2021年4月1日木曜日

スペインにトレドという街がある

スペインにトレドという街がある。1085年にそこがレコンキスタされ、ギリシアローマの哲学・科学の膨大な蔵書が発見された。ただしアラビア語の写本。それから200年くらいかけて、アラビア語からラテン語に翻訳された。ルネサンスの原動力になった思想はアラビア語=>ラテン語を媒介に伝播した。その翻訳にユダヤ人が大活躍したのは想像に難くないのだが、西欧世界はユダヤ人やアルメニア人などの中間の人々を排除しはじめ、シェークスピアの時代(1600年ごろ)にはユダヤ人差別があたりまえの社会となった。

音楽世界では、アラビア音楽の54音階がバッハの時代(1700年ごろ)には12音階に収斂され、中間の音階が排除された。それから楽譜の発明と和声学の発達で西洋音楽はユニークに進化する。バッハの200年後にはスコット・ジョプリンのラグタイム。レコードというメディアの発明が発展を加速化して、50年後にマイルスがモード奏法をつくりあげた。

こうなると音楽演奏者というのは上海雑技団的というか、「赤ん坊のときにかどわかされて酢を飲まされて曲芸を仕込まれ」みたいな特殊技能者集団となって、演奏するという行為が隔絶した存在になってしまう。同時に、居酒屋のトイレBGMのビル・エヴァンスみたいに、誰も真剣に聞かないという情けない状況が現出する。

中間物を排除するという傾向が、エッセンスを抽出し、理論化するという西欧的アプローチに結実した。それがもう限界にきているんじゃないか。そうであれば、古典派(といってもバッハは暴れん坊吉宗と同世代という新しさ!)のもっと昔、アラビア音楽に触れてみようじゃないか、邪魔もの扱いされた中間物にもっと触れようじゃないか、というのが昨今の動機なのである。

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