2021年8月24日火曜日

スイスの時計コンクールでセイコーが優勝しそうになるまえにコンクールそのものが消滅したこと

セイコーがスイス天文台クロノメーターコンクールに挑戦を開始したのは1964年。1967年に企業賞で第2位になり、翌年には優勝が射程にはいってきた。しかしそのタイミングで100年続いた「コンクールが取りやめになった」と、セイコーのプロジェクトを率いたチームリーダーだった師匠が淡々という。

https://museum.seiko.co.jp/seiko_history/milestone/milestone_04/

オメガやゼニスやロンジンなどスイスのメーカーとしては、日本のメーカーに優勝させるわけにはいかなかったのだろう。セイコーとしては自分らの技術を高めることができればそれでいいのだ、ということなのだろうが、そこに文化の決定的な違いがある。

欧州では、勝たなければ意味がない。それは欧州が、ちょっと油断して背中を見せたら刺され、土地を奪われ、水を絶たれ、殺され、略奪された歴史を背負っているからだろう。翻って日本は四方を海で守られ、農耕技術も工芸技術もゆったりまったりと蓄積することができた。武士道も葉隠のようにまったりと熟成することができた。

国のいつもどこかで戦国時代みたいなことが行われていたら、そうはいかなかっただろう。欧州では地続きのどこかでいつも戦争や略奪があった。なんとしてでも勝たなければ殺され、どんな汚い手段をつかってでも生き残らなければならない。

日本人が優勝しそうだから100年間続いたコンクールをやめてしまう。そういうことなのだ。 

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