2020年5月6日
読みはじめて最初は著者の立ち位置がよくわからんかった。どんなオッサンやろかと後ろ書きをみたら、1958年岸和田生まれ神大農学部卒と書いてある。ほんなら同い年で、高校の同級生のニシクラとおんなじ学部やん。
「なんで京都で(たいしてうまいとも思わない)ハモを食べなあかんのか」は大阪人の疑問である・・・このあたりから俄然おもしろくなる。
先輩に連れていってもらった東京の花街の老舗寿司屋で、職人の爺がお高くとまっているので「そこからそこは『うまいだけ』のものになった」・・・だんだん筆者のいうことがはっきりしてくる。
「京都の店は一見でいくところではない。(略)そもそも京都の飲食店というところでは、知らない外国語を知らない土地にはいってだんだんわかるような仕方でしか楽しめないからだ。」
「お好み焼き屋にかぎらず、食いもん屋や飲みもん屋を客観的に評価することほどあほらしいものはない」
神戸元町の丸玉食堂の描写もいい。神戸の餃子屋では赤萬とひょうたんが登場する。我が輩は赤萬でもひょうたんでも餃子を食ったけれど、ぜんぜん印象に残っていない。記憶に残っているのは深夜の泰南(二文字ともくさかんむりつき)の餃子と、にんにく味噌ダレと、餃子を焼く寡黙な白綿シャツのおやじと、カウンターの化石のようなばあちゃんだ。
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