2020年5月2日
大学受験が終わったころ、陳舜臣さんの「敦煌の旅」が出たので、買って読んだ。我が輩の中央アジア志向はそれで決まった。
大学3年生になったころ、学校から尾根と谷を隔てた山に住んでいた。その鉄筋造りのアパートを出て、工務店の横を通り過ぎて草むらをしばらく歩くと六甲学院がある。その近所に「陳舜臣」と表札のある大きな家があった。高名な人がずいぶんご近所だったのに驚いた。
数年後、我が輩はニューヨークの繊維街で働いていた。昼休みや休日にロックフェラーセンターの紀伊国屋で「世界」と「噂の真相」を必ず買っていた。その「世界」で1985年1月から1986年12月号まで連載されたのがこの六甲山房記。孤独だったので熟読した。郷愁もあったのだろう。
陳舜臣さんは大阪外大のインド・ペルシア語学科を出ている。ムガール帝国の朝廷語はペルシア語だったとはいえ、インド語(ヒンドゥー・ウルドゥー語)とペルシア語はかなり違う。その時代、学生のレベルが格段に高かったのにちがいない。
陳舜臣さんにはオマール・ハイヤムの「ルバイヤート」の翻訳という労作がある。ご本人にとってはこれが本業で、それ以外は余技という感覚だったのかもしれないな。
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