2020年8月2日
我が輩の実家のある今津は甲子園の隣だけれど、甲子園とはぜんぜん違う。甲子園はふだん静かな住宅街で、ただし阪神タイガースの試合と、いまは自動車教習所になった競輪場で公営博打があるときだけガラが悪くなる。そして今津は毎日ガラが悪かった。そんな今津で生まれ育ったので、被差別部落と在日朝鮮人、貧困と格差と差別と暴力はふつうの日常だった。
後者はおおいに語ったけれど、前者は寡黙だった。その寡黙も苦味も共有できないけれど、体温を感じる距離にいる。その近さは我が輩のアイデンティティーの一部を形成している。だからなのかこの本は、時間を忘れて夜半まで一気読み。
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野中が大鉄局に在職していた1951年7月の夜のことだ。川端は野中と二人で梅田の闇市で酒を飲んでいた。そこに中年女が近づいてきた。(略)客を二人連れて行けば5円もらえる。それで子供に運動靴を買ってやりたいと、涙ながらに訴えるの女の顔をみて野中は、
「わかった。あんたはウソをついとらん。もういっぺん引き返そう」と言った。二人は中年女の案内でバラック建ての売春宿に入った。
「これで運動靴が買えるやろ?」
野中が言うと、彼女は何度も頭を下げた。二人は階段を上がった。(略)白いワンピースの女がうちわで顔を隠すようにして座っていた。やがて女がうちわをはずすと(略)火傷の跡が額から口元にかけて斜めに走っていた。年の頃も検討がつかない。(略)
野中は女に話しかけた。
「あんた気の毒な目にあわれたな。戦災でそうなったんとちがうか」
女は戦時中の体験を語りだした。落ち着いた話しぶりからして、相当な教育を受けてきたらしい。野中は腰を据えてそれに耳を傾けた。
「いろいろ苦労してきたんやな。命があっただけでもよかったやないか。これから必ずいいことがあるからな」
最後にそう言って20円ほどの金を握らせた。
(・・・のちに再開した女が川端に語っていわく)
別れ際に彼女はそこにいない野中に両手を合わせて拝むようにしながらこう言った。
「あの人はきっと偉くなる。だって私がこうやって毎日、あの人が出世してくれるように祈っているんだから。」
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うって変わって後半は政権党の権力闘争の描写。野中が幅広い人脈で集めた情報をもとにライバルを恫喝する様子が克明に描かれる。
この本が出たのは2004年。10年後の2014年、松本龍復興大臣がいわゆる暴言問題で失脚。血の繋がりはないが、「部落解放の父」松本治一郎の孫にあたる。出自にかかわらず、というよりも、他人の痛みを想像できない三代目になったということか。
隣にいて体温を感じることが忌避されるご時勢。行政府の無能ぶりを人民が攻撃するようになると、そのエネルギーをそらせるため、権力は人民が互いに毟りあうように分断工作をはじめるんじゃないだろうか。たとえばワクチン接種者と非接種者のように。マスク憲兵はすでに出現している。派遣に社員食堂を使わせるなという正規社員がいるらしい。日本人はそういうケガレ排除が大好きそうだ。
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