2021年10月3日日曜日

街道をゆく19 中国・江南のみち 司馬遼太郎

 満州族が明朝を倒したとき、漢人が大挙して日本に亡命した、とある。

「明人の亡命者が多く日本にきた。水戸藩の水戸光圀によって保護された儒者朱舜水や、黄檗宗というあらたな禅宗を京都郊外の宇治で興した隠元などは著名である。」云々。

それで思い出した。我輩が大学にはいったころの学長は林雪光(りんせっこう)という学者だった。彼こそ黄檗宗の後裔であり、中国語のみならず黄檗宗の研究で数々の著作がある。

ある先輩いわく、「(林雪光先生のばあい)じぶんの家の書庫でみつけた本を研究したら学位論文になる」と。プライベートな書庫なのだから誰も見たことがない本がたーんとある、そんな特権階級と競争しなければならないのが中国語の歴史文法研究の世界なんだ、と。

ドライブをしながら内儀が尋ねたもんだ。

「もういっかい若い時に戻れたら、やっぱり最初の会社を辞めるの?」

「いや、もういっかい戻れるとしたら、学生時代にもどって、もっとまじめに勉強するんだ。」

「まじめに勉強してたんじゃないの?」

「うん・・・、成績とか順位とか、そういう他人の評価・・・世間の評価みたいなもんをちょっとは気にしながら勉強するっていうことかなあ。でもそうだったら俺じゃないよな。」

閑話休題、ちゅうかこのブログはぜんぶ閑話なので別の閑話。

寧波をうろうろして地元の人の話を聞くとわかってくるのだが、蒋介石という中国共産党の仇敵、いわば中共にとって国賊の蒋介石は寧波出身であって、したがって寧波人には絶大な人気がある。「蒋介石って寧波語でなんていうの?」「ぢゃーがいせく。」と誰もが誇り高くいうのである。寧波とか上海とか、浙江省のあたりの地場の言葉は音節がきわめてみじかく、機関銃のようなスピードで話す。司馬遼太郎さんは浙江語と我が国の漢字の呉音を比較していらっしゃるけれど、お経に多い呉音の、特にくねった音のおおいまったりさと、現代浙江語の機関銃のようなスピードはぜんぜんイメージが異なる。そのへんはまったく書かれていない。

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