2021年4月4日日曜日

上を向いてアルコール 小田嶋隆 ミシマ社

2020年9月28日

軽妙な語り口で陰惨な内容が語られる。

吾妻ひでおのアル中日記も読んだけれど、吾妻ひでおには自己分析がなくて、オダジマには自己分析がある。その切り口が興味深い。

名言を列挙しよう。こんなにたくさん付箋がついた本はめずらしい。

・酒飲みのなかには、概ねまともなんだけれど、このポイントだけはこだわりが強すぎるっていう人がいる。

・オール・オア・ナッシングの「白か黒か」に触れがちな人間に酒を渡すと、穏やかな飲みかたができないということは間違いなくある。

・音楽を聴くとか小説を読むとかっていうことを全部酒とセットにしてたから、酒なしで聴くとつまらない。

・アル中末期のころには、ほとんど時代小説ばかり読んでいた。サムライの生き方とかセリフと酒のリズムがあっていたのか。

・飲むリズムで(野球を)観ることが身体化していた。野球の試合ってダラダラ続くから、飲みながら観るのにちょうどよかったのかもしれない。サッカー場で飲んでるやつって全然いない。

・たとえばの話、私の人生に4つの部屋がある。二部屋くらいは酒の置いてある部屋だったわけで、そこに入らないことにした。だから(残りの)二部屋で暮らしているような感じで、ある種人生が狭くなった。4LDKのなかの二部屋で暮らしているような、独特の寂しさみたいなものがある。

・(大酒飲みのN社のS社長から)「せっかく私と会っているのに飲まないなんて失礼ですよ」と。「失礼」とまで言われた。

・「私は酔っ払いです」というポジションの楽さというのは、周囲から「あの人は酒入っちゃうとアレなヒトだから」という扱いになっていることの心地よさ。

・アルコールは、本来ならたいして面白くもない人間関係を演劇化するわけです。恋愛でもビジネスでもあるいは夫婦喧嘩みたいな犬も喰わないやりとりにおいてさえ。

・整理できないいろいろなことを考えたときに、「いつかアメリカにいってやる」「いつか死んじゃう」と考えてトラブルなり面倒ごとを先送りできれば、とりあえず成功ではある。その手が使えなくなったときに、当面の思考停止のためのスイッチとして、とりあえずアルコールのほうに抜け穴をつくりにかかる。

・飲酒という文化的な営為から、アルコールを摂取する以外の意味を剥ぎ取っていくころが、すなわちひとりの人間がアル中として完成する過程でもある。

・人が酒を飲む理由としては、他にやることがないから、というのが意外なほど支配的だったりします。アルコールを媒介に手に入るものがはいわけではありません。しかしそれらはいずれ揮発します。なくなるだけなら良いのですが、多くの場合喪失感を残していきます。で、それがまた次に飲む理由になったりします。


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