2026年7月18日土曜日

誰でもできる石積み入門 真田純子

 石積み検定というのがあると聞いたので、この本を買った。2か月ほどまえの信毎新聞の広告に、図鑑石積みというのがあって、興味をそそられた。松本に行く用事があった時、未来屋書店に図鑑石積みがあった。立ち読みしたら、子供向けの本だった。それなりに面白いけれど、石積み検定を受けるなら、表題の本のほうがいいと思う。

城郭検定保持者のミスター中川に、「石積み検定って知ってますか?」って尋ねたら、知らなかった。城郭の石積みは、そのために石を切り出したりする、土木建築の一部としての本格派なので、ちょっと違う世界のようだ。表題の石積みは、あくまで自然石を組み合わせる、という流派だ。


信仰の現場 ナンシー関

 ナンシー関が死んだのが2002年6月12日。ほぼ四半世紀がすぎた。先週の信毎新聞に書評がのっていて、あらためて検索してみたら、遺作がいい値段してるんだな。まだまだ人気があるんだ。表題の本を読んだら、やたら面白い。まずはじめに、矢沢永吉コンサートだ。山梨県民文化ホール。読み進めると、斎藤忠光っていうわけのわからないおじさんのコンサートも出てくる。スピ系の演奏家で、一定のコミュニティーを形成してるようだ。YouTubeにも出ている。いまふうに言えば推しというのか、スピ系でなくとも、一定の苦行を強いるような推しコミュニティーをナンシー関は「信仰の現場」と呼んでいる。

ちょうど国会で皇室典範の改訂っていうのが通ったらしい。議論を整理すると、外野の推し勢力と中の人たちの事情がぜんぜんすれ違っているのがよくわかる。

たとえば宝塚推しのファンは、タカラジェンヌに清く正しく美しくっていうのを求めていて、卒業して女優になってから脱ぐなんて許せない。タカラジェンヌたちにしてみれば、生身のふつうの人間なのに。同じような構図だと思う。万世一系っていうフィクションも同様で、外野の推し勢力は好きなことをいう。中の人の事情はべつにどうでもいいのだ。

「先祖代々」っていうのは、だいたい3代くらいさかのぼった程度であって、万世一系っていうのもおそらく3世代くらいのもんだと思う。明治天皇からかぞえたら5代くらいで、もうそれで万世一系といっていいんじゃないか。おぼえてる推し勢力が全員死ぬんだから。

あるいは、万世一系を、ネットフリックスのサブスクみたいなもんと考えたらいい。ネットフリックスでは、例えば韓ドラっていう括りに、ラブコメとか時代劇とかホラーとかアクションとかあって、それぞれのジャンルで、たとえば冬のソナタはドロップしたけど、愛の不時着はまだやってるとか、トッケビはいっとき消えたけどまた復活したとか、サンガップ屋台はずっとやってるとか、デリバリーマン幽霊タクシーはいつのまにか消えてたとか、いろいろ変化がある。万世一系も過去をほじくりだしたら、細かいところで出たり入ったりいろいろあったと思うけど、ネフリとおなじく、推しとしてぜったいやめられない。いっそ、サブスクみたいに自動更新にしたら、過去後ろ向き志向じゃなくて、これからどうするの?っていう未来志向に考え方を転換できるんじゃなかろうか。万世一系も3代から5代くらいで自動更新っていうことにしたらええんちゃうんか、と思いませんか?だから、こんな絵を考えて、ジェミニに描かせた。百田和尚さんはパフォーマンスとして退席したけど、万世一系のサブスクはやめられないと思う。


さて、ナンシー関。リリー・フランキーとの対談「小さなスナック」も読んだ。こっちはあんまりおもしろくなかった。この対談がおこなわれた当時、我が輩が日本にいなかったので、当時はやっていたポップカルチャーをぜんぜん知らかなったというのもある。読み手の世代がきわめて限定されるので、我が輩にはおもしろくなかったというだけだ。ただ、リリー・フランキーの変さ加減が半端でないことが窺い知れる。

それにしても、40歳で死んだっていうのが惜しまれる。

2026年5月8日金曜日

語学の天才まで1億光年 高野秀行

辰野の小野駅近くの「本屋 山々」で購入。めっちゃおもしろい。

はじめからおわりまでおもしろい。とくに彼が「ノリ」と呼ぶ、ネイティブらしさについての考察は秀逸だ。我が輩の自分自身の体験はたんなる自慢話になるので、他人のことを引用する:

我が輩の住む富士見にも外国人があちこちに定住していて、特に目立つのは西欧白人系、インドネシア系、そしてベトナム系だ。インドネシア系とベトナム系はそもそもアジア人なので、ほぼ違和感がない。インド系も増えてきたが、あんまり目立たない。知り合いになると機関銃のようにしゃべり倒されるという違和感が生じるが、そこらへんにいるぶんには違和感がない。

西欧系白人の多くが、おそらく女性配偶者が日本人だからかもしれないが、ノリがまったく日本人化しているのがおもしろい。たとえば温泉の脱衣場で、「なんだかでっかい人だな」と思って、眼鏡をかけてみたら白人だった。そんなくらい溶け込んでいる人が多い。出勤時、朝の富士見駅で、通勤特急に乗るらしい白人の父親が、各停にのる高校生らしい息子と「バイバイ」なんてゆってるのが毎朝の風景だが、彼らふたりもまったく違和感がない。ちなみに、その各停に、茅野駅から乗ってくるフィリピン人の高校生も、屈託なく我が輩に話しかけるフレンドリーさを除いて、まったく違和感がない。

なんだかんだ、インド人とかフィリピン人とか、いろんな人から話しかけられる我が輩のほうが違和感を醸し出しているのかもしれない。

それはさておき、高野秀行という、丙午年生まれで、たまたま内儀と同い年の人の本を読むと、ひのえうまという、わが国の人口がとつぜん減少した年に生まれた人たちはなにかしら、共通点があるような気がしてくる。



新戦争論 マーチン・クレフェルト

 「補給戦」の著者が、クラウゼヴィッツのいわゆる「戦争論」を更新するために書いた本。クレフェルトという人はオランダ生まれのイスラエル人。

狂犬と化したイスラエル国家が、パレスチナ人を皆殺しにしようとするテロ国家となり、さらにアメリカと連合して理不尽なイラン攻撃を開始して2か月が経った。クレフェルト先生が「補給戦」で描いた補給による失敗、その教科書的な補給の失敗でぼろ負けしつつあるアメリカ・イスラエル連合軍。(主要メディアはまったく書かないが。)そんな母国の有様を見て、クレフェルト先生はどう思っているのか。

ご本人はイスラエルにいて、積極的に反戦の立場から発言しているようだが。そういう絶妙かつ生臭いタイミングで読了した本書。考えさせれらることはいっぱいある。

イラン戦争にせよ、それと連動しつつあるウクライナ戦争にせよ、我が輩が定期巡回しているような本物の識者たち、ダニエル・デイヴィス大佐、ダグラス・マグレガー大佐、元CIAのラリー・C・ジョンソン、若手ではスタニスラフ・クラピフニクなど、みんなクラウゼヴィッツの文献に出てくる用語を共通語として使いつつ戦況を分析している。

いっぽうで、西村金一はじめ元自衛官の自称識者の面々から、そういう共通語を聞いたためしがない。おまけに、彼らはCNNやNBCなど西側メインストリームのメディアの日本語訳しか参照していないので、分析も予測もできないし、残念だが当然ながら、分析も予測も外れまくっている。

日本の高等教育の一般教養課程で、「共通語としての古典」をおろそかにしてきたひとつの結果だ。我が輩も他人様のことを批判できないが。自衛隊ファンとして、本気で、自衛隊は大丈夫なのか心配している。

ついでに書いておくと、自衛隊が直面する最大の問題は少子高齢化である。高市は戦没戦士の前で膝をついているようだが、少子高齢化にともなう「兵隊がいない」という問題を巧妙に避けている。メディアも突っ込まないし、国会議員も突っ込まない。なぜか?それは、解法は3つしかないから。1. 高金利の有償奨学金の返済免除と引き換えに、学生の将来を「徴兵」する。2. 男女機会均等法を拡大して、女性を「徴兵」する。3. 外国人訓練生制度を拡大して、外国人傭兵にする。これに言及したとたんに、おそらく、高市人気は崩壊する。

クレフェルト先生は軍人だと思っていたが、どうやら歴史家であって、軍人ではないらしい。軍人ではないにもかかわらず、世界の軍関係者の必読書「補給戦」を現した功績はすばらしい。イスラエル国籍であるとか、ユダヤ人であるとか、そんなことはどうでもよくなるくらい、必読書であることに変わりはない。



2026年1月13日火曜日

補給戦 マーチン・クレフェルト 

最初に読んだとき、佐藤佐三郎の訳文があんまり糞だったので、内容を覚えていなかった。それから、塩野七生さんの本を読んだせいか、だったのだったのであるだろうなのだスタイルにだいぶ免疫ができた。それでだいぶたって、この「補給戦」をあらためて読み始めたら、糞文体があんまり気にならなくなって、内容を楽しめるようになった。

この本に戻ったきっかけは、トランプがマドゥーロさんを拉致誘拐した作戦。ダグラス・マグレガー大佐がダニエル・デイヴィス大佐との対談で、マドゥーロさんの拉致誘拐作戦について、こんなことを言っていた。

https://manhaslanded.blogspot.com/2026/01/blog-post_12.html

「軍事力ってのは、製造基盤から、動員能力、兵士の質、訓練、リーダーシップ、技術まで全部ひっくるめた大きな話なんや。 ウクライナで起きてるのは「本物の戦争」や。やけど、うちらはそれにちゃんと目を向けてへん。特殊作戦用のヘリをウクライナの戦場に飛ばしてみろ。一瞬で消えて、二度と姿は見られへんで。特殊作戦部隊なんてのは、えらい脆いもんなんや。 現場の人間なら正直に言うわ。「完璧な情報があって、敵に邪魔されへん保証があって、防空システムもなくて、見つかる心配もない。……そんな条件が揃わな、行けへん」ってな。 うちらがやってきたことと、特殊作戦は全然違う。上から「これやれ」って言われて、「了解、でも敵がどこにいるか完璧にわかって、天気も最高やないと行けません」なんて、そんなん戦争やない。任務を与えられたら行かなあかん。上の連中には関係ない。損害が出るのは承知の上で任務を果たす、それが戦争や。 「犠牲なしに勝利はない」んや。それやのに、「最新技術や精鋭部隊があれば、誰も傷つかずに済む」なんて大勢の人に信じ込ませてる。それは危険やし、間違ってるし、誤解を招く。」

・・・これを見て、クレフェルトの補給戦をもういっかい読もうと思った。

AIによると、マシな訳で新版が2022年とかに出たらしい。この本のオリジナルは1977年なので、なんと50年近く、わが国の防衛大学の士官候補生たちは佐藤佐三郎の糞訳で苦しんできたことになる。その多くが我が輩とちがって、糞文体を克服して内容を汲んでくれたことを祈る。

この本をあらためて読むと、JBプレスでときどきなにやら軍事漫談を書いている西村金一なんかが、自衛隊の元分析官かなんか知らんけど、どれほどええ加減かよくわかるし、自衛隊の分析力が心配になる。我が輩は素人だが、それくらいの区別がつく程度に勉強したいと思う。

2026年1月5日月曜日

今日、誰のために生きる?

原村の閣下の令夫人みゆきちゃんから紹介された本です。なかなかいい。ひすいこたろうという人がイントロと締めを書いていますが、イントロはともかく、締めは訓示っぽくって退屈。でも、しょーげんさんという、じっさいにアフリカ生活を体験した人の書いた部分は最高におもしろい。うん、これは読むべき本といっていい。

2025年10月31日金曜日

ウクライナ戦争の嘘 手嶋龍一と佐藤優 中公新書ラクレ

2023年6月の本なのに、いま(2025年10月31日)に読んでも違和感がほぼない。まったくないというわけではないが、ミンスク2のことをメルケルが「あれはウクライナに武装させるための時間稼ぎだった」とあっさり告白したのはこの本の後だった。それ以降だったら、西側はロシアを弱体化させたかったという事実にもとづいて、手嶋さんと佐藤さんのロシアの立場に対する評価は、ずいぶん違ったのではないかと思う。

手嶋さんは、歴史の転換点にたまたまそこに派遣されていたというラッキーボーイ。でも、NHKの枠におさまらなかったんだな。佐藤さんは、努力家で読書家で、でも人生の決定的なタイミングで致命的な判断ミスをするという、福運にめぐまれないけれど、なんだか憎めない人。我が輩みたいに、努力もあんまりせず、でも地雷原から、地雷原だったと気づかずにへらへら笑って歩いて出てくるようなタイプとは対極の人だ。

「プーチンはマッドマンか」という節で、佐藤さんがおもしろいことをゆってる。「でも日本の現状を見ていると、プラモデルが好きで軍事評論家になったひと、アゼルバイジャンの地域研究者で、ロシアやウクライナを専門としない学者、極秘の公電に接触できない防衛研究所の研究者の評論が大半で」っていうのは、ウケた。プラモデル云々は小泉悠さん、アゼルバイジャンの人は廣瀬陽子、防衛庁の人っていうのは兵頭慎二さんに違いない。廣瀬陽子は、メディアがもとめるようなコメントを進んでしゃべる人で、我が輩は「この人トルコ脳」って思ってた。トルコの立場からしかロシアを見ていない人という意味。同じように、共同通信のロシア東欧デスクで、東洋経済にときどき書いている吉田成之は「ソ連脳」、駐ウクライナ大使だった松田邦紀も同じく「ソ連脳」ということになる。彼らが知っているロシアはソ連時代のみで、その印象でいまのロシアを判断して云々している人たち。そんな人たちが予想をするもんだから、はずれるに決まっている。予想なんてしなくていいのに。

そんな有象無象にくらべたら、2023年の時点で言ってたことが、いまでもさほどの違和感なく読めるこのふたりはえらい。どうしてそう考えるのかという、種明かしをしてくれている。この本が出てからずいぶん時間がたったけれど、この本を読んで、ああ2年前はそうだったな、そしたらロシアって、ほんまにいうこととやることが一致してるなあ、と思う。いい本だ。