2021年4月1日木曜日

アラブ音楽のとっつきにくさについての試論

 たとえばジャズでいうと、こないだ逝去したチャーリー・ヘイデンがカルテット・ウェストで録音したムーンライトセレナーデやボディアンドソウルみたいに、ベースのインプロバイゼーションからはじまって、サックスがそれを受けついで、最後にテーマが演奏されるという謎かけみたいな進めかたがある。はじまりのベースはブンブンゆってるだけなので、いったいどういう曲なのかさっぱりわからない。サックスのパートになって、なんだかどっかで聞いたことあるぞ・・・というあんばいになる。

アラブ音楽も同様に、まずタキシム(インプロバイゼーション)からはじまって、半分くらいすぎてからテーマの演奏になる。そのタキシムの作法が(コード進行にもとづいてインプロバイズするジャズとはちがって)ややこしい。どれくらいややこしいかというと、かなりよく知っているらしい人が「俺もほんの一部しか知らないんだけれど」って謙遜するくらいややこしい。つまりタキシムを聞いているかぎりでは、いったい何の曲がはじまったのかさっぱりわからない。要すれば芸術性が高すぎるのだな。

そのわかりにくさについてはアラブ世界のリスナーも同じらしく、もっとわかりやすい音楽を!というのでカイロ・オーケストラなんかがはじめからパーカッションを入れてテーマを演奏する音楽をやっている。CDのジャケットにはヘソ出しおねいさんをあしらって、ベリーダンスのBGMとして売り出している。

それもなんだかなあ・・・と思う我が輩である。

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