどスイスのメーカーとしては、日本のメーカーに優勝させるわけにはいかなかったのだろう。セイコーとしては自分らの技術を高めることができればそれでいいのだ、ということなのだろうが、そこに文化の決定的な違いがある。

欧州では、勝たなければ意味がない。それは欧州が、ちょっと油断して背中を見せたら刺され、土地を奪われ、水を絶たれ、殺され、略奪された歴史を背負っているからだろう。翻って日本は四方を海で守られ、農耕技術も工芸技術もゆったりまったりと蓄積することができた。武士道も葉隠のようにまったりと熟成することができた。

国のいつもどこかで戦国時代みたいなことが行われていたら、そうはいかなかっただろう。欧州では地続きのどこかでいつも戦争や略奪があった。なんとしてでも勝たなければ殺され、どんな汚い手段をつかってでも生き残らなければならない。

日本人が優勝しそうだから100年間続いたコンクールをやめてしまう。そういうことなのだ。 

ヒルティとかダボス会議のこと

 前々回のブログでヒルティのやりかたについて書いた。そのつづきである。
いまから10年ほどまえの2010年ごろ、我輩がヒルティについて調べていたとき、ヒルティが自社株を買い戻して非公開の株式会社になったのを知った。日本でいえば自分らから非上場になったということだ。
上場企業であればいろいろと情報公開をしなければならない。おそらくそれを嫌って、非上場のファミリー企業に逆戻りしたのだろう。博士号所持者を100人とか200人とか雇い、学校までもっている世界的規模で展開する企業が、ファミリー企業になったのだ。
これでヒルティについて調べる途は閉ざされてしまった。

さてそのついでに思い出したのが、ダボス会議のこと。
じつはダボス会議のオーナーもファミリー企業である。今でこそメジャーな存在になったけれど、いわば諏訪の源さんとこの建設会社が金持ちの若旦那を招いて会費制でリゾート地で会議をやった、そんなレベルから始まり、営々と努力して(おそらく優秀な広告代理店など雇って)今日の隆盛を築いた。


コルベット・レポートによると、もともとその会社はオヤジさんの代に、ヒトラーのナチスの出入り業者として大きくなったとのこと。だからビル・ゲーツなんかが参加して(もちろん非白人の)人口抑制について語るのはごくごく自然のなりいきということができる。
人口抑制とか人口削減というのは現代的な用語で、ちょっと前までは優生保護、つまりメンデルにはじまる優れた種を残したらええんやという理屈と、このまんま人口が増え続けたら地球環境がもたないということをいっしょくたにする議論である。その裏側には必ず劣勢断種、障碍者や性的少数者を殺すというまさに現代版ナチズムの考えかたである。

ISOもそうだけど、欧州はルール作りをビジネスにするのが得意だ。自分らがつくったルールを世界中に輸出して、ISOにのっとって情報公開しましょう!なーんていう。そして自分らは非公開のファミリー企業としていろんなことをやっている。 

魯迅のように「フェアプレイはまだ早い」というべきだろう。

2021年8月23日月曜日

陳舜臣 紙の道

 陳舜臣さんがタラス河畔の戦いについて書いていたのは、紙の道という短い文章だったと思う。陳舜臣さんは大阪外大のインド・ペルシア語の出身なので、西域の言葉と中国語ができるという稀有の人である。

そのタラス河畔なのだが、陳舜臣さんの文章にもウィキペディアにも書いていなかったと思うのだが、標高が1300メートルくらい。つまり諏訪でいえば、原村の別荘地の清水閣下の家のあたり。

とはいえ、標高というのは相対的なもの。拙宅も、関西でいえば六甲山のてっぺんくらいの標高なのだが、そんなに高く感じない。タラス川といっても、4000メートル級の山々に囲まれていれば、ただの盆地という感覚だろう。

諏訪湖は標高730メートルだけれど、富士見から盆地に降りていくという感覚になる。

そんなもんだ。

Rethinking water in central asia

 https://carececo.org/Rethinking%20Water%20in%20Central%20Asia.pdf

中央アジアのアムダルヤ流域についてスイス政府の支援で書かれた報告書。100ページくらいあるのに、なんとアフガニスタンに言及しているのが数箇所しかない。

なんでかというと、アフガニスタンはずっとごたごたしているので、技術援助をやりにくいからだろうな。ポイントは技術援助。つまりヒルティ(ルクセンブルクの会社だけどドイツ語世界)とかそのへんの欧州企業が中央アジアを取り込みたいということだ。生臭すぎる。

ヒルティがあるルクセンブルクは、中央アジアのウズベキスタンとおなじく二重内陸国。つまり隣の国も内陸国で、2カ国以上を経由しないと海に出ることができない。だからといってルクセンブルクやヒルティがウズベキスタンに同情とか共感を寄せているということではもちろんないと思う。

ヒルティはタイランドのスワナプーム空港の施工を請け負った。そのときの入札価格は競合他社の7倍。7倍もの値段なのに落札しちゃったのは、もちろん裏で金が動いたから。スワナプームはメンテナンスにもヒルティ製品を使わざるを得ないから、ずいぶん高くつくだろうな。

そのころだったと思う。ヒルティが中国の深圳にでっかい工場をつくった。スイス製のハイドロマットという、ひとつ15億円くらいする(アタッチメントを含めたら30億円くらい)加工機会を150台くらい入れたらしい。そのマシンていうのが性能がすごいだけじゃなくて、コントロールはすべてヨーロッパの本部から行うことができる。原材料をつっこんだら、ほぼ最終製品の形になってぽこんと出てくる。あとは熱処理とメッキをするだけ。それで製品をつくり、プロジェクトがおわったら150台のマシンをすべて破壊して去った。

おそらくスワナプーム空港に使われた製品をつくったのかな。ソフトウェアもコントロール機能もすべて欧州にしかないから、ハードウェアを壊したあとにはノウハウも何も残らない。残さない。

欧州というのはオシャレな貴族ヅラをして、アジアとかアフリカでは、そんなえぐいことを平気でやるのだ。

AFGHANISTAN AND TRANSBOUNDARY WATER MANAGEMENT ON THE AMU DARYA: A POLITICAL HISTORY

AFGHANISTAN AND TRANSBOUNDARY WATER MANAGEMENT ON THE AMU DARYA: A POLITICAL HISTORY

Stuart Horsman

https://citeseerx.ist.psu.edu/viewdoc/download?doi=10.1.1.590.7807&rep=rep1&type=pdf

アムダルヤという川はヒンドゥークシの標高4900メートルに源流を発した川が合流し、アフガニスタンとタジキスタンの国境を流れ、さらにトルクメニスタンとウズベキスタンの国境を流れ、アラル海に注いでいた。

標記の論文はアムダルヤと流域国の経緯についてわかりやすく書いてある。

ポイントのひとつは、旧ソ連国がアフガンをなぜかハミゴにしていたこと。確かにアフガンは1979年のソ連侵攻以前からずっとごたごたしていたし、それ以降いまに至るまでずっとごたごたしていたので、流域問題に関われなかったということもある。しかしそれだけでなく、上流だから余裕をカマしていたのもある、と指摘されている。

たしかに。水問題では上流は下流に対して圧倒的に優位に立つ。下流としては(中国がチベットにしたように)軍隊で攻めあがって占領するか、下流の地位に甘んじるしかない。

いまのアフガンの国内問題もそうだが、北部のクンドゥズのあたりは上流なので、カーブルのみならずイランに対しても優位に立っているのである。

2021年7月27日火曜日

ロシア・ソ連を知る辞典

ソ連が崩壊してかれこれ30年以上。この本の続編として「ロシアを知る辞典」というのがあるのだが、高価で、おまけに中古ですらめったに出回らない。しかたがないので古いほうを手に入れて月子が読んでいたのだが、このたび「ロシア」のほうが格安で手に入ったので、「ソ連」のほうをひきあげてきた。寝る前にベッドで少しづつ読んでいるのだが、とてもおもしろい。とくに「チェゲムのサンドロおじさん」の舞台であるカフカーズのあたりの言語や文化など興味が尽きない。



2021年7月20日火曜日

そうか、君はカラマーゾフを読んだのか

 富士見町の図書館で見つけた。なんとまあカジュアルな感じの本で、ドストイエフスキーをまじめに研究している先生がみたら怒るんじゃないか、と考えつつ借りてきた。家に帰ってよくながめたら著者はなんと、我が国のドストイエフスキー研究の第一人者である亀山郁夫大先生ではあーりませんか。もと東京外大の学長。

月子に「こんな本みつけてんで」と見せたら、「仕事も人生も成功するドストエフスキー66のメッセージ」というキャッチフレーズを見て、「仕事とか人生とかの成功ってそもそも何なのか?という問いかけをしたのがドストエフスキーであり、文学じゃないのか?」なんてコメント(趣意)が返ってきた。

この本で知ったんだけれど、ドスやんは40歳のころ博打で身上をスッたり、流刑先のシベリアで税官吏の人妻に恋をして、その税官吏は病気かなんかで死んじゃったんだけれど、美人妻はひそかに恋していた学校の先生といっしょになってしまい、けっきょくドっさんは片思いで終わってしまいましたとさ。おまけにチェーホフ(だったと思う)に「あんなやつはロシア文壇のカビだ」と罵倒されたり。まさに「どこが仕事も人生も成功やねん?」と突っ込みたくなる存在である。

だからこの本は、ウォッカでよっぱらった亀山大先生の話を聞くようなつもりで読んだらいいと思う。亀山先生は佐藤優とウォッカの飲み比べをしたことがあって、完全に負けたらしい。だから亀山先生は、佐藤優を高く評価している。「超人的な知性と知力と肝臓」みたいな表現で。たしかに佐藤優の著作量と、それを支えている読書量はたいへんなもんだと思う。けれど、その知力と知性と肝臓をもってして、つねに情勢判断を間違えているところがおもしろい。そもそも外務省職員のときにアホな罪で捕まったり、さらに何年か前から池田大作と創価学会をやたら持ち上げているところなんかを見ても、情勢判断を致命的に誤るのは福運がないとしか言いようがない。

そもそも亀山先生が孫正義のことを褒めているあたりから興醒めしてきて、このおっちゃんはたんなるヨッパライ感がただよってくる。でも研究者としてとことん悩んだであろうことでもあり、フレーズを抽出するところは訳者ならではの芸だと思う。読んで損はない。



2021年7月4日日曜日

ウイグル族

 バイデン政権が旗をふって中国政府によるウイグル族弾圧を糾弾しましょ、という流れになっている2021年7月上旬の状況である。我輩の考えていることを備忘録として記しておく。

日本にはウイグル族が2000人くらい住んでいるらしく、なかには帰化している人もいる。そんな人たちが、ウイグルの親族と連絡が取れないとか、中国公安に監視されているというのは事実なのだろう。中国政府はそんなことをウイグル人とか少数民族に対してだけやっているわけではなく、香港とか台湾の民主主義人士にも同じようなことをやっていると思う。そんななかで、ウイグルだけ取り上げて云々するのは西欧の内政事情によるものだと思う。

だいいちジェノサイドっていうのなら、アメリカが応援しているサウジによる経済封鎖で餓死に瀕しているイエメン人はどうなるのだ?国連関連機関ですら「数百人の子供が餓死に瀕している」といっているのだから。

それについて言及しておくと、国連の安保理事会かなんかのボンクラはイエメンに対し「無条件降伏」を提示したままらしい。戦況はイエメンのフーシに有利に展開しているので、勝っているほうに無条件降伏を提示するという無能さだ。これはもちろんアメリカ政府がメンツを保持するためにボンクラを動かしたのである。どの口でジェノサイドだ?ということだ。

もっとも中国の外交は内政(のインスタントな反映)であるという名言もあって、中国も欧米も同じ穴のむじなということができる。

ウイグル族はトルコにも2万人くらい逃げて暮らしているらしく、さいきんのトルコがチャイナマネーの影響でウイグル族を捨てるんじゃないかと危惧されている。トルコだけじゃなくて我が国政府もチャイナマネーに弱いのは同じなので、ここにも同じ穴のむじながいるわけだ。

中国政府に虐待された人の中には中国国籍でもウイグル人でもない人たちがいて、カザフスタンの人がホタンかどっかに商品の買い付けをしに来ていて拘束され、拷問されたと言っていた。強制堕胎も見たらしい。

香港でもイギリスの大学とかアメリカ政府に資金をもらって活動している民主人士もいるし、例の「ウイグルの母」もCIAの支払い先リストに載っているという話もある。ウイグル自治区はレアメタルが豊富なので中国は手放したくないはずという話がある。しかしレアメタルの上に暮らしている人々を強制収容所にほうりこんで(2000万人のウイグル人のうち労働人口の数百万人を拘束するか?)強制労働させるというのも非現実的で、それよりもその人たちにレアメタルを掘らせて給料を支払って生活水準を向上させたほうがいいに決まっている。

我輩の意見の根拠をざっくりまとめると、ひとりっこ政策時代の中国でも優遇されていた少数民族が、いろんな意味で漢人なみの扱いを受けるようになった。(ひとりっこ政策については漢人が少数民族なみに解禁された。)それは西欧から比べたらレベルは違うかもしれないけれど、それプラス共産主義ゆえのきびしい宗教事情(チベットに対しても同様だけれど西欧はなぜかチベットのことをあげない)なんかも加わって、いままでゆったりまったりとやってきた少数民族優遇策とイスラム宥和策をやめて、漢人なみにきりきり働けよ、というふうになった。だいたい漢人向けのひとりっこ政策をやめるくらい人口年齢構成がやばくなってきたのだから、ウイグル族(でもチベット族でも)だからといって労働人口の何十パーセントを強制収容所にいれるなんてありえないじゃないか?

ウイグル族は、われわれは漢人ではない!と言いたいのだと思う。それはそのとおりで、でも中国はレアメタルの眠るウイグル自治区を手放さないだろう。CIAなんかがちょっかいを出さないところなら、なんとか折り合いをつけるようになるんじゃなかろうか。


天国に行きたかったヒットマン

ヨナス・ヨナソンによるスエーデンの娯楽小説。この人は「窓から逃げた100歳老人」という娯楽小説がそこそこ売れたので、続編じゃなくて違う趣向で書いたのがこの小説。

ネタバレになるのであらすじはおいとくとして、ディテールがおもしろい。

「くそったれボルボに乗ってくそったれの家に帰ってくそったれイケアのソファでくつろいでやがれ、くそったれ」というような(趣意)罵倒がでてくる。ダイナマイトは出てこないのだが。

さらに、こんな歴史が紹介されている。

< スウェーデンはかつて、福音ルター派の国教会が国を統治していた時代があった。ほかの宗派を信じることは禁止、なにも信じないことも禁止、それと正しい神を誤った方法で信じることも禁止されていた。>

へえ?というような歴史じゃないか。欧州というのは狭いところにいろんな言語のいろんな民族が住んでいて、それがほとんど地続きなので、ちょっと油断して背中を見せると後ろからぷすりと刺されるような歴史を繰り返してきたのだろう。そんななかで競争してきた人たちが科学技術を手に入れ、世界征服をした。いかにもモダンな顔をしているけれど、それは上に述べたような歴史があって、30年戦争みたいな流血をさんざんやって、一神教の無意味さに気づいて近代がはじまった。

この「地続き」という恐怖の感覚をぜひ知りたい、と思うのだ。だからいろんな小説を読むのがおもしろい。

2021年5月16日日曜日

世界屠畜紀行 内澤旬子 解放出版社

 自分らが食べる肉や本を想定する獣皮がどこでどうやって誰の手を経てもたらされるのか、卓越したイラスト力と、こどものような好奇心で追っかけたルポ。二段組360ページあまりのボリュームに膨大な情報がつまっている。読みたいところを先に読んで、残りはあとから読むというスタイルだったが、3週間くらいかけてぜんぶ読んだ。

部落解放という月刊誌に連載された文章なので、部落差別や職業差別について尋ねてはいるけれど、編集部からの要望に沿って・・・みたいな域を出ていない。神奈川の郊外の新興住宅街で生まれ育ち、部落差別なんでぜんぜん知らなかった著者である。ある意味ぜんぶの日本人がそうなることは同和教育の目的なのかもしれないのだが、質問を投げかけられたほうがときどき苦い表情になる。差別を身近に感じた体験がないと、黙るタイミングを逃してしまうのだろう。

あとがきにも述べられているとおり、屠畜や解体現場で平気でいられるうえに、その足で焼肉をおいしく食べられるという奇特な人である。しかもアラブ圏の濃いオヤジたちとのインタラクションが無上に楽しいという。ほとんど変態である。しかし動物愛護団体の御都合主義を不愉快に思うところなど、共感するところも多い。

たいへんおもしろい。たしか高野秀行さんも絶賛していたと思う。

2021年4月4日日曜日

チェゲムのサンドロおじさん ファジリ・イスカンデル 国書刊行会

この本にはプレミアムがついていて、尼ゾンでは5000円以上になっている。ムーミンの作者トーベ・ヤンソンの伝記本も何千円かの値段がついている。ムーミンクラブから買えば定価で買えるのだが、配送手数料がとんでもなく高い。格差社会とやらで、貧乏な人がより貧乏になって困っているのに、マネーが余っているところには余っている。それがとうとう書籍にまで及んだということか。

ロシア語世界の文学といえば暗い・重い・長いということしか思い浮かばない。でもサンドロおじさんのシリーズは明るくて軽くて短い。

チェゲムというのはアブハジア共和国の架空の村の名前。アブハジア共和国というのは、ソ連時代は独立していたみたいだが、いまはジョージア(ちょっと前までグルジアと呼ばれていたところ)の一部にされているんじゃないかな。つまりそのへんの、カフカースといわれる地域で、黒海に面した温暖な高原地帯が舞台になっている。だから明るくて面白いのだろう。

この物語はロシア語で書かれたのだが、その地域は言語的にはアブハジア語らしい。主人公のサンドロおじさんはアルメニア語などいくつかの言語を話すことができて、それはそのあたりの住民だったら普通のことなのだろう。名誉やメンツを重んじるところ、客をもてなすべしという社会規範があること、略奪婚の風習が残っていることなど、ウイグル、アフガン、トルコ、ペルシアなど広範囲における社会的価値観と共通していて、いわばその価値観圏のいちばん西の端っこになるのかな。時代はサンドロおじさんの若い頃で、カフカーズにもソヴィエトのコルホーズ化が波及し始めた頃。しかしこの地域では地元貴族もまったりと残っていて、新時代のことをぶつぶつ言っていた牧歌的な時代。

サンドロおじさんはじめ多彩な登場人物がそれぞれユニークな物語を展開する。なかにはサンドロおじさんのロバに語らせている物語もある。いちばんとっつきやすくて面白いのは、「略奪結婚、あるいはエンドゥール人の謎」という章。なんど読んでもディーテールが味わい深く、楽しめる。

さいわい富士見町図書館で見つけたので、タダで何度も借りて読んでいる。

村上ポンタ秀一

 2021年3月17日

https://mainichi.jp/articles/20210315/k00/00m/200/081000c

今津中学校の先輩。ポンタはブラバンやったから、得津武史センセのことをどっかで書いてた。剣道部やったわしらでも得津センセの思い出は尽きないもんがあるから、ブラバンやったらなおのこと。

兄貴のころは得津センセの音楽の時間に教科書を忘れると、即興で歌を歌わされるというお仕置きがあった。兄貴も歌った。

3年後、我輩のころはシューベルトの「魔王」やった。

ブラバンでチューバを吹いてたやつは、便所シンナーでラリった状態で「バッハはなぁ、偉大やねんぞ」と言った。そんなやんちゃなクソガキに音楽と愛を教え、立派に進学・就職させた功績。

ポンタが日本有数のジャズドラマーになって、得津センセはよろこんでたんやないかな。

アジア新聞屋台村 高野秀行 集英社文庫

2021年2月5日

とてもおもしろい。角田光代さんが巻末で秀逸な解説を書いていて、そこにこの本のおもしろさがうまく描写されている。

我が輩がとくに面白いと思い、何度か読み返したのは、魅力的だけど地雷原の朴さんというコリアン女性とのつきあいのところ。お互いがもりあがったときの、主人公による肩透かしの喰らわせかた。

「私は今、彼女に何か言わなければいけないと直感的に感じていた。

 とまどいながらも、彼女のほうに手を差し伸ばした。しかし、もつれる舌が発したのはまたしてもこんな情けない言葉だった。

『あ、それ捨ててくるよ。』

 私はビールの空き缶を受け取ると、自分のとあわせてゴミ箱へ捨てに行こうとした。

 朴さんが私にしてもらいたかったのは、こんなことじゃないはずなのだ。どうして、こんなことになるのだ。

 そう思った瞬間、後ろから細くて白い腕が伸び、私は抱きしめられた。」

「振り返って彼女を抱きしめなければ。少なくとも、彼女の細い手を握ってあげなければ。

 しかし、あいにく私の両手はビールの空き缶でふさがっていた。」

高野秀行は練達の肩透かせ師、プロ中のプロであると思う。

新疆ウイグル自治区のウイグル人のおっちゃん

 2021年2月4日

トルコ人の写真家が新疆ウイグル自治区の高昌を訪れてウイグル人のおとっつあんと会話している。トルコ語とウイグル語、お互いの言葉で話していて半分がた通じている。この感覚は島国に住んでいる我々にはなかなか理解できない。我々もチュルク語世界のいちばん端っこに位置しているはずなのだが。

Uygur Türkü İle Türkçe Konuşmak - Çin'in Sincan Uygur Özerk Bölgesi - 1

Serinin 2. videosu için; https://youtu.be/03vSjiyLgK0Serinin 3. videosu için; https://youtu.be/MMGsqycbwIoÇin'in ücra bir köşesinde, doğma büyüme oralı olan ...


遊牧民から見た世界史 杉山正明 日経ビジネス人文庫

2021年1月25日

杉山正明といえば鼻息のあらいおっちゃんという印象だったのが、この本を読んで漢籍とペルシア語とその他あれこれの言語を解読する碩学だと知った。この本(1997年)を読んだらおっちゃんのめざしている方向がほぼわかった気になれる。

個人的に面白いとおもったのは、遊牧民とロシアの戦い方に共通点を見出していること。すなわち戦うふりをしつつ退却しつつ、自分のフィールドに敵を引き込んで敵の補給線が延びきったところで叩く(ロシアのばあい冬が来て敵が自滅)というところ、それと黄巣や朱全忠を産んだ中国の塩の専売課税制度が元代になってラディカライズされ、のちの秘密結社=中華マフィアになったというところ。そして世界を植民地化した西欧はその特色としてなによりも軍事国家であるであるというところ。

おもしろくて知的興奮を誘う読書だった。


Chucho Valdés ‎– Canciones Inéditas

2021年1月24日

いままでどっちかというとオヤジさんのベボ・バルデスのほうがいいと思っていた。なんでかというと、息子のほうは早弾きテクニックひけらかし臭があって、だいいち1/48音符(たぶん)の連続なんて何がなんだかわからない。

ところがこの「未発表曲集」と題された2004年のアルバムは、それがなくて聴きやすい。聴きやすいだけでなく、キューバ音楽の良さがしみじみと堪能できる。尼で配送費込みでなんと350円。

蛇足:

2013年のソロ Chucho Valdés - Cancionero Cubano

https://www.youtube.com/watch?v=3z_9FU6T8b4

もなかなかいいのだけれど、早弾きがあちこちにはいっている。自作の曲にそれが顕著なので、かならずしも早弾きひけらかしから改宗したわけでもなさそうだ。

坂本スミ子と米おっさん

2021年1月24日

坂本スミ子 1936年-2021年1月23日 享年84歳

このところ訃報ばっかりや。坂本スミ子の訃報を見てヨネおっさんのことを思い出した。

ヨネおっさんというのは亡父の妹だが、1960年代のなかごろまで梅田のアローというマンモスキャバレーの電話交換手として働いていた。そこでいっしょに働いていたのが「スミちゃん」だった。おそらくスミちゃんは電話交換手ではなくて歌手だったのだろう。

「スミちゃんがあんな有名になるなんてなぁ。」と話していた。

ヨネおっさんはスミちゃんより10歳上で、数年前に死んだ。言葉遣いが男みたいで、「われー」とか「やんけー」とか平気で言うので、幼少のころの我が輩が「ヨネおっさん」と呼んだ。それから一族こぞってその呼び名が定着した。本人はみんなからヨネおっさんと呼ばれることに抵抗を感じたのだろうか。

女の子は女らしくという当時の考えかたと、自分のセクシャリティーの間で悩んだのかもしれない。

中村則弘先輩の早すぎる死を悼む

2021年1月21日

春節が近くなると、我が輩の脳内で「北風吹」が鳴る。

大学1年生のとき、中国語劇で白毛女をやったのは神戸外大だったか、それとも大阪外大だったか。劇場の椅子に座ろうとしたときに北風吹が流れ、鳥肌がたったことを昨日のように思い出す。

その白毛女のストーリーを熱く語ったのが中村先輩だった。

熱く語る先生をもった学生はきっと幸せにちがいない・・・などと考えながら帰宅した夕刻の訃報。

長崎大学 多文化社会学部教授 福井県出身 享年63歳

https://www.youtube.com/watch?v=wnKwzJAtiYk

Ara Dinkjian - the Long Goodbye

2020年12月27日

チャンドラーの小説ではない。音楽である。

https://www.youtube.com/watch?v=_Cda5l_cFAE

10代のはじめから洋楽を聴きはじめてかれこれ50年。それくらい聞いていると、スカートの丈じゃないけれど、どんな音楽を聞いてもどこかで聞いたような・・・という飽きが感じられる。

それもあってちかごろ特にトルコの、広い意味でのアラブ音楽を集中的に聞いている。それでみつけたのがこの名前なのだが、この人の音楽を聞いていると西洋音楽とオリエントの境界を感じさせない。

あちこちでArmenian in Americaという組曲をライブでやっているので、名前からしてもアルメニア系なのだろう。 The secret trio にも参加している超絶技巧の作曲家。

ニューエクスプレスプラス ペルシア語 浜畑祐子 白水社

2020年12月20日

おどろいたことに、富士見町の図書館にこのニューエクスプレスプラスのシリーズがほぼ揃っている。アイスランド語とかグルジア語とかセルビア語とかタミール語とか、そんなマイナーな言語教本シリーズなのに。

そんでもってペルシア語を借りて朝夕の通勤電車のなかで本を読みはじめた。そのうちに基本動詞一覧だけコピーして、かれこれ6週間くらいそれを眺めていた。ある日の仕事場で、CADで仮想マシーンを分解しているときいきなり「ゲレフタン」と出てきた。意味も語幹もでてこないけれど、ゲレフタンという音が出てきたのだ。嬉しくて帰りの電車に乗るまでゲレフタンを憶えておいて、一覧表を見たら「ゲレフタン:取る、得る」とある。現在語根はギール。なんでこれだけ出てきたのか不思議だったのだが、簡単な形容詞一覧に「ゲレフタール:忙しい」というのがある。関連があるかどうかは知らないけれど、よく似ている音なので脳がおぼえていたのかもしれない。

こんな学習をしたのは高校古文の助動詞一覧表以来なのだが、マトリックスを丸暗記するのもアリなんだなあと思う。

学習(と自分のボケぐあい)の進行状況はそのうちに。

与作

2020年12月11日

パキスタンに住んで働いていたとき、通勤車にギターを載せていた。朝夕の通勤時に練習していたら、あるとき運転手のサルフラズ君が「ダンナ、いい曲っすね」といったのが与作。

そうか、南アジアまで与作圏だったのか。

与作の中国語版をみつけた。庄学忠さんは中華系マレーシア人。高山慕情、といっても飛騨高山ではなく、都会をはなれて高い山で愛しいハニーといっしょに暮らしたいもんだ、てな歌詞である。

https://www.youtube.com/watch?v=l8dKXKE9vgA

高山慕情

ついでながら中華による尺八バージョン

https://www.youtube.com/watch?v=huBYjDjYBNk

鍾治華

https://www.youtube.com/watch?v=27qxZdrySSc

ディスコバージョンのヘイ!ミスター・ヨサク/バラクーダ

旅ごころはリュートに乗って 星野博美 平凡社

2020年12月7日

ミッション系の学校を出たにもかかわらず「キリスト教徒でもなく、西欧中心的な考えが嫌い」という著者がリュートに惚れ込み、リュートで弾ける古楽(とっても1400年代くらい)を探しつつキリスト教世界を旅する物語。

中世のキリスト教に関する薀蓄量は半端ではない。当方はそのあたりさっぱり興味がないので引用とか翻訳部分は斜め読み。本のまんなかへんでイベリア半島のレコンキスタをあらかた終えたアルフォンソが、それまで翻訳事業(ギリシア・ローマの蔵書をアラビア語からラテン語にした)で世話になったユダヤ人たちに、改宗するか追放されるかを迫る。そしてあちこちでキリスト教徒によるユダヤ人虐殺がはじまる

・・・のあたりから著者も残虐なのがいやになってきたらしく、リュートよりアラビアのウードのほうがいいかなと考えはじめる。リュートはウードと見た目はそっくりだけれど、フレットが打ってあって、音域も高い。

そりゃそうだよね、キリスト教との残虐さは知れば知るほどいやになる・・・と思う我輩は、著者の視点がアラブ世界やユダヤ世界からキリスト教世界を眺める視点に転換するのを期待しつつ、しかしながら物語は長崎のキリシタンの殉教者列伝みたいになって一巻のおわり。せっかくの労作なのにちょっと不発っぽい。

こんなことを思い出した。1985年、ニューヨークからハドソン川を遡ったドブズフェリーという小さな町の、オグデンプレイスという通りのどんづまりの森のなかのシナゴーグに我輩は住んでいた。家主はクラシック界で高名なラマー・アルソップという音楽家。「あんまり聞かない名前だね」というと、「祖先はスペイン経由でアメリカにやってきたセファーディック・ジューなんだ」という。1986年にやはりハドソン川沿いの、ブロンクスのリバーデールという町に移り住んだ。近所に住んでいるブライアン・エルヴァスとブラスバンドで仲良くなった。青くて緑色の不思議な瞳の色をもつブライアンは「わいのオカンがいうには、エルヴァスっていう名前はスペイン経由でアメリカにきたセファーディック・ジューらしいんだ」という。

彼らの祖先こそ、アルフォンソに追放された人たちなのだった。

聖母マリア信仰の逸話がながながと紹介されているところがある。病気とか体の欠損とかをマリアが治したとかあれこれ。そのなかで、巡礼の途中で姦通をした男が夢のお告げで罪の意識に苛まれ、ついに自分のちんちんを切り落とし、それがもとで道半ばで死んでしまった、それをマリアが生き返らせたというのだが、さすがに切り落とされたちんちんは再生できなかったという。これは悲惨なのか笑うべきなのかわからない。

イランの西のほうにマシュハドという宗教都市があって、巨大なモスクがいくつもあつまっていて、門前市がそのまんま街になっているようなところ。イマームなんたらの遺骸が重厚かつきらびやかなフェンスのなかに安置されている。体の不自由な人や老人や病人がそのフェンスをなでたり接吻したりしている。ヴァヒッドくんによると、イマームは何百年か前に死んだのだけれど、いまだに病気や体の不自由なところを治してくれると信じられているのだという。広場では700年前に殺されたフセインを悼む詠歌が流れていて、人々が真剣に聞き入ったり慟哭している。

シーアはそういう世俗的な要素を許容するおもしろさがある。狭量なスンニのワハーブなんかそんなんは許さない。ワハーブはなんでもかんでも異端にして殺しまくったカトリークに似ていて、寛容と共存というイスラムのイメージにそぐわない。

それにしても中世キリスト教の歌の翻訳を見るにつけ、「死んだら救われる!」という人間の情念はすさまじいパワーになるのだなあと思うy。日本の浄土真宗や浄土宗のような念仏信仰も、一向一揆みたいなめちゃめちゃなパワーを生みだしたことがあるの。死んだら天国(とか浄土)に行けるのだから、いっそ死んでやれ!という発想は、人間の根源にある何ものかとレゾナンスするのだろうな。枝雀さんは落語で「念仏はいざというとき日本人の魂の奥底から湧きでてくる」なんちゅうて言ってたけど、おそらくそれは万国共通なのだ。

オーストラリアの軍隊に山下ルールは適用されるか?

2020年12月6日

オーストラリアの軍隊がアフガンの一般人を虐殺した件。大東亜戦争で活躍した「マレーの虎」山下奉文が東京裁判で処刑されたのは、部下の戦争犯罪を追及されたから。「司令官は部下に命令した・しないにかかわらず、犯罪行為を知っていた・知らなかったにかかわらず有罪」というのが戦争法の世界で山下ルール(yamashita precedent)として確立された最初の例。

これをオーストラリア軍に適用するとたいへんなスキャンダルになると言われる。

鉄鉱石と石炭は生産するけれど、ほとんどを中国に買ってもらっていて、自分とこでは自動車もつくれないオーストラリア。いいブドウとワインはできるけれど、主要市場は中国というオーストラリア。中国外務省の報道官が絵をSNSに載せたのを首相が非難するオーストラリア。急所を握られている相手に喧嘩を売るのは白人優越主義のゆえか?ハンチントンの「文明の衝突」は形を変えて、白人優越主義文明と有色人種文明の衝突になるのかもしれない

いっぽう日本メディアは中国のあれこれを取り上げて反中感情を煽る。中国は日本の10倍くらいの人口があって、たいへんな競争率をくぐり抜けた優秀や人たちを政府がリクルートする。かたや汚職・コネクション・ネポティズムが浸透し、目前の利益で動かされる人が増えた日本では、有望で有能な若い国家公務員の辞職が増えている。日本の腐敗汚職を矯正して、競争力を回復させるために中国を活用するというのが健全な方向ではないかと思うのだ。

スコット・ホートンのポッドキャスト

 2020年12月2日

http://feeds2.feedburner.com/Scotthortonshow

11/27/20 Frank Ledwidge on Losing the War in Afghanistan 1:10:41 2020/11/30

ゲストはフランク・レドウィッジ - 元イギリス諜報員で数千人の退役軍人と対話したという。オーストラリア軍がアフガンでおこなった虐殺のことから始まり、ふたりがアフガンその他の戦争についていかに無駄でアホなことが行われているかを語っている。

レドウィッジさんたらブリティッシュアクセントなので慣れるまでしばらく時間がかかるがな。もういっかい聞いたらよく理解できるだろうな。

レッドウィッジさんはアフガンとかリビアの経験があるらしい。リビアはソマリアとかイエメンとかマリとか、ここんとこキナ臭い地域への(もちろんアメリカ製)武器の供給基地となっていた。それはオバマ&ヒラリーのコンビがカダフィさんを殺した2011年以来のこと。2012年にクリス・スティーブンス大使が焼き殺されたとき、それが武器供給業務がらみだったと言われていた。軍人の話はとても興味深い。

魯迅集 世界文学全集 筑摩書房

 2020年11月28日

魯迅が「酒楼にて」で注文したつまみは茴香豆、凍肉、油豆腐、青魚乾だった

 - 富士見町の図書館。めったに行かない全集ものの棚の前で、ずっと気になっていたことを思い出した我が輩であった。


Has China Won? Will There Be War?  Kishore Mahbubani

 2020年11月11日

ポッドキャストにマブバーニさんが出ていた。おだやかな話しかたでまっとうなことを言っているので、彼の本を読むにした。

https://feeds.captivate.fm/dumbrill/

キショア・マブバーニさんはインド系シンガポール人で、国連大使とか政府高官を務めた人。シンガポール建国の父といわれる李光耀とかから直接学んだという。そのひとつが、シンガポールみたいな小国が生き残るために必須だったこととして、「希望的観測ではなくて事実をありのままに観察すること」だという。

「アメリカは自由の国といいながらそれと同じくらい大切な平等がないがしろにされ、金持ちが寡頭支配する社会的流動性のない硬直した国になった。中国は共産党一党支配の国だけれど、メリトクラシーにより有能な官僚がコントロールする社会的流動性の高い国になった。」

「アメリカの政治は各州に巧妙に配置された軍需工場が生む雇用のせいで州選出議員の誰も戦争に反対できなくなっており、シンクタンクの研究者も勇ましいことを言えば言うほど軍需産業に栄転できる道が開ける。軍隊の1/30の予算しかない外務省は無力化され、大使の6割はメジャードナーか大統領のお友達が任命される。」

「911で3000人が死んだアメリカは報復のためイラクとアフガンで戦争を起こした。オバマ政権最後の1年間だけで7カ国に6000発の爆弾を落とし、被害者の大多数は民間人だった。もし中国が民主主義の国になって、アヘン戦争の報復をはじめたらどうなるのか。それを考えると、習近平がいかに冷静な政治家かを理解できる。」

これぞアドバイザーの鏡という話の運びかた。メインストリームメディアの報道や支配的な見方と反対のことを述べるときは、かならずデータを提示する。すばらしい。

アマゾンで何千円もする本だった。オーディブルの1ヶ月体験だと音声本を1冊もらえるというので、それで合法的にタダで入手した。ただしオーディブルはiOSのバージョン13以上じゃないとインストールできない.

読み手はアーロン・アバノさん。聴きやすい英語だけれど、中国の人名とか地名の拼音をアメリカ英語読みしているので、知っていないとわけがわからなくなる。たとえば習近平を「じーじんぴん」と読んでいる。漢字の拼音を知らない人は紙か電子本で読んだほうがいいかもしれない。

シルクロード中央アジア検定 日本ウズベキスタン協会

 2020年11月6日

高校生が授業でむりやりやらされた英文解釈みたいな日本語だ。おそらく誰も推敲・校訂しなかったのだろう。でも内容はよくまとまっているので、中央アジア5カ国について、なにがどう違うのか知るためのとっかかりにはなる。

それにしてもひどい日本語だ。

イラン人は神の国イランをどう考えているか レイラ・アーザム・ザンギャネー 草思社

 2020年11月6日

この本を読んで、イランはターロフの国であり、イラン人は詩におおきな価値をおく人たちであることを思い出した。そしてペルシア語の詩のふたつやみっつは暗唱したいものだと思いながら、大学の古典の授業で気に入った漢詩をいくつか暗唱したことを思い出した。

「テヘランでロリータを読む」の作者いわく、政府の取り締まりのせいで反体制エリートのみならずイラン人全員が政治的に覚醒したという。そして髪の毛やリボンやおしゃれなサングラスが、文化闘争のために銃や手榴弾よりも破壊的な武器であることに気づいた。

「私たちが思わず勢いづいたのは、もともと政治に関心があったからではありません。女性、文筆家、学者として - ひとことでいえば、自分らしい生活を送りたいと願う普通の市民として、自分の領分を守りたいと言う気持ちからでした。」

うん、そうだ。権力を手にした者はつねに自分の姿が見えておらず、それゆえに極端に走り、政治に関心がなかった若い人たちや女性を政治的に覚醒させてしまう。そうであれば日本にも日本人にも希望があるじゃないか。

聖書の世界といえば

 2020年11月5日

大学を出て就職して2年めにバグダッドに行かされた。親会社の商社がサダム・フセインにディーゼル発電機を250台くらい売ったので、その運搬設置チームにわしが派遣されたのだ。ディーゼル発電機といっても海上コンテナくらいのサイズなので、クレーンで吊りあげなければならない。クレーンのオペーレーターはアビジェードというでぶだった。

その朝、いつものようにヤードの入り口の掘っ立て小屋でチャイをしばきながらメンバーが揃うのを待っていた。でぶのアビジェードがおでこにでっかい絆創膏を貼っていたので、なんでやねん?どないしてん?という話になった。

「きのうロバに乗っかろうとしたら蹴られて5フィートほど吹っ飛んだんや」

一同大爆笑。

「なんでロバやねん?」

「ふつう羊やろ」

「5ディナール出したら男の子のケツ借りられるやんけー」

わしは思わず言ったもんだ。

「ふつうは羊なんか?」

みんな笑うのをやめて、まじめな顔をしてわしに聞くのだ。

「羊やなかったら、日本人はなにに乗っかるねん?」

わしは聞きかじりの知識でこういった。

「いなかではニワトリらしいで」

みなふたたび大爆笑。涙を流してるやつもおった。

「日本人は抜くたびにニワトリ潰すんか?」

1983年、アート・ペッパーが死んだ年のことだった。

ユダヤ教徒に見る生き残り戦略 嶋田英晴 晃洋書房

 2020年11月5日

月子がユダヤ文学の講義をとっているという。西宮浜のブッコフでうろうろしてたらこの本が目に入った。おもしろそうなのでちょっと高かったけど購入。序章だけ読んでとんでもなくおもろいと思った。そのまんま月子に手渡したのだが、返却されたらつづきを読むつもりだ。

どこのシナゴーグにもゲニザという倉庫があって、契約書でも日記でもなんでも書き物であれば廃棄せずぽんぽん放り込んでいくらしい。エジプトのゲニザは特にでかいので有名とのこと。ゴイテインという1900年うまれのおっちゃんがそれを解読してストーリーにした。そんなかから著者が生き残り戦略に分類・抽出して博士論文にしたのがこの本。

旧約聖書のむかしからユダヤ人社会ではハミゴにされる人たちがいて、いじめた人たちが迫害にあって困ったり、あるいは滅ぼされたときなど、ハミゴたちが生き残るということが「残された人たち」という表現で定型化されているらしい。

「聖書にみるユダヤ教徒の生き残り戦略」でググると序章をpdfで見ることができる。

中東 危機の震源を読む 池内恵 新潮選書

2020年10月30日

フォーサイトでの連載で2004年末から2009年にかけての記事の再録。過去の事件とはいえ、その背景など学ぶところが多い。

興味深いのは、イラクのカルバラでイマーム・フセインの遺族、ゼイナブさんたちに対して地元民が泣きながら略奪したという伝説があるのだという。

また別のところで、多数派のシーアが貧しく、少数派のスンニが支配層というねじれ現象について、いままでイギリスが意図的にややこしい状況をつくりだしたのだと思っていたのだけれど、じつはオスマントルコ帝国がこの地域にスンニの執政官を送り込んだことに始まるのであって、イギリスはそれを引き継いだだけらしい。

ためになる歴史や情報が満載で、脳がフル回転する本。

大城立裕さん死去

 2020年10月29日

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/655160

「琉球処分」を1/3ほど読んでそのまんまだったうちに、訃報に接した。ヤマトが明治になって沖縄にも廃藩置県のお達しがやってくる、それを受け入れる過程で沖縄の支配層はまったりのらくらと、清国の動向など伺いつつ、福建の琉球会館も撤去せざるを得ないのか、など逡巡しているうち・・、というところで疲れて休止。ふりがなをなかなか憶えられないし。親方がうえーかた、殿内がどんち、筑登之がちくどん・・・などなど。

大城さんの著書で最初に読んだのは「朝、上海に立ち尽くす 小説東亜同文書院」だった。こっちは一気読み。中国語にかかわったものとして、あるいは関わったことがなくとも、東亜同文書院のユニークさとオリジナルさは空前絶後のものがある。大城さんが2年次を終えたころ、終戦をもって東亜同文書院は消滅。その在学時の体験が濃厚に反映されたおもしろい本でした。

享年95歳。

辺境メシ ヤバそうだから食べてみた 高野秀行 文藝春秋

2020年10月20日

電車のなかで読んではいけない。「うふっ」とか「おっ」とかいう声が思わず出てしまう。「まるで満杯のゴキブリホイホイをオーブンで焼き上げたかのような」虫ピザ、「残飯を食べてる虫を食べてる俺」というイメージが脳内をぐるぐる回ってとまらない、けれど美味な「虫パスタ」などなど。

ちょっと硬めの本を手に入れたので、そのあいまに読もうと思って買ったのだが、こちらだけすぐに読んでしまった。案の定というべきか。

高野秀行さんは1966年生まれ。このヒノエウマ生まれの人たちは、オーケンもそうだしうちの内儀もそうだけれど、たいへんおもしろく魅力的な人がいる。

この本を読んでいて、タイの工場にはじめていったときに出された虫スナックとか、その食堂で食べたうまい汁かけメシのことなんか思い出した。

青いパパイヤと骨つき鶏で生姜とニンニクの効いたスープをつくり、タイ米ごはんのうえにぶっかけてパクチーを散らして食べたくなった。

スパイのためのハンドブック ウォルフガング・ロッツ ハヤカワ・ノンフィクション文庫

 2020年10月17日

さいきんのブッコフでは、ブッコフオンラインで見つけた古書を、送料無料で最寄のブッコフ店に届けてくれる。塩尻でみかけた本を、タイトルもうろ覚えだったのだけれど、オンラインでそれらしいのを見つけた。茅野の店で受け取ったら違う本だった。それがこれ。

オンラインだと大きさとか分厚さがわからないし、ブッコフでは内容と価格にまったく関連性がない。そこが困りもの。

著者はモサドに多大な貢献をした元スパイ。内容はリクルート、訓練、監獄暮らし、退職後までのガイドブック。

スパイの暮らしをわかりやすく、たとえばスパイの階級と適性なんて書いてある。

下級は密告屋とか監視係。上級は大使館で秘書が集めた新聞記事を見たり、いろんな人に会って得た情報をレポートにする、佐藤優(過去形)みたいな人。中級がおそらく著者みたいに、偽装して仮想敵地で暮らす人。2重スパイがあちこちにいることを考えると、みな愛国心とか正義感とか忠誠心で働いているのではなくて、結局そういう仕事というだけで、問題はおカネなのだろうな。

著者はドイツ語で育ったユダヤ人。英語からの翻訳なのだろうけれど、訳文も硬め。面白いといえば面白いけれど、べつに読まなくてもよかった。


軍人の語るナゴルノ・カラバフ

2020年10月15日

ウェストポイント士官学校で歴史を教えるダニー・シュルセンがナゴルノ・カラバフについて語っている。

ぱりぱりのアメリカ英語なので聞き取りにくいかもしれないけれど、なぁにそのうち馴れる。

https://www.youtube.com/watch?v=jxvfCNVFiCg&feature=emb_logo

とても興味深かったのは、2016〜2018年の期間、アメリカ軍のあちこちの大隊でこんな想定で訓練が行われていたのだとか。(40分経過あたりから)

<予備知識>

アゼリ人はイランの総人口の24%を占める最大の少数民族。

<シナリオ>

アゼルバイジャンと国境を接するイラン北部地域がホルスタン共和国の独立を宣言し、タンク軍団が越境してアゼルバイジャンの油田をめざす。(もちろんホルスタン共和国というのは仮説のなかのダミー:ほんとうはイラン軍のこと)

セヴァストポリ港から派遣された国連軍(=アメリカ軍)はアゼルバイジャン国境で待機する。そこで補給線を確保するのが課題。

・・・ダニー・シュルセンは軍人ゆえにantiwar.comを主催していて、しかし「軍人としてどのあたりでこの戦争はやめたほうがいいと考え始めるのか?」という問いに対し、「補給線が延びすぎて、第1陣が惨敗したあと打つ手がなくなることが予測された時」と答えている。それまでは政治とか外交官の仕事だと考えているようだ。それはそれで現実的な判断だと思う。

いずれにせよ素人の我々によくわかるように解説してくれるのはとてもありがたい。

長い旅の記録 わがラーゲリの20年 寺島儀蔵 日本経済新聞社

2020年10月12日

米原万里さんの本を読んでいてその存在を知った。大東亜戦争前の日本で共産主義者として何年も投獄され、監視役の刑事が柔道大会に出かけた隙にソ連に越境亡命。すこしのあいだだけ客分扱いだったけれど、ある日逮捕され、こんどは反共産主義者ということで死刑宣告。25年に減刑されてラーゲリで強制労働。スターリンとベリアが死んでようやく釈放。日本語を忘れないためにこつこつ書きためたメモを日経新聞が出版した。

いろいろたくさんのことを考えさせられた。

興味深かったのは、死刑判決を受けたギゾーさんが、日本人として恥ずかしくない死に方をしようと決意すること。1909年、明治生まれの日本人の生死観というか、その時代のカルチャーなのだと思う。

獄中で知り合った人たちは多くが政治犯で、筋金入りの共産党員だったり社会的地位があったり、知的レベルの高い人がいて、「ギゾー、きみのロシア語はとてもひどい。想像力をたくましくしないと何がいいたいのかわからない。私が文法を教えてあげよう」と、元大学教授みたいな人に教わったのだとか。ロシア語は格とかややこしくて厳格だけど、それさえしっかりしていたら語順はかなりゆるやかなのだ、と月子が言っていた。格がめちゃめちゃだと「想像力をたくましくしないと何がいいたいのかわからない」ということになるのだな。

スターリンが死に、ベリアが失脚して皆が釈放の希望をもっていたとき、ギゾーさんは冷静に分析する。無実の人間を大量に逮捕してラーゲリに送り、炭鉱や鉄道や港湾建設で働かせる、これがソヴィエト流の資本の原始的蓄積過程なのだ。知識も経験もある政治犯をみな釈放すればラーゲリが、ひいてはソ連の社会経済基盤が崩壊する。それはスターリンであっても誰であっても同じなのだ、と。じっさいソヴィエトロシアはそうして極北のツンドラ地帯に街をつくりあげてきたのだ。

ロシアに関わる人であれば(我輩は関わらないと思うけれど)読んでおくべき本だと思う。


心臓に毛が生えている理由 米原万里 角川学芸出版

2020年10月1日

短いエッセイ集。寝る前に読んでいたら、あっというまに読了した。

「理由には理由がある」という項にこんなことが書いてある。

「意外にも、かつてロシアに支配された小国の人々は、ロシア人に対しては好意的なのだ。」

17年間、強制収容所をたらいまわしにされて、それでも生き残った寺島儀蔵が回想記のなかで、「囚人、看守いずれも多種多様な民族構成なのだが、ロシア人だけはいっさい民族差別しない」と感心しているらしい。

「別な本でロシアは異教徒のトルコ系民族を支配するのに、自分たちと同じ正教会のアルメニア人に任せていたという記述にめぐりあった。」

「直に支配を履行する彼ら(アルメニア人)は本来ロシアが買うべき恨みをぜんぶ引き受けさせられていたのか。」

・・・今回の戦争でもロシアは全面iに出るような動きはしないということだな。

ユーラシアの東西 杉山正明 日本経済新聞出版社者

 2020年9月30日

このおっちゃんの本を読むと、元気がでるし、いろいろと刺激を受ける。極端な物言いがおもしろい。たとえば「アケメネス朝のダリウス1世」というユーロセントリックな呼びかたじゃなくて「ハカーマニシュ帝国のダーラーヤワウ1世」にしましょうや、なんてね。おっちゃんは西欧派に喧嘩を売りつつ、日本の若い人たちに発破をかけている。

アヘン戦争をきっかけに欧州列強が清国を虫食い状態にしていたころ、じつは中国じしんがモンゴルに対して植民地政策をすすめていた。漢人入植者に食いものにされていたモンゴル人に「そんなことじゃいかんだろう?日本と手を組んで中国をやっつけようぜ」とアプローチしたのが日本。日本は満州を足がかりに中国を食い荒らそうとしていた。そのころにつくられた西北研究所とか、満蒙文化研究所とか、蒙古善隣協会とか、興亜義塾みたいなのも含め官民にわたるいろんな団体で、モンゴルのことを真剣に考える若い人たちが育った。それがのちの京都学派を形成する。その流れに杉山さんがいて、楊海英さんみたいな若手を輩出している。日本帝国のスケベー心から生みおとされた後裔が、モンゴル研究で日本を世界一にしたのだ。

こんなことを考えた。

こんど人間に生まれるとき、やっぱり日本人がいいな。漢字文化圏だけど中国じゃないから。そして若いうちにペルシア語とトルコ語とアラビア語を勉強して、ついでに中国語とかロシア語とかモンゴル語も学べる、そんな外大になってたらいいな。そいでアフガンからマシュハド、ヤズド、エスファハン、テヘランからナジャフ、カルバラ、バグダッド、そしてダマスカス、イスタンブールのあたりで何年か働いたり暮らしたりしたいものだ。そしてたまにチュニスに足をのばしてワインを飲むんだ。

1979年にソ連がアフガン侵攻したのがなぜなのかわからなかったけれど、この本を読んで、その1年前のイラン革命がアフガンを通ってカザフ、キルギス、ウズベク、タジク、トルクメニスタンに波及するのをモスクワが恐れたからと知った。


上を向いてアルコール 小田嶋隆 ミシマ社

2020年9月28日

軽妙な語り口で陰惨な内容が語られる。

吾妻ひでおのアル中日記も読んだけれど、吾妻ひでおには自己分析がなくて、オダジマには自己分析がある。その切り口が興味深い。

名言を列挙しよう。こんなにたくさん付箋がついた本はめずらしい。

・酒飲みのなかには、概ねまともなんだけれど、このポイントだけはこだわりが強すぎるっていう人がいる。

・オール・オア・ナッシングの「白か黒か」に触れがちな人間に酒を渡すと、穏やかな飲みかたができないということは間違いなくある。

・音楽を聴くとか小説を読むとかっていうことを全部酒とセットにしてたから、酒なしで聴くとつまらない。

・アル中末期のころには、ほとんど時代小説ばかり読んでいた。サムライの生き方とかセリフと酒のリズムがあっていたのか。

・飲むリズムで(野球を)観ることが身体化していた。野球の試合ってダラダラ続くから、飲みながら観るのにちょうどよかったのかもしれない。サッカー場で飲んでるやつって全然いない。

・たとえばの話、私の人生に4つの部屋がある。二部屋くらいは酒の置いてある部屋だったわけで、そこに入らないことにした。だから(残りの)二部屋で暮らしているような感じで、ある種人生が狭くなった。4LDKのなかの二部屋で暮らしているような、独特の寂しさみたいなものがある。

・(大酒飲みのN社のS社長から)「せっかく私と会っているのに飲まないなんて失礼ですよ」と。「失礼」とまで言われた。

・「私は酔っ払いです」というポジションの楽さというのは、周囲から「あの人は酒入っちゃうとアレなヒトだから」という扱いになっていることの心地よさ。

・アルコールは、本来ならたいして面白くもない人間関係を演劇化するわけです。恋愛でもビジネスでもあるいは夫婦喧嘩みたいな犬も喰わないやりとりにおいてさえ。

・整理できないいろいろなことを考えたときに、「いつかアメリカにいってやる」「いつか死んじゃう」と考えてトラブルなり面倒ごとを先送りできれば、とりあえず成功ではある。その手が使えなくなったときに、当面の思考停止のためのスイッチとして、とりあえずアルコールのほうに抜け穴をつくりにかかる。

・飲酒という文化的な営為から、アルコールを摂取する以外の意味を剥ぎ取っていくころが、すなわちひとりの人間がアル中として完成する過程でもある。

・人が酒を飲む理由としては、他にやることがないから、というのが意外なほど支配的だったりします。アルコールを媒介に手に入るものがはいわけではありません。しかしそれらはいずれ揮発します。なくなるだけなら良いのですが、多くの場合喪失感を残していきます。で、それがまた次に飲む理由になったりします。


中国と私 オーウェン・ラティモア みすず書房

2020年9月26日

司馬遼太郎の街道をゆくシリーズの「中国 蜀と雲南のみち」にいわく、四川に向かう飛行機でオーウェン・ラティモアらしき西洋人と乗りあわせたとある。そのフライトは1981年のことなので、もしラティモア教授だったとしたら81歳である。おそらく違うのではないかいな。

さてこの本、とてもおもしろく読ませてもらった。感想がいろいろあるので、箇条書きにしておく。

1. 国際関係がいろんな人で動いていた時代を感じさせる。いっぽう昨今の我が国の外交は、安倍ぴょんの顔と口が大きくなるばかり。総理が外遊して大きな口で大きな金額の援助を発表する。金額が大きいのでほとんどは有償資金供与(ローン)になる。金額に従って総理の顔も大きくなるが、地道な技術移転と違って、マネーによる援助はすぐに忘れられてしまう。在外事務所は定期的にそれを思い出させ、返済計画を調整することで疲弊する。いっぽうで100年後に役立つ青年海外協力隊の予算は削られるいっぽうだ。

2. ラティモアさんの辺境愛とかモンゴル愛が伝わってくる。ノリとしては高野秀行さんやさかなクンに近いものがある。蒋介石の顧問という大仕事がなかったら、知る人ぞ知るちょっと変わった人というだけのスタンスだったかもしれない。

3. 中国共産党が国民党に勝ったのは、説得の達人といわれる周恩来が各地のゴロツキ軍閥とうまく話をつけた=中共はゴロツキ組合だとばかり思っていた。ラティモアさんによると、蒋介石の軍隊そのものに負ける原因があったと。つまり、将校が地主のボンボンぞろいで、農民=兵隊は中国語を話す牛馬ていどにしか考えていなかった。だから共産党は農民を人間扱いして組織するだけで、武器装備と兵隊がそのまんま革命軍になった。共産党は共産党員をなぶり殺したゴロツキ軍閥に対し、革命に賛同したら過去は問わないと言った。そしたらみんな寝返った、ということである。

4. 現場を見ることは大切だなあとつくづく思う。ラティモアさんもエレノアさんも感受性に富んでいたのだろう。昭和天皇がいちどでも中国のでっかさに触れることがあったら、アホ軍部の暴走を止めることができたかもしれない・・・いや、見たとしても感受性がなかったらダメだろうな。旅するなら若いときがいい。

余談だが、ロシア製のドキュメンタリーで、昭和天皇はそもそも化学者で、731部隊を組織したのも昭和天皇じきじきであったと語られていた。敗戦後の昭和天皇は植物学者になったのだが、化学者だったという前歴をそれで上塗りしたという意図的な情報操作であったということになる。

5. ラティモアさんはリーズ大学の中国学部をつくった。その最初の卒業生は全員アフリカ人だったと、(たしか)岩波新書の「中国」の解説に書いてあった。欧米は中国のアフリカ援助について、自分らの庭を荒らしていると非難するけれど、どっちかというと中国はアフリカに請われて出ていったんではなかろうか。一帯一路を見ていても、住宅ローンなみの金利で有償資金供与をするなど恨まれるようなことをしている。中国は対外援助なんて、どうやっていいのかいまだにわからないんじゃないだろうか。


こんとあき 林明子 とんとんとめてくださいな こいでたん こいでやすこ 福音館書店

2020年9月23日

こんとあき 林明子 福音館書店

とんとんとめてくださいな こいでたん こいでやすこ 福音館書店

ぐりとぐらのおきゃくさま なかがわりえこ やまなしゆりこ 福音館書店

娘たちがずっとちいさかったとき、えほんの読み聞かせは我輩の楽しみだった。

「うちの子はこんなふうに感じているにちがいない」

という思いこみを、読み聞かせを通じて修正することができる。

たとえば、電車のドアにしっぽをはさまれてしまったこんのことを、

「かわいそうだな、でも電車に乗れてよかったな」

と感じるかもしれないし、あるいは

「長い行列ができてるのにお弁当を買いに行ってんから、しょうがないやん」

と感じるかもしれない。

読み聞かせは物理的な距離が近いので、その感じかたがぐいぐい伝わってくる。

そこで自分の思い込みが当たっていたのかどうか、考えるきっかけになる。

「しょうがないやん」と感じているなら、学校とか、どっかでストレスを感じているのかな?

かといって、いつも当たりばかりではない。

とんとんとめてくださいな、を演出たっぷりに読むのも定番だった。

ずいぶん大きくなって聞いてみると、真剣に怖かったのだという。

きゃーきゃー喜んでいたとおもっていたのだが、ぜんぜんちゃうやん。

それでも読み聞かせは楽しかった。ぐりはせっかちで早口、ぐらは超おっとりで

「ずー いぶん、 とぉー く まで きた よう なぁ きがする な ぁ。」

というふうに、キャラクターを使いわけていた。

歯医者の待合室で「絵本のある子育て」というパンフレットを見ていて、そんなことを思い出した。


いっとかなあかん神戸 江弘毅 株式会社140B

 2020年9月22日

神戸は1995年の阪神大震災で大きな被害を受けたので、あとがき代わりの「K氏との対談」では「もう20年以上経ちますが、いっとかなあかんかった店はリアルに覚えてます。悔しいですね。」とある。この本は通途のグルメガイドなどではなく、店と料理を通じて神戸(とその周辺)のコミュニティー像が語られている。

筆者と我輩は同年代で、おまけに通った大学も近所。だから半分がたの店の名前は知っているし、なかには二宮の泰南(二文字とも草かんむりつき)みたいにしょっちゅう行った店もある。神戸でずっと仕事をしてきた筆者による描写は、学校を出てからほとんど神戸に帰らなかった我輩にとって、その後どうなったのかを教えてくれると同時に、青春時代を回顧させてくれる貴重な物語だ。

六甲道に贅六(ぜえろく)という飲み屋があった。なんでか知らんが神戸外大の野球部が代々アルバイトをすることになっていて、中国研究会のコンパもたいていそこでやっていた。震災のあとに訪ねたらサラ地になっていた。震災でそうなったのか、あるいは大将とこが男所帯でいろいろ大変だったのでそうなったのか・・・呆然と佇んだことを思い出した。

トルキスタンの再会 エリノア・ラティモア 東洋文庫

 2020年9月15日

金沢の文学堂で購入。夫君のオーウェンとの新婚旅行で、1920年ごろ北京〜新彊〜トルキスタン〜ラダックまで旅した記録。

オーウェン・ラティモア教授は1900年生まれ、エレノアさんは5歳上の1895年生まれ。この時代のアメリカには開かれた人がいたんだなあと思う。

ガイドや荷運人など道中世話になるいろんな人々について信頼できる人物かどうか見極めようとしつつ、それでも騙されていたことを後になって知ったり、しかしそんなインタラクションを体験できることを楽しみ、それ以上に自然のつくりだす素晴らしい風景に感動している。

「私はこの旅でこんなに汚いみずぼらしい不愉快な目に遭いながら、けっこうそれを楽しんでいるという奇妙な気分を味わってきました。あまりものすごいのでかえって滑稽なのです。それはそれなりに、愉快この上なしなのです。こんなひどい所でもこんなに楽しく過ごせるんだと思うと、それが好きなんです。なぜ愉快なのかというと、ここでは万事がありのままで人間らしいからなんです。」

ロシア革命から間もない時期、中国も内戦状態に入りつつあるという混迷した情勢のなかで、オーウェン氏は隊商にくっついてモンゴル経由で、エリノアさんはハルピンから「より安全な」シベリア鉄道でそれぞれ新疆に向かい、チュグチャクという街でランデヴーし、そこからインダス河畔のラダックに出るという新婚旅行である。

ゆえにタイトルが「トルキスタンの再会」なのである。

板垣雄三「アヤソフィアの変遷が意味すること」

2020年9月13日

信州イスラム勉強会 板垣雄三先生の「アヤソフィアの変遷が意味すること」

http://muslimworld.naganoblog.jp

さらっと読める内容ではないけれど、とても面白い。

とくに新鮮だったのは、

1. 7万7千人逮捕、16万人解雇といわれる空前のクーデターであるエルゲネコン事件に至る経緯がよくわかった

2. エルドアンはたんなるポピュリストの独裁者だと思っていたのだが、彼の人気を支える底流の存在と、有能な人たちを登用した経緯があったことを知った。

3. その有能な人たちのなかに、中間介在地域という文明モデルを提唱したギリシア人地政学者ディミトリ・キツィキスの弟子筋の人がいたこと。

・・・などなど。

アラブ音楽のなかでもトルコ音楽はとくにおもしろくユニークだと思い、集中的に聞いていたところだった。トルコはおもしろい。

史書を読む 坂本太郎 中公文庫

 2020年9月4日

金沢の古本屋で、あんまり時間の余裕がないときに買った。司馬遷の「史記を読む」のかと思ったら「史書を読む」だった。慌てもん。

ま、買ってしまったものはしかたがないので、寝る前とかにぼちぼち読んでいる。

内容は、風土記とか大鏡とか平家物語とか太平記とか、高校の勉強で名前だけ知っているような我が国の書物について、1901年生まれの坂本太郎さんがネタを披露している。愚管抄みたいに「これは自分らの一族の権勢を保持するために書いたのである」なんておおまか(すぎるくらい)な解説つきのときもあれば、小ネタ披露に終始している項目もある。鏡シリーズ(大鏡、増鏡、水鏡)の項を読むと、天皇はじめ公家というのはオネエの集団だったのかと思わされる。

受験勉強でタイトルだけは憶えたけれど、読んだこともなければ内容もしらない。日本文学のはずだけれど、外人に問われても解説のしようがない、はっきりいって一生読まないだろう、なーんて本についてちょっとづつ知ることができる。

日本は小さな国で歴史もお隣さんにくらべてそんなに長くないけれど、焚書坑儒なんてなかっただけに、古いものがそこそこ残っているのはありがたいと思うべきなんだろう。大東亜戦争で京都が空爆されてたら、国文学者なんて大量失業だったんだろう、なんて考えた。


巡礼紀行 徳富健次郎 中公文庫

2020年8月20日

金沢にはブッコフじゃない古本屋が何件もある。その1件でみつけたのが徳富<蘆花>健次郎の巡礼紀行。

「ふとキリストの足跡を聖地に踏みてみたく、かつトルストイ翁の顔見たくなり」準備もそこそこに出かけたという徳富先生。

インド洋経由、エジプトからエルサレム、ジェリコ谷から死海へと見物。そして、とあるドブ川で馬車が止まったらそれがヨルダン川。

「がちょーん。この汚水でジーザスが洗礼を受けたんかい?」

と蘆花先生は考える。<ちょっと違うんじゃないか>感が満載である。しかるに同行の宣教師は歓喜して裸で汚水に飛び込んでいる。

<いかんいかん。俺は信心が足りないんだ。>

と考える、このあたりが信仰と奴隷根性の境界線だ。

汚いドブ川を聖地と思えないとき、それは信心が足りないのか?人生が思うようにいかないとき、世間じゃなくて君が悪いのか?百度参りを99回でやめたら不幸がやってくるのか?

聖地がドブ川だったならまだしも、だいたいにおいて、百万遍とか、八十八か所参りとか、F票獲得数とか、数値化されきたらそれこそ要注意だ。

当時トルコ帝国の版図だったエルサレムはとても汚いところだったらしく、蘆花先生は

「こんなとこ、クソガキ乞食人民もろとも燃やしてしまえ。」

と毒を吐きつつ、同時に

「神の愛をもって世界を覆え。」という。

十字軍がやったことと同じことをプロテスタントの蘆花先生が考えてる。

そういえば植民地侵略者とイエズス会ってWIN-WINの関係の最たるもんだ。なーんて考えつつ読み進むと、蘆花先生は緑のガラリヤにやってきて救われたらしくベタ誉めである。そんなガラリアから煉獄のエルサレムにきて死刑にされたジーザス修造は、熱いやつだったにちがいない。マイケル・ハドソン先生の

...and forgive them their debts: Lending, Foreclosure and Redemption From Bronze Age Finance to the Jubilee Year 

という長い題名の本の表紙には、高利貸しをボコるジーザスが描かれている。そりゃこんなことをしてたら恨みを買うわ。

汚いエルサレムも野犬だらけのコンスタンチノープルも、トルコ帝国はおおむね不潔だと蘆花先生は結論し、ロシアに向かう。いきなり訪ねてきた蘆花先生はトルストイ一家に歓待され、いっしょに水浴や食事や散歩を楽しむ。地主階級のトルストイは、その信条からして、もてる資産財産を困った元農奴たちにぽんぽんくれてやろうとしたため、禁治産者にされてしまった。なんでか知らんが、そのトルストイに怒ったりしている。蘆花先生の文脈はよくわからないが、おおむねトルストイに癒され、シベリア鉄道に揺られて浦塩経由で帰ってきた先生であった。おかえりなさい。


在中日本人108人の それでも私たちが中国に住む理由 阪急コミュニケーションズ

 2020年8月13日

前半に出てくるのは、董事長やら総経理やら代表やらというエラい人たちがおもなので、あんまりおもしろくない。北京の胡同在住の翻訳家・多田麻美さんの文章はとてもよかったけど、反日デモのときどうだったのかという括りなので前のほうに出たのだろう。真ん中へんのビジネス関係のはいよいよ、まったく面白くない。

後半にはいって、ミュージシャンや俳優やアーチストなど登場し、俄然おもしろくなる。そりゃそうだ。周りの人たちとおんなじ地面に座っておんなじ風景を見ているのだから。

特に印象に残ったのが、中国から撤退しようとしている建築家の松原弘典さん。

「私はみなさんにこう聞いてみたい。『本当に中国でビジネスして今でも楽しめてますか?』と。私の自問はもやはノーで、これは一時的というよりは、徐々にこうした傾向、すなわち中国が世界的な均質化の波にのまれていく流れは進行すると思う」

「私はやはり中国の、ヘンなところ、日本と違うところに惹かれ続けてきたのだけれど、それがだいぶ減って冷めちゃったのだろう。」

こないだ大阪の鶴浜のイケアにいたとき、自分が新三郷にいるのか、それともクアラルンプールにいるのかわからなくなった。ラクサ喰いたい。カップヌードルはシンガポールラクサ味をもう出さないのか?

松本のイーオンにいると、バンコクなのかジャカルタなのかわからなくなる。いやいや、バンコクのコスメ売り場はきれいなオカマちゃんにコロンを噴霧されるぞ。バンコクに丸亀はあるかもしれないけれど、小木曽製粉はないはずだ。

日本各地の気温が熱帯以上に上昇する昨今である。気候変動こそグローバルなのだな。


華人の歴史 リン・パン(潘翎) 片柳和子訳 みすず書房

 2020年8月13日

我が輩がマレーシアで働いていた1999〜2002年のころ、サラワク州クチンのホリデイ・インに小さな書店がテナントとして入っていた。その書店には当地の植物誌などにまじって、ボルネオに移民した華人の歴史の英語本があり、眺めているうちに時間が過ぎた。標記の「華人の歴史」は、世界中で出されたその種の出版物(本というよりもパンフレットに近いボリュームのも含め)多数を網羅・統合したような本である。

内容は膨大なアネクドート集で、おおまかな年代で区切られている。区切られた年代のなかで場所がダイナミックに飛ぶので、南洋について多少の地理感覚がないと混乱するかもしれない。たとえばマレーシアのペナンやマラッカからペラ州の錫鉱山やパハンに、そしていきなりマニラに飛ぶ。おまけに大学受験の英文解釈みたいな文体で書かれているので、慣れるまで読みづらい。

という難点はあるにせよ、アネクドートそのものが圧倒的な物語性をもっているので、ノンストップで読まされる。シンガポールの星州日報は胡ファミリーがタイガーバームの宣伝のために作った新聞だとか、キャセイの三代目は動植物誌に造詣が深かったとか、そんな蘊蓄も獲得できる。

翻訳者もさぞかし大変だったろうと思う。原典は英語だ。人名・地名・マフィアの組織名など、英語で表記された中国語の方言を漢字に戻す作業は、我が輩は長年その蓄積を地道に続けてきたつもりなのだが、ほぼミッション・インポッシブルだ。著者がいうように、

「(広東省の)三邑出身の教育のある人が、四邑の農民のしゃべることは一言もわからないというとき、その人はもちろん気取っているのだが、ほんとうに難しいのも事実なのである。例えば『ドイ』は広東の都市部で『チャイ(仔)』であったり、『ヒァット』が『セク(食)』だったりするのでは、分かるはずがないではないか。」

タイランドに多数の移民を輩出した潮州は広東省にあるけれど、言語的には福建省に近い。福建省でもっとも貧しいといわれる福清の言語は、福建グループの中でも突出して独特らしい。中国語の音韻史に興味がある我が輩でも呆然とするようなバリエーションのなかで、訳者は名詞のいちいちを原作者に照会しつつ翻訳作業を進めたのだろう。それだけでも定価4625円の意味がある。(我が輩は尼で1000円で買ったけど。)

さて周庭さんが逮捕拘束され、香港の民主人士の命運について憂慮される昨今である。筆者がいわく、

「かれら(香港の条約港中国人)が中国人であることを誰も否定しないが、その中国人らしさと中国的とされているものとは何ひとつ似通っていない。それは<全く独自>で、海外華人とも伝統的中国人の型とも違っている。海外華人が感じるような出自からの距離感はそこにはない。しかし同時に中国本土が持つ逃れがたい存在構造 -過去が現在を閉じ込めている- に絶望的にからめとられているという感覚もない。」

「ある意味で香港は、条約港という歴史の産物の、最後に生き残った見本である。そしてそれが命を終えるとき、我々はもう『条約港中国人』を見ることはない。」

1995年にだされたこの本は、いまこそ読まれるべきだと思う。


旅立つには早すぎる~追悼 岡 康道さん

 2020年8月10日

先般7月31日、岡康道が死んだらしい。享年63歳、ということは我が輩の兄貴より1歳だけ若い。日経BPで同級生だったオダジマとの対話が無料で読める。わしらが学生だったころのどうでもいい話が満載で、とてもおもしろい。マルクスを読まなきゃ、いやその前にヘーゲルだ、いやもっと遡ってカントだろう、って読んでみたら難しすぎて途中で挫折・・・なんてね。同世代の多くの誰もが通った径をあっさりと笑わせてくれる有難い企画だ。

旅立つには早すぎる

「旅立つには早すぎる」~追悼 岡 康道さん 人生の諸問題 最終回


塩尻和⼦筑波⼤学名誉教授の 「イスラーム⽂明とは何か〜近代科学と⽂化の礎〜」

 2020年8月10日

信州イスラーム世界勉強会第7弾

塩尻和⼦筑波⼤学名誉教授の

「イスラーム⽂明とは何か〜近代科学と⽂化の礎〜」

わかりやすく整理されていて、とてもおもしろい。

http://www.shinshu-islam.com/sislamcivil.pdf

塩尻先生の紹介

http://muslimworld.naganoblog.jp/

高速移動は必要なのか?

2020年8月5日

青年海外協力隊のそれぞれの任国に内輪の機関紙があって、隊員有志が投稿する。昔のこと、マレーシアの「あんぎん」を読んでいたら、こんなことが書いてあった。

(某隊員が)現地に赴任してからの変化といえば、歩く速度がだんだん遅くなったこと。現地スピードに近づき、ついに現地人に追い抜かされるようになった・・・云々。

我が輩はかねてから高速移動に疑問をもっている。だいいち途中の風景文物を楽しむことができない。これでは何のために珍しい国や珍しい地域で働き、生活しているのかわからないじゃないか、と思っていた。

昨今の世の中、オンラインで用務を済ませることがふつうになった。ブツはクーリエで送ればいいのだから、人間が高速移動する必然性は減ったんじゃなかろうか。リニアなんて完成するころにはみんなそれに気付くんじゃないかな。

お盆や春節みたいに猶予がなくて帰省しなければならないようなとき、高速移動が必要になる。オンラインや他人やブツで代用できないような、人間のふれあいが大切なとき、かつ時間が区切られているときは例外だけれど、みんなが殺到すれば待ち時間が発生し、結果的に高速移動じゃなくなる。それはまた別問題だな。

新コロナ騒ぎはいわゆるパラダイムシフトだと思う。

今日は健康診断で、問診票の項目に「歩く速度」というのがあって、「人より遅い」にチェックを入れた。それで「あんぎん」の投稿を思い出した。

不愉快なことには理由がある 橘玲 集英社

2020年8月4日

たとえば、「愛国はめんどくさい」とか、「アホが正規分布していないから選挙結果が中庸に落ち着かない」とか。

世の中のことについて、なんでこんな政治が腐っているんだろうとか、なんでこんなにアホが多いんだろうとか考えがちなとき、この人の本を読むと頭が整理される。

野中広務 差別と権力 魚住昭 講談社

 2020年8月2日

我が輩の実家のある今津は甲子園の隣だけれど、甲子園とはぜんぜん違う。甲子園はふだん静かな住宅街で、ただし阪神タイガースの試合と、いまは自動車教習所になった競輪場で公営博打があるときだけガラが悪くなる。そして今津は毎日ガラが悪かった。そんな今津で生まれ育ったので、被差別部落と在日朝鮮人、貧困と格差と差別と暴力はふつうの日常だった。

後者はおおいに語ったけれど、前者は寡黙だった。その寡黙も苦味も共有できないけれど、体温を感じる距離にいる。その近さは我が輩のアイデンティティーの一部を形成している。だからなのかこの本は、時間を忘れて夜半まで一気読み。

*****

野中が大鉄局に在職していた1951年7月の夜のことだ。川端は野中と二人で梅田の闇市で酒を飲んでいた。そこに中年女が近づいてきた。(略)客を二人連れて行けば5円もらえる。それで子供に運動靴を買ってやりたいと、涙ながらに訴えるの女の顔をみて野中は、

「わかった。あんたはウソをついとらん。もういっぺん引き返そう」と言った。二人は中年女の案内でバラック建ての売春宿に入った。

「これで運動靴が買えるやろ?」

野中が言うと、彼女は何度も頭を下げた。二人は階段を上がった。(略)白いワンピースの女がうちわで顔を隠すようにして座っていた。やがて女がうちわをはずすと(略)火傷の跡が額から口元にかけて斜めに走っていた。年の頃も検討がつかない。(略)

野中は女に話しかけた。

「あんた気の毒な目にあわれたな。戦災でそうなったんとちがうか」

女は戦時中の体験を語りだした。落ち着いた話しぶりからして、相当な教育を受けてきたらしい。野中は腰を据えてそれに耳を傾けた。

「いろいろ苦労してきたんやな。命があっただけでもよかったやないか。これから必ずいいことがあるからな」

最後にそう言って20円ほどの金を握らせた。

(・・・のちに再開した女が川端に語っていわく)

別れ際に彼女はそこにいない野中に両手を合わせて拝むようにしながらこう言った。

「あの人はきっと偉くなる。だって私がこうやって毎日、あの人が出世してくれるように祈っているんだから。」

***

うって変わって後半は政権党の権力闘争の描写。野中が幅広い人脈で集めた情報をもとにライバルを恫喝する様子が克明に描かれる。

この本が出たのは2004年。10年後の2014年、松本龍復興大臣がいわゆる暴言問題で失脚。血の繋がりはないが、「部落解放の父」松本治一郎の孫にあたる。出自にかかわらず、というよりも、他人の痛みを想像できない三代目になったということか。

隣にいて体温を感じることが忌避されるご時勢。行政府の無能ぶりを人民が攻撃するようになると、そのエネルギーをそらせるため、権力は人民が互いに毟りあうように分断工作をはじめるんじゃないだろうか。たとえばワクチン接種者と非接種者のように。マスク憲兵はすでに出現している。派遣に社員食堂を使わせるなという正規社員がいるらしい。日本人はそういうケガレ排除が大好きそうだ。


アジアを読む 張競 みすず書房

 2020年8月1日

著者は1953年の上海生まれ。きっと生まれ故郷でも上海語と北京語の二重言語で、母語の外を生きてきたのかもしれない。それにしても張さんの日本語はすばらしい。内容的には書評で、取りあげた本も硬軟取り混ぜてあって、気楽に読むことができる。

加藤徹の「京劇-政治の国の俳優群像」の書評で、京劇についてのイメージを覆された。これはぜひ読まねばならぬ。いわく、京劇は政治の影響を受けてきただけではなく、メディアとして政治を誘導・扇動したことも多く、地方芸能が成長するために権力とつるんできたのだ、と・・・ここまで書いて、やっぱりこんな硬いオタク本は読むのをやめようと思った。

佐野眞一さんの「阿片王-満州の夜と霧」も取り上げられている。「数々の貴重な証言を集めた昭和史の本として、長く歴史に名が残るであろう」と絶賛している。里見甫は上海の東亜同文書院を出ているから、上海人として著者はさらに切実に感じるのだろう。


なぜシステム開発は必ずモメるのか 細川義洋 日本実業出版社

 2020年7月28日

茅野駅前にC12型SLが鎮座している。大東亜戦争のころ茅野の北山で産出した鉄鉱石を運ぶのに活躍したらしい。このSLが1932年製。

イギリスで最初のSLが走り出したのが1804年なので、それから128年後、極東の日本で日立がSLをつくっていたということになる。

冒頭の本に書いてあることで印象に残ったこと。IBMがPCを出したのが1981年。それから40年しかたっていないので、システム開発業界もまだまだ発展途上だということ。当たり前に使われているネジでもバルブでも、無名の工人の工夫がいっぱいつまっている。システム開発もまだまだこれから、と考えるべきなのだろうな。


2021年4月3日土曜日

朝、上海に立ちつくす 大城立裕 中公文庫

2020年7月5日

アメリカには複数の諜報機関があって、悪名高いCIAはそのひとつなんだけど、数にすると「幾つも」どころではなく数十のロットであるという。それらが独自にそれぞれの第3セクターを持ち、それぞれにロッキードマーチンやらボーイングやらレイソンなどの軍需産業、CNNやらMSNBCなどメディアと複雑に絡み合っている。イランの革命防衛隊も中国の人民解放軍もイスラエルも似たようなものなんだけれど、かくなるビジネスモデルは欧米の発明品ではなく、1900年から1945年の半世紀のあいだの日本に原型を求めることができる

・・・というのは単なるツカミのイントロなのだが、上のツカミで説明できないのが、なんで我が輩が東亜同文書院とか、満蒙文化協会とか、西北研究所とか、興亜義塾とか、満鉄とか、そのへんの話に魅力を感じるかということだ。

満州国について述べれば、満鉄が走らせていた特急あじあ号は新幹線のぞみの祖父であるとか、いまアメリカ軍がアフガンでケシ栽培を奨励してそれを買い上げてマフィアに流して活動資金を現地調達しているとか、でもそれはアメリカ軍とかCIAのオリジナルではなくて安倍ぴょんの祖父・岸信介と盟友の里見甫(1913年に東亜同文書院入学)が描いたグランドデザインのパクリであるとか、CNNはプロパガンダ機関である満州国通信=いまの電通のパクリであるとか、だから現政権のやりかたは祖父の時代にくらべたらそのケチさにおいて象と蚤くらいの違いがある・・・なんていうテンプレもじつはあんまり関係ない。満鉄については資料・研究が多すぎて呆然とするのみだ。

強いていえば、我が輩が大学生だったころ、「(東亜同文)書院生だったらしい」という噂があった教授に学んだとか、恩師の長田夏樹先生は満鉄の子会社の西北交通に就職して、それから満蒙文化協会にヘッドハンチングされたとか、それから藤枝晃や梅棹忠夫など巨人を輩出した西北研究所に出入りしていたとか、そのあたりからその時代、その地域の体臭みたいなもんを皮膚で感じられるような気がする、ということだと思う。

ともかく、標記の本はおもしろい。あんまり面白いので、先に読みはじめた

甘粕正彦 乱心の曠野 佐野眞一 新潮社

をすっとばして、一気に読了してしまったくらいだ。もっとも佐野眞一巨匠の文体になじみにくいというのもあるけれど。読み終えるのかな?

琉球人の著者が中国人から「どうして琉球人が日本兵になるのか?」と尋ねられる。それは北方4島の人たちに対し日本人が「どうしてロシアに義理立てするのか?」と問いかけるようなものなのだろうか?

「魯迅は虹橋路校舎の講堂で講演をしたことがある。蒋介石から弾圧を受けているさなか、昭和6年のことであった。魯迅にとって、あるいはかの学生たちにとって、同文書院は同志であったのか敵であったのか。」

我が輩が大学にはいったとき授業料は3万6千円やった

 2020年6月28日

我が輩が大学にはいったとき授業料は3万6千円やった。年間やで。1年上の先輩らは1万8千円やったけど、それはともかくこれを「社会主義的」と言ってもよろしかろう。

イランで暮らして働いてたとき、職場のみんなと飯を食ってた。そのとき掃除のおばさんの娘さんがテヘラン工科大学で優秀学生に選ばれたという話になった。イランは高等教育までぜんぶ無料。アメリカがイランを憎む理由の一端がわかる気がする。日本も、ダボスなんJ民みたいな考え方が主流になってしもた。

株式会社ノイズ研究所40周年記念 EMCとともに40年

 http://www.noiseken.co.jp/uploads/open/noiseken_40th.pdf

航空管制ターミナルで管制官が椅子から立ちあがったときに機器が誤動作する。椅子はガスシリンダーで上下するしくみ。そのせいで絶縁状態で帯電しノイズが干渉した・・・なんて逸話がいろいろと書いてある。会社でノイズ発生機というのを使っていて、それを作っているノイズ研究所が出した記念冊子。とてもおもしろい。

NHK「世界のいま」

2020年6月14日

偏向・有色人種差別クリップでいちやく脚光を浴びたNHK「世界のいま」

GGがいつもこれをつけている(というかGGはテレビ放送はじまって以来NHK以外は見ない)ので仕方なく目にはいってきたのだが、いわく、パキスタンの農家がバッタ被害で「300万円相当あった年収が100万円相当になったので1日3食だったのを1食に減らした」とのこと。

・・・パンジャビ(だったかシンドだったか)の農村で何ヶ月か暮らした綾ちゃんによると、典型的な小作農は「まいあさ唐辛子とヤギのミルクの朝食。それで1日働いて、夕食はチャパティー(だったかナンだったか)をみんなでわけわけして食べるのがせいぜい」とのこと。

ということは、登場したオヤジは相当の富農、というか農奴をコキ使う立場の階級なのだ。

NHKのイスラマバード支局長がそんな小作農の暮らしを知らないのは当然、というのも、JICAで働いているような大卒パキスタン人でも小作農の生活なんて知らないことなのだからそれはしかたない。

しかしその自覚なくして公共放送でそれらしく仕立てて放送するというのは日本サイドの編集の問題。という以上に、階級流動性をなくしたメディアと社会がどれほど狭量になるかということだと思う。

菜の花の沖 司馬遼太郎 文春文庫

2020年6月7日

こんど夏休みに月子が帰ってきたとき、なんかの話のねたにしよと思うて読んだ。5巻めまでロシアの話が出てこんかった。おもしろかったけど、けっこう長かった(全6巻)

信毎新聞で保坂正康がことしは大東亜戦争の敗戦から75年め。明治維新から大東亜戦争の敗戦までが77年で、それに匹敵する時間と言ってた。この本の主人公・高田屋嘉兵衛がロシアとかかわったのが明治維新の60年くらい前。巻末の解説で谷沢永一がポイントを要領よくまとめてくれている。いろいろと考えさせられた。

納豆の快楽 小泉武夫 講談社文庫

 2020年5月26日

中国だか東南アジアのどっかでうなぎを出されたので半分がた食ったところで、それがなま焼けだったと気づいた小泉教授。いつも持参している納豆を数パックを一気食いしたらなんともなかった・・・てな話と、納豆のレシピが満載の本。

これを読んでからこのところ朝晩1パックづつ、いろんなやりかたで食べてきた。そしたら腸内微生物環境が改善されたらしく、調子がいい。内臓脂肪も落ちてきたような気がする。


コルベットレポートがコロナウィルスシリーズでビル・ゲーツとはいったい何者なのかを特集している

 2020年5月26日

https://www.corbettreport.com/meet-bill-gates/

コルベットレポートがコロナウィルスシリーズでビル・ゲーツとはいったい何者なのかを特集している。祖父の代からの銀行家で、優生学会と関わりが深かったという。優生学はヒトラーの活躍でケチがついてしまい、明るい家族計画に脱皮したものの、途上国にほんとうに必要なのは衛生環境という定説をものともせず、とにもかくにもワクチン開発・・・と邁進したこの10年間でビル&メリンダ・ゲーツ財団は資産を倍増させたとな。

ライカ同盟 赤瀬川原平 ちくま文庫

2020年5月18日

こないだの雨の日、アルトくんに月子をのせて岡谷のブッコフに本を売りに行った。道中、ロシアとか文学の話を聞いた。チェーホフの「桜の園」を読むのが苦痛なのだそうな。さらに言うと、戯曲一般を読むのが苦痛なのだそうな。

「それはワイのせいかもしれないな。」と告白し反省した。

「ひぐらしの鳴くころにね。」

なーんてセリフが嘘くさく、人生でこんなセリフ言うたことあるんか?ないやろ?恥ずかしいやろ?さぶイボたつやろ?

・・・こんなオヤジだったので、娘も戯曲が苦痛になったのではなかろうか。

さて岡谷のブッコフにはさいきん凝っている町田康の本がバーゲン価格でどっさりおいてあったので、たくさん買った。それで町田康の文体疲労を起こしたので、赤瀬川原平のライカ同盟を読みはじめた。ライカ好きではないのでライカ同盟はあんまり面白くなかったけれど、天体観測小説の「ノバシグナス1975」はたいへんおもしろかった。


パンク侍、斬られて候 町田康 角川文庫

 2020年5月15日

三島由紀夫を読んでなくとも、夏目漱石を読んでなくとも、町田康を読んでいないとこれからの日本文学は語れないと思うのだ。

「いずれ私を掛十之進と知っての狼藉であろうがいきなり斬りつけるとは卑怯千万。名を名乗られよ」と腹から声を出した。錆びたよい声であったが、内心ではやはり家で寝ていればよかった、と思っていた。

男は笑った。

「ふっ、ふっふっふっふっふっふっ、ふうっ。ちょっと疲れた。しかしながら俺の秘剣『悪酔いプーさん、くだまいてポン』をかわすとはお主、できるな。」

月子の教科書が届いたというので、富士見の本屋に行った。そこでこの本があったので衝動買いして、2日で読んでしまった。


ビルゲーツは間抜けである

2020年5月13日

ビルゲーツの人生をひとことで総括すると「独占家」ということになるんじゃないか。

PCデスクトップ界のつぎはヘルスケア界の独占である。

ビルゲーツはウィンドウズOSで財産を築いたのだが、そもそもITのスペシャリストではない。ウィンドウズに先立つDOSは王博士がつくったものを買ってMS-DOSとしてIBMのパソコンに載せて大当たりした。

その金で若い者雇をい、アップルのOSを真似て造らせたのがウィンドウズ。ワードもエクセルもどっかから買ってきたもの。

ビルゲーツは医者でも研究者でもないけれど、さいきん大きな顔をあちこちに露出させている。ビル&メリンダゲーツ財団はさいきんその資産を倍増させた。

悪の帝国である。

日本政府のコロナ(武漢肺炎)対策はそもそも、入り口の警戒をスカスカにしておいて、老人と貧困層を犠牲にしつつ人口の過半数を無症状のままウィルスに感染させ、集団免疫を獲得するというものだったようだが、それが途中でいきなり変わった。トランプになんか言われたからだろうと田中宇さんは書いているが、我が輩はビル&メリンダゲーツ財団が介入したのではないかと考えている。ビルゲーツはPCのOSを独占したのと同じ手法で世界のヘルスケアを独占しようとしている・・・とコルベットレポートが言っているが、そのとおりだと思う。

ビル&メリンダゲーツ財団は、ワクチン開発にかかるカネをすべて自分のパイプラインを経由させようとしているみたいだ。

そんなパイプラインなど経由せずとも、日銀はETF買い入れで日本の大企業のほとんどの大株主になっている。そのなかには製薬会社も含まれているにちがいない。いっそのこと製薬会社を国有化して新薬開発に取り組ませればいいようなものだが、それをしない。なぜかというと、景気がましになったら優良企業の株を売って儲けるつもりだからである。売国奴と独占家がつるんでいる構図である。

インターネットの黎明期において、ファイヤフォックスの先祖にあたるモザイクというブラウザーがあらわれたとき、ビルゲーツのマイクロソフトは技術的に劣位だった。しかしすでにOSを独占していたので、そのOSと(いまだに)できそこないのブラウザーを抱き合わせてモザイクを葬った。OSを人質にしてユーザーを脅したのである。

コロナウィルスでは、脅威を人質にしてカネを自分のパイプラインに誘導したいのだが、残念ながら脅威と経済がトレードオフの関係にある。脅しが過ぎれば経済が死ぬ。経済を生かそうとすれば脅威が忘れられる。

感染力は強いかもしれないが、インフルエンザほどの死亡率ではない。収束はないかもしれないが、インフルエンザも同じく収束がない。

ワクチンが開発されるかもしれないが、インフルエンザワクチンと同じく、ワクチン接種して調子がわるくなる人が多くなるようないいかげんなものにちがいない。

たしかウィンドウズXPの時代だったと思う。じゃまなイルカがいたのを各位におかれてはご記憶であろう。「おまえを消す方法を教えろ」とかめちゃめちゃ言われて「答えがみつかりません」とトボけていたあのイルカである。ウィンドウズのヘルプなんて、まるでインフルエンザのワクチンみたいなものだ。いちおうそこにあるけれど誰もあてにしていない。答えはたいていみつからない。

ビルゲーツはカネの匂いを嗅ぎつける天才だが、ディテールにおいて間抜けである。日本国において人民はすでに自粛をやめようとしている。弱者が死ぬのは気の毒だが、自分が経済的に死ぬのはもっといやだ。イルカが頼りにならないのは骨身にしみている。ウィルス対策でもいまだにマカフィーとかカスペルスキーにかなわない。

浄土 町田康 講談社文庫

2020年5月12日

仕事を1時間半早退きして歯医者に行き、ブッコフで内儀と待ち合わせした。町田康の「浄土」があったので買った。

「飲み食い世界一の大阪」で江弘毅が

 毎日、あほやうどんにまみれて生活をしているとたまに本音街に行きたくなる。

というくだりを紹介していた短編集だ。

帰宅して晩飯を食い、グラスに氷をいれて2階にあがり、グラスにコーンウィスキーを注いだ。

内儀のグラスにもコーンウィスキーを注ぎ、「本音街」を読みはじめた。

 正面のエレベーターのところまでそそくさ行って、ボタンを押して待っていると、扉が開いてなかから女が降りてきた。

 いい女だった。スタイルがよく顔がよくセンスがよく頭がよさそうだった。

 (略)

 「いまエレベーターのなかで屁をこいたので臭いですよ。」

 私は本音街のこういうところが好きだ。

おもわすウィスキーを吹きだしそうになった。

酒と酒場のベストエッセイ TBSブリタニカペーパーバックス

2020年5月11日

学者やら物書きなどヨッパライによるエッセイ集。「サントリークオーターリー傑作選」だそうな。

ほとんどは酔っ払いのどうでもいい文章ばっかりだけれど、そのなかで朝吹登水子さんと清水俊二さんの文章がすばらしい。


我が輩は病気である 赤瀬川原平 マキノ出版

2020年5月11日

「老人力」の赤瀬川原平である。もっと遡ると、千円札を精密に模写した作品で逮捕された赤瀬川原平である。おもしろくないわけがない、と思って読みだした。

あとがきにいわく、月間「病気」なんて雑誌を出したらどうだろう?と仲間内で話し合っていたら、「壮快」という雑誌が出いている。中身は病気の話だ。その「壮快」に連載されたのがこの本の内容である。まんなかへんの「犬は健康にいい」というあたりでおもしろくなる。「くよくよ健康法」のあたりで赤瀬川さんの本領発揮か?と思ったら、それからヘタレて終わってしまう。やっぱりトシには勝てないようだ。

比較思想の先駆者達 中村元 広池学園出版部

2020年5月10日

1982年出版の古い本で、南方熊楠以外は知らない人ばかり出てくるので買おうかどうしようか迷った。しかし広池千九郎が取り上げられているので買ってみた。

「広池千九郎は不思議な人物である。(略)一部の中小企業経営者にはまるで救世主のように仰がれている。その仲間の人々は、やがて研究所をつくり、麗澤大学という大学やいくつかの高等学校を建設した。」

うちの娘たちが小さかったころ、麗澤大学の近所に住んでいた。遊ばせるときはたいて麗澤大学のある広池学園の芝生や森に連れて行った。そこに広池千九郎の銅像が立っていて、この本によると、「拳を握って腕を曲げ、三井・三菱なにするものぞ!と叫んでいる銅像」とのことである。

明治時代を中心に、当時の潮流とは異なるオリジナルな議論・批評を展開した人たちの話。読みはじめるとなかなか面白い本だった。

ロシアについて 司馬遼太郎 文藝春秋

2020年5月10日

司馬遼太郎が坂の上の雲を書き終わったころの文章なので、「ソ連」と表現されている。古い本だけれど、いま読むとおもしろい。とくに散文の譜系にゴロヴニンの日本幽囚記を位置づけ、それからプーシキン〜トルストイやドストイエフスキーにつながるという視点は、「なんでいきなり罪と罰やねん?」という疑問に対する解法のひとつだと思う。

山でクマに会う方法 米田一彦 山と渓谷社

2020年5月9日

自粛自粛とうるさい今日このごろ、登山口の駐車場が閉鎖されている。しかし春は山菜採り、秋はきのこ狩りのダイハード爺婆は今日も山に入っているにちがいない。観音平でほっかほかのクマの糞を見つけ、あわてて立ち去ったのはかれこれ4年まえだったか。山でクマにあいたくない人は読んだほうがいいと思う。

飲み食い日本一の大阪 江弘毅 ミシマ社

 2020年5月6日

読みはじめて最初は著者の立ち位置がよくわからんかった。どんなオッサンやろかと後ろ書きをみたら、1958年岸和田生まれ神大農学部卒と書いてある。ほんなら同い年で、高校の同級生のニシクラとおんなじ学部やん。

「なんで京都で(たいしてうまいとも思わない)ハモを食べなあかんのか」は大阪人の疑問である・・・このあたりから俄然おもしろくなる。

先輩に連れていってもらった東京の花街の老舗寿司屋で、職人の爺がお高くとまっているので「そこからそこは『うまいだけ』のものになった」・・・だんだん筆者のいうことがはっきりしてくる。

「京都の店は一見でいくところではない。(略)そもそも京都の飲食店というところでは、知らない外国語を知らない土地にはいってだんだんわかるような仕方でしか楽しめないからだ。」

「お好み焼き屋にかぎらず、食いもん屋や飲みもん屋を客観的に評価することほどあほらしいものはない」

神戸元町の丸玉食堂の描写もいい。神戸の餃子屋では赤萬とひょうたんが登場する。我が輩は赤萬でもひょうたんでも餃子を食ったけれど、ぜんぜん印象に残っていない。記憶に残っているのは深夜の泰南(二文字ともくさかんむりつき)の餃子と、にんにく味噌ダレと、餃子を焼く寡黙な白綿シャツのおやじと、カウンターの化石のようなばあちゃんだ。

誰にでもわかる中東 小山茂樹 時事通信社 1983年

 2020年5月5日 

労作で、名著といっていいかもしれない。あとがきにいわく、曽野綾子の「アラブのこころ」について、「アラブをほとんど知らなかった一作家があの程度のものを書くのであれば、中東とまともに取り組んできたものが専門でないからという口実で素通りできるものではあるまい」と云々。

イスラム世界の通史の部分は一応定説とされる西欧の文章からの翻訳ダイジェストなので文体も退屈。しかし1983年の時点でのアラビア通史は、日本語訳があったとはいえ一般読者の手の届くものではなかったので、ここで紹介されたのであろう。いっぽう現代に戻り、イラン革命とイスラエル・パレスチナ問題の経緯は読みごたえがある。とくにイランのモサッデグ政権転覆にCIAが関与したことを、ごく最近までアメリカ政府がそのことを「陰謀論」として認めなかったくらいなのに、1983年の時点であっさり書いているのはすばらしい。

また、ユダヤ人迫害とシオニズムはアラブではなく西欧の問題であると断言しているのも好感がもてる。イスラエル対アラブの構図のみでパレスチナ問題を捉えているかぎり、サウジとイスラエルの急接近は理解できないのだろうけれど、長年ユダヤ人とアラブ人が折り合いをつけて共棲してきたことを考えると不思議なことではない。

汽車旅の酒 吉田健一 中央公論新社

2020年5月5日

酒井順子さんの「黒いマナー」で、井上ひさしが「エッセイとはすなわち自慢話である」と書いていたのを一読し、まさにその通りなので赤面したと書いてある。

「汽車旅の酒」の冒頭に出てくるのが「金沢」編。

「旅行をするときは、気がついてみたら汽車に乗っていたという風でありたいものである」

なーんて書いておきながら、その旅の同行者は河上徹太郎、それに辻留の三代目と観世榮夫。金沢の一流旅館で、一流料亭で、造り酒屋で、茶席で、お茶屋で、あるいは某邸宅で、コネと金と大家巨匠の名声がなければぜったいに賞味できない食べ物を稀有の茶器でいただくという旅。そのタネあかしを他ならぬ観世榮夫が巻末に書いている。

アホらし。

新幹線が開通すると、ほんとうに旅行したい人は東海道線に乗るのだろうから、「その東海道線の列車が新幹線のを真似て駅での停車時間を今の半分に短縮することで、東京から大阪まで今よりも四分半早く着くような不心得を企んでいるとは思えない。」

・・・。

石油という単語のこと

現代アラビア語小辞典を眺めていると、石油=naftと書いてあった。ロシアの国営石油会社のことをロスネフチという。月子によると、ネフチというのは石油なのだそうな。ロシアとアラビアを文化的に媒介するのはギリシアくらいしか思い浮かばないのだが、ギリシア語ではどっちかというと「ケロシン」系の単語が古いみたいだ。ということは、ロシアとアラビアに直接の文化的接触があったのか?それとも、ペルシア語でも石油=ナフトなので、ペルシア経由なのだろうか?

これがC級グルメのありったけ 小泉武夫 新潮文庫

 2020年5月4日

納豆をかきまぜて付属品のタレとカラシ、そして茹でたアサリの身を刻んで入れてさらにかき混ぜ、刻みネギを載せる。内儀はアサリよりホタテが好きなので、生食用の茹でホタテでつくったら大好評。翌日に退院する爺は低塩分必須なので、同じ料理(?)をつくって欲しいと内儀にいわれ、つくったらこれまた大好評。今日はじゅんことつっきーが来るそうなので、また作ろうか。

TVピープル 村上春樹 文春文庫

 2020年5月3日

学生時代からレイモンド・チャンドラーを何回も読んでいる。ニューヨークでもクアラルンプールでもジャカルタでもイスラマバードでも、いろんな本屋でチャンドラーを買った。チャンドラーは1959年に死んだので、村上春樹はチャンドラーの生まれ変わりではない。けれど村上春樹は我が輩にとって、チャンドラーが京都で生まれて西宮あたりで育ち、日本語でちょっと不思議な小説を書いてくれているという存在だ。だから村上春樹がチャンドラーを訳したとき、いままでの大家巨匠のチャンドラー訳がかなりずさんだったのもあって、おさまるところにおさまったという感覚だった。

TVピープルはちょっと不思議どころではなくて、かなり不思議というかヘンな作品集だ。同じような背景とか同じようなネタが短編にも長編にも出てくるという点でも、村上春樹はやっぱりレイモンド・チャンドラーなのだ。

京都ぎらい 井上章一 朝日新書

 2020年5月3日

西宮から名神高速で諏訪に帰るときはたいてい京滋バイパスで京都をはぶくし、新幹線で行き来するときも「国鉄が京都に寄るから遠回りなんや」とぶつぶつ言う。そして枝雀さんや米朝さんの「京の茶漬け」を聞いてうひゃうひゃ笑っている我が輩に、関東人の内儀は「ひょっとして京都が嫌いなの?」と問う。そういうときは「京都はややこしいんや」としか言いようがない。

その京都のややこしさを、嵯峨野=洛外で生まれ育った著者が恨みを込めつつ書いているのがこの本。

著者はもう一歩踏み込んで、京都の寺の土地が9割がた新政府に接収された明治維新が革命だったこと、江戸城こそ無血開城されたけれど、京や会津では血なまぐさい戦闘が行われたこと、そしてその流れが大東亜戦争まで続いたと考察する。さらに、京都人が天皇に戻ってきてほしくなどないこと、東京のメディアと京都が共依存関係にあることなども言及する。本筋から離れたそのあたりがおもしろい。

人とこの世界 開高健 中公文庫

 2020年5月3日

ディカーニカ近郷夜話 ゴーゴリ 工藤精一郎訳 平凡社

ずいぶん前から長いフライトの旅には開高健のベトナム闇作品をもっていくと決めていて、その長い文を解読したり、分解して機能を考えたりする作業のあいだに長い居眠りを貪るのであった。

ちかごろは長いフライトに乗ることもないので、単なる居眠りを貪っている。

開高健には「人とこの世界」という軽くない対談集があって、そのどこかに、18歳の開高健がゴーゴリの「ディカーニカ近郊夜話」を読んでその人物描写に衝撃を受けたというようなことが書いてある。

そのディカーニカ近郷夜話を手に入れた。1965年版。さっそく読んでみると、ひとつの段落にひとつしか「。」がないような長い文の連続。じきに読むのがいやになった。同じ本に収録されている「隊長ブリバ」の文体はそうでもないのだが、ブリバというジジイが、奥さんの用意したディナーをテーブルごとひっくり返すような粗暴さで、やっぱりいやになった。斜め読みした結果、この家の男ども全滅というどうしようもないストーリーだった。

おそらく18歳の開高健はディカーニカに出会って「これや!これでいこ!」と思ったにちがいない。

対中国人交渉ごと必勝法 小林修

 2020年5月2日

大学の先輩には小林(シャオリン)が二人いて、ひとりは大学院生だったので大小林(ターシャオリン)、もうひとりは小小林(シャオシャオリン)あるいは小林修(シャオリンシュウ)と呼ばれていた。

小小林は1年上で、テニス部で日焼けしていて、中国語がとてもうまくてかっこよかった。この本では、商社マンとして中国に駐在してからも、通途のコンドミニアム暮らしではなく、町家に下宿して中国語研鑽に励んだことが紹介されている。

惜しむらくは、この本を知ったきっかけが先輩の逝去だったこと。

六甲山房記 陳舜臣 岩波同時代ライブラリー

 2020年5月2日

大学受験が終わったころ、陳舜臣さんの「敦煌の旅」が出たので、買って読んだ。我が輩の中央アジア志向はそれで決まった。

大学3年生になったころ、学校から尾根と谷を隔てた山に住んでいた。その鉄筋造りのアパートを出て、工務店の横を通り過ぎて草むらをしばらく歩くと六甲学院がある。その近所に「陳舜臣」と表札のある大きな家があった。高名な人がずいぶんご近所だったのに驚いた。

数年後、我が輩はニューヨークの繊維街で働いていた。昼休みや休日にロックフェラーセンターの紀伊国屋で「世界」と「噂の真相」を必ず買っていた。その「世界」で1985年1月から1986年12月号まで連載されたのがこの六甲山房記。孤独だったので熟読した。郷愁もあったのだろう。

陳舜臣さんは大阪外大のインド・ペルシア語学科を出ている。ムガール帝国の朝廷語はペルシア語だったとはいえ、インド語(ヒンドゥー・ウルドゥー語)とペルシア語はかなり違う。その時代、学生のレベルが格段に高かったのにちがいない。

陳舜臣さんにはオマール・ハイヤムの「ルバイヤート」の翻訳という労作がある。ご本人にとってはこれが本業で、それ以外は余技という感覚だったのかもしれないな。

黒いマナー 酒井順子 文春文庫

 2020年5月2日

酒井順子さんは内儀と同い年。ついでに高野秀行さんも、筋少のオーケンも。丙午だけあって、とても面白い人たちを排出、ではなく輩出している。この本もおもしろい。

古代スラヴ語の世界史 服部文昭 白水社 2600円

 2020年5月2日

けさの信毎新聞の広告で見て、月子に「こんな本あるで。」と話したばかり。もちろんまだ買っていないし、読んでもいない。値段高いし、中身が専門的なので中古で出るには20年くらいかかりそうだ。悩ましいな。富士見町図書館に購入申請しよか。

月子によると、ロシアに留学した先輩いわく、スラヴ語を勉強したら、ロシア語の不規則活用がなんでそうなのかわかるということもあるらしい。つまりロシア語ですら(!)簡略化されたスラヴ語なのだ。

我が輩が若いころ勉強した中国語は、いわば、漢字をそれなりに並べていくのが文法。格変化も時制もない。

月子に「なんでロシア語はそんなややこしないとあかんねや?」と尋ねたところ、

適切な格の単語を適切なところにおいたら「かなり楽できるねん。」

「マレー語とかインドネシア語みたいに格変化も時制もなかったら、そのたびに想像力を働かせなあかんけど、ロシア語は格がばっちり合うとったらエエゆうこっちゃな。数式みたいに。」

中東とISの地政学 山内昌之編 朝日新聞出版

2020年5月2日

あたまから読みはじめるとじきにいやになる。先生たちの硬い文章が多い。けれどこの3編はおもしろかった。

第11章 紛争が常態化する中東での経済活動を考える 星野守

第12章 一総合商社の活動の歴史から見たイスラーム市場の魅力 吉川惠章

うえのふたりは三菱商事の商社マン。

第17章 歴史のなかの中央アジア —ゼンギーアタからの眺望- 小松久男

この章のみ、歴史・文化の観点から帝政〜ソ連〜ロシアとトルキスタンの関わりを宗教・文化面から眺めている。

意外なことに、*スタンとロシアの関わりについて書かれた日本語の文章はあんまり見たことがない。

以上、ブッコフで200円の本なのにこれだけ当たりがあったら嬉しい。

乾隆帝 その政治の図像学 中野美代子

 2020年4月28日

中野美代子は、我が輩が大学で中国語を学びはじめて最初に読んだ本のうちの1冊の著者だった。

そのときはいったい何が書いてあるのかよくわからなかった。それから40年くらいたって、中野美代子さんの「乾隆帝」を読んだ。やっぱりよくわからなかった。正確にいうと、書いてある内容はおおよそ理解できたのだが、いったい何がおもしろいのかさっぱりわからない。40年間の時空をはさんでよくわからないのだから、向いていないのか、あるいは別次元の別宇宙の住人なのだろう。

中野さんは学者で、乾隆帝の残した膨大な詩や宮廷画家の絵画をもとに話を展開しているのだが、内容はほとんどフィクション的である。司馬遼太郎よりもっと理屈っぽい歴史小説といった趣か。

2021年4月1日木曜日

居酒屋吟月の物語 太田和彦

 2020年4月24日 

「黄金座を出ると夕方になっていた。人影のなかった町も商店には灯りがともり、子供の手をひき買い物かごをもった母親がゆく。八百屋はネギを新聞紙で丸めて渡し、代金をぶら下げたザルに放り、肉屋からはコロッケを揚げる匂いが、茶舗からは茶を焙じる香ばしい香りが漂ってくる。懐かしい商店街の懐かしい眺めだ。」

下諏訪は通勤途上で、鍋をもって豆腐を買いにいく主婦とすれ違うような町だ。町の人々は平成でも令和でもなく、「いつの御柱祭だったか」を時間軸に暮らしている。だから居酒屋吟月の物語を読んでいて、無意識に下諏訪をモデルに考えつつ、少しづつ読み進めている。

こないだ小林せつこさんと会ったとき、せつこさんの横浜の実家が映画館だという話になった。この本の話をするとせつこさんはさっそく「読みたい!」とのことで、本をもって帰宅した。こんど会ったら感想を聞いてみよう。

史上最悪の英語政策 嘘だらけの4技能看板 阿部公彦 ひつじ書房

 2020年4月28日

すぐに読めるページ数で、とても読みやすいけれど、じつはとても難しいことが書いてある。

これを読んで思い出したのだが、家内が最初に我が輩の実家を訪問するとき、そのまえに梅田のトンカツ屋でこんな話をした。

「ウチの実家はみんな、好き勝手なことを同時に喋るんや。」

いまになって考えると、その場でどんな話が進行しているかを考慮することなく、好き勝手に話しはじめるのは明らかにボケの初期症状だった。

この本で批判されている、「(英語を)間違えてもいいからとにかく大声で喋ろう!」というのは、ボケ老人とどこか通じる手法であると言えないか。まず周囲がどんな話をしているのか、それを聞くことができるリスニングが大事でしょう。

ちなみに実家の家族はオカンを除いて全員ボケた。

この本には、ことばに関わるすべての人が読んで考えさせられる内容が書いてある。

下諏訪に相楽塚とか魁塚と呼ばれる石碑がある

 2020年4月25日

下諏訪に相楽塚とか魁塚と呼ばれる石碑がある。ここで相楽総三など8名が斬首処刑されたのが1868年という。

山田風太郎の人間臨終図鑑を読むと、相楽総三の赤報隊はたんなる新政府側のテロリストだったように書いてある。でもちょっと違うらしい。

当時の日本はまるで今のシリア、ちょっとまえのリビア、あるいはアフガンみたいに乱れていて、明治新政府は勢力拡大のため赤報隊に「年貢半減」と宣伝させたが、じきに局面有利に展開したので前言撤回し、下諏訪で赤報隊をつかまえて寒い3月のはじめ、犬のように杉の木に縛りつけ、3日めに坂をくだったところで処刑したという。

前言を簡単にひるがえすトップならいまもいるし、それを糊塗するため人の命をなんとも思わない、佐川宣寿みたいなのもいるわけだ。

相楽総三らの名誉回復が叶ったのが60年後。

「罪と罰」を読まない - 文春文庫

 2020年4月23日

プロの物書き4人による、罪と罰を読まないままの読書会。面白かったので一気に読了。三浦しをんのはっちゃけぶりがよろしい。罪と罰のあらすじも書いてあるので、これで読んだ気になれる。

中銀が介入すればするほど市場は硬直化する

 2020年4月21日

ネット世界では電通五毛党(電通から1件いくらで小遣いをもらって政権礼賛を投稿するクズ)による「政府は金がないんだから」投稿が出没しておるようだが、日銀がETF買い入れをいままでの年間6兆円から倍増させて12兆円にする、と・・・この政策のどこに金がないというのだろう?

ちなみに日銀黒田氏の言い訳は市場サポートのため云々なのだが、市場サポートではなく政権サポートなのが見え見え。ここにも「こんな大人になってはいけない」という具体例が現出しておる。

https://altnews.org/・・・/japan-proves-again-just-how・・・/

投資家のおじさんのこの記事によると、我が輩は投資家でも金融専門家でもないのでよくわからんのだが、中央銀行は市場をサポートしたり、「朕は市場そのものである」とうそぶくことはできるかもしれないが、じつは市場はETF買い上げ金額みたいな具体的現象で動くのではなく先行きへの見込みで動くものなので、中銀が介入すればするほど市場は硬直化する。そこんとこお役人はぜんぜんわかっとらんなぁ、という論旨ではなかろうか。

アラブ音楽のとっつきにくさについての試論

 たとえばジャズでいうと、こないだ逝去したチャーリー・ヘイデンがカルテット・ウェストで録音したムーンライトセレナーデやボディアンドソウルみたいに、ベースのインプロバイゼーションからはじまって、サックスがそれを受けついで、最後にテーマが演奏されるという謎かけみたいな進めかたがある。はじまりのベースはブンブンゆってるだけなので、いったいどういう曲なのかさっぱりわからない。サックスのパートになって、なんだかどっかで聞いたことあるぞ・・・というあんばいになる。

アラブ音楽も同様に、まずタキシム(インプロバイゼーション)からはじまって、半分くらいすぎてからテーマの演奏になる。そのタキシムの作法が(コード進行にもとづいてインプロバイズするジャズとはちがって)ややこしい。どれくらいややこしいかというと、かなりよく知っているらしい人が「俺もほんの一部しか知らないんだけれど」って謙遜するくらいややこしい。つまりタキシムを聞いているかぎりでは、いったい何の曲がはじまったのかさっぱりわからない。要すれば芸術性が高すぎるのだな。

そのわかりにくさについてはアラブ世界のリスナーも同じらしく、もっとわかりやすい音楽を!というのでカイロ・オーケストラなんかがはじめからパーカッションを入れてテーマを演奏する音楽をやっている。CDのジャケットにはヘソ出しおねいさんをあしらって、ベリーダンスのBGMとして売り出している。

それもなんだかなあ・・・と思う我が輩である。

「家に帰ろう」

 2020年4月11日

「家に帰ろう」・・・最後の旅行という題名のアルゼンチン映画。ポーランドで生まれホロコーストを生き延びアルゼンチンに移民した爺が命の恩人の親友をポーランドに訪ねる話。

https://ja.wikipedia.org/wiki/家へ帰ろう_(映画)

この映画のBGMにはユダヤ音楽が使われているのだが、欧州や南米のユダヤ音楽は微半音を失った。微半音を失ったユダヤ音楽はただのもの哀しい旋律にしか聞こえない。じつはそうではないはずだ。微半音を保つユダヤ音楽をネットで聞くと、まるでアラブ音楽と変わることがなく、ユダヤ文化がまさに中東由来であることがわかる。

これは仮説だが、欧州で12音階への収斂=微半音の追放がおこなわれた時期=レコンキスタの時代に、意識的にユダヤ人とユダヤ文化の迫害が同時進行していたんではなかろうか。なにかそうすべき政治的背景があったのだろう。

京産大への誹謗中傷とか見るにつけ、1922年の関東大震災のとき、万単位の在日朝鮮人を虐殺したころから、我が民族の肛門サイズは1ミクロンたりとも拡がっていないことを痛感する。こういうカルチャーが政治的に利用されやすい、というのはナチの時代も同じなんだろうな。見えない敵の脅威(これもメディアを通じて政治的に拡散されているようなのだが)に直面すると、人民は独裁者の出現を期待するようになる。いまこそエーリッヒ・フロム先生の「自由からの逃亡」を再読してみようか。

スペインにトレドという街がある

スペインにトレドという街がある。1085年にそこがレコンキスタされ、ギリシアローマの哲学・科学の膨大な蔵書が発見された。ただしアラビア語の写本。それから200年くらいかけて、アラビア語からラテン語に翻訳された。ルネサンスの原動力になった思想はアラビア語=>ラテン語を媒介に伝播した。その翻訳にユダヤ人が大活躍したのは想像に難くないのだが、西欧世界はユダヤ人やアルメニア人などの中間の人々を排除しはじめ、シェークスピアの時代(1600年ごろ)にはユダヤ人差別があたりまえの社会となった。

音楽世界では、アラビア音楽の54音階がバッハの時代(1700年ごろ)には12音階に収斂され、中間の音階が排除された。それから楽譜の発明と和声学の発達で西洋音楽はユニークに進化する。バッハの200年後にはスコット・ジョプリンのラグタイム。レコードというメディアの発明が発展を加速化して、50年後にマイルスがモード奏法をつくりあげた。

こうなると音楽演奏者というのは上海雑技団的というか、「赤ん坊のときにかどわかされて酢を飲まされて曲芸を仕込まれ」みたいな特殊技能者集団となって、演奏するという行為が隔絶した存在になってしまう。同時に、居酒屋のトイレBGMのビル・エヴァンスみたいに、誰も真剣に聞かないという情けない状況が現出する。

中間物を排除するという傾向が、エッセンスを抽出し、理論化するという西欧的アプローチに結実した。それがもう限界にきているんじゃないか。そうであれば、古典派(といってもバッハは暴れん坊吉宗と同世代という新しさ!)のもっと昔、アラビア音楽に触れてみようじゃないか、邪魔もの扱いされた中間物にもっと触れようじゃないか、というのが昨今の動機なのである。

おらおらでひとりいぐも 若竹千佐子 河出書房新社

 2019年10月7日  

我が輩はかれこれ3年ほどイラストレータ職人として寡黙に働いている。3DのCADをパーツ別に分解しているようなときに、いろんな声が聴こえる。昔の失敗をことさらにあげつらう自分の声もあれば、墓場の写真に撮ったおぼえのない顔がはいっているみたいに、あきらかに自分のではない闖入者の声もある。そういう経験を日常的にしているので、この本はおおいに共感したり笑ったりしつつ読んだ。いつまでたっても若手扱いされる年代なので、自分のでも他人のでも老いに寄り添うというのはなかなか難しいものだけれど、この本を読んでいろいろ学ぶところ、考えさせられるところがあった。途中はらはらする展開もあるけれど、読後感はとてもいい。おすすめ。

逆転の大中国史 楊海英 文藝春秋

 花子が大阪の学校に合格=> 受入準備で月子が広い物件に引っ越し=> 荷物運びに関西へ=> 「いらなくなった本を売っぱらっとくれ」=> 諏訪まで持ち帰ってブッコフ=> そこで見つけた本。

これほど知的刺激を受けた本はちかごろあんまりない。歴史の本でもあるし、文化人類学の本でもある。楊海英さんは内蒙古生まれのオーノス・チョクトというモンゴル人で、南北をさかさまにしたユーラシア地図なんかを紹介している。

いちばん刺激的だったのは、中国語は漢字を唯一の共通プラットフォームとした、異なる言語が流入したものであるという指摘。じっさいに中国語では、おんなじようなことをいうのに何通りもの言い方があったりする。また「茶」という字を広東でも北京でもチャーと発音するのに、福建〜潮州ではテーという。福建のほうが古いのだけれど、テーがいかに変化すればチャーになるのか長年納得がいかなかった。でもぜんぜん違う言語が「茶」という漢字を共有してちがう音をあてはめたとしたら納得がいく。歴史は生成発展するという共産党の呪いに知らず識らず縛られていたのか。

先般来ぼちぼちとタイ語を勉強していて、ひょっとしてタイ語は古い形を温存した中国語なのではないかと夢想していた。小乗仏教徒が漢人による儒教文化への同化を避けて南方に亡命したのかもしれない。

中国語が拡大・吸収・同化の途ををたどったのであれば、英語がそうであるように簡素化は免れない。中国語は簡素化の歴史なのだろう。

呪いの言葉の解きかた 上西充子 晶文社

 フェースブックから引退することにしたので、投稿していたうちから読書日記をぼちぼち転載する。まず2019年10月2日。

日経ビジネスで紹介されていたのを見て、近所の本屋で購入。我が輩はいまでこそイラストレーター職人として寡黙な毎日だけど、もともとは言葉が専門なので、ことばの機能に尽きせぬ興味がある。通訳のときも文脈派として、たとえば日本人ビジネスマンのおっちゃんたちの、たいして内容も機能もない長い前置きをぜんぶはしょったら、会議時間が劇的に短くなることに気づいた。そのためには、彼らが何を言いたいのかをすばやく見抜く必要がある。筆者は自分のつごうのために他人を縛る言葉を「呪い」と分類し、その背後にある意図を見抜くべしとして実例を挙げている。おもしろくてためになる。著者は内儀とほぼ同世代の女性。