2021年12月24日金曜日

インプロヴィゼーション 著者: デレク・ベイリー

 工作舎 2300円


新品同様のきれいな本が岡谷のブッコフで200円だった。即買い。

翻訳の日本語もあんまりうまくないし、難解っぽかったので、寝るまえに読むには最適かと思量した次第。

読みはじめてとてもおもしろかった。内容はさまざまなジャンルのミュージシャンへのインタビューが基本になっている。

まずインド音楽。レッスンは師匠のまねをすることからはじまる。

インプロヴィゼーションの要素があるとすれば、ラーガのフィーリングを尊重しつつ演奏するのが結果的にそうなっている。とても自然なアプローチだと思う。

つぎはフラメンコ。ギターと歌と踊りがそろってはじめてフラメンコといえるのだそうな。知らなかった。ここでもインプロヴィゼーションは、俺様的アプローチではなく、曲に身をまかせることで高みに到達するものである、と。

そのつぎがバロック音楽。17〜18世紀というから比較的新しい。その成立にはインプロヴィゼーションが深く関わっていたのだが、後世(といってもこの200年くらい)になって固定化され、死体同然になった(と筆者の暗喩)

つぎに教会オルガン音楽。まいどまいどの礼拝にオルガン奏者はちがう素材でちがう演奏を提供するので、「速く考えられる」ことが求められるという。ジャズだけどジョーイ・デフランチェスカなんてめっちゃ指が早い人なので、忠実に伝統を引き継いでいるということなのだろうな。

そしてロック。このへんから何をいいたいのかよくわからなくなってくるのだけれど、文意はまだ理解可能。

つぎに「聴衆」という章があって、音楽は演奏する人と聴衆のインタラクションであるということが難しく述べられる。このへんで眠くなる。うん、いいぞ。当初の目的どおりじゃないか。

つぎにジャズ。ジャズは様式が固定化されたので、「ブラック・クラシック音楽」という呼称がいいんじゃないかと著者はいう。

まったくそのとおりで、ウィントン・マルサリス一派がでてきたころからジャズはチェンバーミュージック化し、地下酒場よりもリンカーン・センターが好まれるようになった。マルサリスが悪いのではない。マルサリスはマイルスの危惧を加速しただけなのだ。我輩はそれ以来、チャーリー・ヘイデンかパット・メセニー、あるいはマイク・スターンか死んだボブ・バーグしか聞いていない。

つぎの章が現代音楽。本のちょうどまんなかへん。このあたりから何が書いてあるか、読んでいて理解不能になる。

どっかの章の最後に書いてあったのだが、未来のインプロヴィゼーションというのは、あるジャンルで天才がすばらしい仕事をする、あとはしばらくみなが追従する。そういうかたちになるだろうと、あるミュージシャンが言っていた。

そのとおりだ。

ジャコ・パストリアスが出てエレクトリック・ベースの弾きかたが変わってしまった。あとはあの偉大なリチャード・ボナ様ですら、テクニックと完成度でははるかに上をいっているにもかかわらず、ジャコではないのだ。

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