2020年10月12日
米原万里さんの本を読んでいてその存在を知った。大東亜戦争前の日本で共産主義者として何年も投獄され、監視役の刑事が柔道大会に出かけた隙にソ連に越境亡命。すこしのあいだだけ客分扱いだったけれど、ある日逮捕され、こんどは反共産主義者ということで死刑宣告。25年に減刑されてラーゲリで強制労働。スターリンとベリアが死んでようやく釈放。日本語を忘れないためにこつこつ書きためたメモを日経新聞が出版した。
いろいろたくさんのことを考えさせられた。
興味深かったのは、死刑判決を受けたギゾーさんが、日本人として恥ずかしくない死に方をしようと決意すること。1909年、明治生まれの日本人の生死観というか、その時代のカルチャーなのだと思う。
獄中で知り合った人たちは多くが政治犯で、筋金入りの共産党員だったり社会的地位があったり、知的レベルの高い人がいて、「ギゾー、きみのロシア語はとてもひどい。想像力をたくましくしないと何がいいたいのかわからない。私が文法を教えてあげよう」と、元大学教授みたいな人に教わったのだとか。ロシア語は格とかややこしくて厳格だけど、それさえしっかりしていたら語順はかなりゆるやかなのだ、と月子が言っていた。格がめちゃめちゃだと「想像力をたくましくしないと何がいいたいのかわからない」ということになるのだな。
スターリンが死に、ベリアが失脚して皆が釈放の希望をもっていたとき、ギゾーさんは冷静に分析する。無実の人間を大量に逮捕してラーゲリに送り、炭鉱や鉄道や港湾建設で働かせる、これがソヴィエト流の資本の原始的蓄積過程なのだ。知識も経験もある政治犯をみな釈放すればラーゲリが、ひいてはソ連の社会経済基盤が崩壊する。それはスターリンであっても誰であっても同じなのだ、と。じっさいソヴィエトロシアはそうして極北のツンドラ地帯に街をつくりあげてきたのだ。
ロシアに関わる人であれば(我輩は関わらないと思うけれど)読んでおくべき本だと思う。
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