【引用】
講演会で外国語学習について話していたとき、こんな質問が出た。
「ひたすら発音して、暗唱してという、ミールの方法をどう思いますか」
答えは決まっていた。
わたしはそれ以外に知らない。
本当に、知らないのである。
+++++
この本の最後の部分である。
深く、深く感動した。
【引用】
講演会で外国語学習について話していたとき、こんな質問が出た。
「ひたすら発音して、暗唱してという、ミールの方法をどう思いますか」
答えは決まっていた。
わたしはそれ以外に知らない。
本当に、知らないのである。
+++++
この本の最後の部分である。
深く、深く感動した。
「京都嫌い」の井上章一さんと鹿島茂先生の対談。おもしろかったので洗濯物を乾燥したりごろ寝しながら1日で読了。
得られたものは、ルイ16世の弟がゲイだったとか、国家とか都市が凋落しはじめたとき観光地化するとか、フランスの高速道路のSAみたいなところの大衆向け食堂のメシは激マズだとか、料理史家は「イタリアからやってきた料理人がルイ14世にから休暇をもらってイタリアに帰った時点」がフランス料理の成立としているとか、丸紅も伊藤忠も応仁の乱のあと荒廃した中京に移住した近江商人であるとか、あれこれたくさんの無駄な蘊蓄。
「無駄」というのはなんでかというと、我が輩はすでにジジイと呼ばれる領域に達していて、ジジイがもっとも避けるべきは、若手が聞いてもしょうがない、そもそも聞きたくない蘊蓄を語ること。ゆえに蘊蓄は無駄に蓄積され、忘れられるか、ジジイとともに灰になる。聞き上手のジジイになるために、蘊蓄はほぼ無駄である、と断言して差し支えない。
この本を要するに、お二人とも京都とパリという、お高くとまった街が大嫌いというのが伝わってくる。
もうひとつ。ドイツ軍がパリを占領するたびに、将官がパリの娼館にいりびたったという。娼館の売上を通じて、フランス全体として賠償金をほぼ回収したという。見方を変えれば、ドイツ軍はパリの娼館に行きたいのでフランスを攻めるのではないかと思えるくらい。
いまウクライナとロシアがあれこれやっているけれど、両者はフランスとドイツくらいの違いもない。はたから見たらだいぶ違うフランスとドイツですら、両者の喧嘩はけっきょくパリの風俗をハブに展開していた。そしてロシアとウクライナは京都でいわば、洛外と洛中の喧嘩みたいなもの。そんなん核戦争になるわけないし、ウクライナがとんでもなく縮んでしまったオバケみたいな内陸国になり、そして西欧はインフレでボロボロ。そんなんはじめから決まっていたと思うのだが。ユダヤ人を虐殺さえしなければ、パリのフーゾクめざしてタイガー戦車で突撃したドイツはのちのち愛される存在になれたかもしれない。
1933年、スタヴィスキーというユダヤ系ウクライナ人が、当時の政権がからんだ大がかりな金融犯罪事件がおこったらしい。これも本書の受け売りだが、ゼレンスキーもユダヤ系。ウクライナという場所はなんだか、自分とこのユダヤ人にひっくり返される運命にあるんじゃないだろうか。
読みはじめて知ったのだが、日本学術会議で任命拒否をくらったのがこの人。安倍ぴょんの爺さんとか昭和天皇の大間違いをこんなけまじめに検証したら、そりゃ自民党なら拒否するでしょうよ。統一教会支配下であったにせよ、ポスト統一教会時代にせよ。
449ページに紹介された水野廣徳という人の意見:島国ゆえ他国から容易に侵略されることがなく、しかし天然資源に乏しい「日本は戦争をする資格がない」・・・これはいまでも、いや今であるがゆえに真理である。
いじめてはいけないやつがいる。食糧をつくり、エネルギーを掘り出し、材木を切り出し、窒素を合成し、タングステンなど工業原材料を供給するやつだ。ロシアだ。資源を持っていて、せっせと汲み出し、切り出し、掘り出すやつをいじめてはいけない。
アメリカのいつかの大統領だか国務長官がロシアのことを、「ガソリンスタンドに軍隊がくっついている国家」と言ったらしいが、そのガソリンスタンドの地下には膨大な天然資源があり、軍隊の背後には超音速ミサイルを作ることができる工場が並んでいる。
悪玉アメリカも似たようなものだが、軍隊の経費はすべて借金だ。借金のドル建て証書が世界中で流通しているのはとても不思議な現象だが。そのへんのカラクリはマイケル・ハドソン先生が喝破してくれた。
閑話休題。世界情勢や歴史に対する無知無理解から一方的にロシアを悪者にするなら、単なるアホちんだ。しかしウクライナみたいな腐敗ヤクザ国家を支援するというのは、これはもう確信犯でしかない。そしてウクライナが、ロシア系住民が多いところを全部ロシアに取られ、西のほうはポーランドやチェコに侵食されてとてもとても小さくなり、キエフと周辺くらいしか残されず、ほとんどエストニアくらいの面積で、内陸の不利な立地でロクな産業がなく、しかしアメリカと西欧に対する膨大な借金は残される。そういう事態に至っても、誰も責任を取らないのだろう。安倍ぴょんの爺さんがまさに責任を逃れたように。
この本をよく読むと、東京大阪が焦土にされ、沖縄で20万人が殺され、広島長崎で30万人が殺されるまでに、何度かケツをまくって「もうやめた」と言えるタイミングがあったことがわかる。任命拒否を喰らうくらいで済んでいるのが、まだマシな国家体制ということなのか。
この姉妹ブログ「ワシが舞い降りたった」にリンクを貼っておいたのだが、
https://sputniknews.jp/20220826/12638283.html
もし日本が中国+北朝鮮と戦うならミサイル2万発が必要だ、というのが素人にも分かりやすくシンプルに書かれている。どう考えてもやはり、
「日本は戦争をする資格がない。」
The Naked Don’t Fear the Water: A Journey Through the Refugee Underground
という本を出したジャーナリストのマシュー・エイキンがゲスト。
「裸人は水を恐れず」というタイトルは、アフガニスタンのダリー語(=ペルア語)の俚諺で、失うものは何もないというくらいの意味だそうな。
この人の友人にアフガン人の通訳がいて、彼はアメリカ軍でも働いていた。アメリカ軍が撤退するというので難民ビザを申請したが、受理されなかった。仕方がないので、非合法で出国するという。その友人について、業者の手引きでアフガニスタン南西部からパキスタンのバロチスタンに抜け、パキスタンからイランのバロチスタンに入り、イランを東西に横断し、トルコに入り、トルコからゴムボートでギリシアに入った。そこからさらに西に移動し、あるものはロンドンに至るものもいるというルートである。
「僕がダリー語を話したらアフガン人にしか見えないんだよね」という彼は、実際に写真を見るとその通り。アフガン人にしか見えない。
というわけで、近年稀に見るほんまもんのジャーナリストである。本を入手したいのだが、やっぱりアマゾンでもう一回アカウント開設しなきゃいかんかなあ・・・。
司馬遼太郎の学生時代を知る人がブログを開設している。
98歳ブログ「紫蘭の部屋」
https://ameblo.jp/siran13tb/entry-12476644678.html?frm=theme
素顔の司馬遼太郎のことが書いてある。おもしろい。
司馬遼太郎は大阪外語学校でモンゴル語を学び、戦時中だったので二年生が終わったところで繰り上げ卒業させられ、戦車兵として訓練され、ペラペラの鉄板でできた戦車に乗せられた。そんな恨みがあったためか、彼自身とモンゴルのかかわりについては、この本にも他の本にも、たくさん書かれているわけではない。「モンゴル紀行」ではないが、自分をモンゴル人だと思いこんでいたとか、そんなことがさりげなくあちこちに書かれているくらいだ。この「モンゴル紀行」にも、そのあたりはじつにあっさりとしか書かれていない。
しかし、司馬遼太郎にとって、学校を出て30年の間あこがれつづけたモンゴルである。
そんな司馬遼太郎が心情を吐露している、ひとつは外務省職員としてウランバートルに赴任している6年上の先輩にであったときである。
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「崎山さんも、大変でしたな」
と、草原の学問寺で過ごした奇妙な青春を、満腔のうらやましさを籠めて、からかってみた。
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もうひとつは、ゴビ砂漠を去るときである。
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この草花のそよぐ大地に、このつぎいつ来ることができるかと思うと、ちょっとつらい感情が地上に残りそうだった。
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我が輩は神戸外大という学校で中国語を学んだのだが、はじめて中国を訪れたのは卒業の30年後だった。司馬遼太郎との共通点はそれだけだが、自分が青春時代の情熱を傾けて学び憧れた場所というのは格別であって、そこに至るまでのアメリカ、マレーシア、インドネシアなどは吾輩にとってすべて途中の「寄り道」に過ぎない。
その地を踏んだそのあとはぜんぶオマケ。そんな感じでノコノコと同窓会に出かけたり、同学に会って神戸元町で酒を飲んだりするようになった。
上記のブログによると、司馬遼太郎はある時まで同窓会を忌避していたらしい。それにしては、この「モンゴル紀行」、なんと恩師・棈松源一名誉教授といっしょである。ということは、同窓会であべまつ先生に「こんどね、モンゴル行きますねん」「ほなボクもいっしょに行こか」てな話になったのではなかろうか。文豪ゆえ酌を交わしたがるような同窓生は会いとぉないと、そういうこだわりがどうでもよくなったのだろう。
壮年のころの同窓会なんちゅうのは、生臭すぎる。50代なかばの終点が見えることになって、ようやく行ってもいいかと思うくらいのもんだ。そんなあれこれをいっぱい考えさせられる本だったので、読みおわってから何週間もたって、ようやく感想文を書く気になった。
石牟礼道子さんが巻末の解説を書いている。会話がコテコテの河内弁で構成されたこのストーリー、石牟礼道子さんは天草の人なのでさぞかし読みにくかっただろう。「訊ねる」が鼻音化して「たんねる」になる、というのは、我が祖母おちかの世代の言語である。
「告白」のモデルになった事件が起きたのは1893年、主人公の城戸熊太郎は36歳。その年に祖母おちかの父親、小谷幾太郎は34歳。事件のヴェニューは河内の赤坂村字水分。我が曽祖父・幾太郎の実家・浜寺からわずか20kmくらいの距離である。ちなみに主人公熊太郎は農家の長男だったが、熊太郎自身は農業ではなく博徒であった。我が曽祖父・小谷幾太郎もそこそこ大きな農家の長男だったが、博徒であったらしい。まるでおんなじやんけ。
男30代半ばというのは、落ち着いているような迷っているような、わけのよぉわからんときである。異性関係でも仕事でも、離婚したりモテたり、嫉妬したりされたり、やっぱりわけのわからんときである。そんな微妙な年頃に、近所で10人を殺戮して有名になり、「男持つなら熊太郎」と河内音頭のヒーローにもなった熊太郎のことを、同じ背景を共有した小谷幾太郎はどう思っていたのだろう?というわけで、我が輩にとってまるで他人事ではない。
と、同時代に同じ文化を共有した多くの人も、そして現代の関西人も共感するのだろう。
同作者の「ギケイキ」ほどのスピード感がないのは、新聞小説ゆえか。まじめにコツコツ、ごりごりと書かれている。素晴らしい。
これもたいそう面白かったので、ほぼ一気読み。
1. イブン・バトゥータの大旅行記が取り上げられている。東洋文庫で全8巻。ぜんぶ揃えたら3万円仕事だ。でも欲しくなる。我が輩は長い時間をかけて集めた同じく東洋文庫のモンゴル帝国史を、手に入れたことに満足したせいか、まだ読破していない。東洋文庫は隠居するまで読むものではなく、置いとくもんだという意識もないとは言えない。でもとりあえず、イブン・バトゥータをあちこちで探してみるか。
2. ピダハン、というのはアマゾンの少数民族で、それを取り上げた本。彼ら彼女らをキリスト教に折伏しようとして入植した著者は、言語学者にして文化人類学者にして聖書翻訳者。ピダハン語には数がない。抽象化や一般化をしない。小さなリンゴと大きなリンゴは、それぞれ違うものである。一般的なリンゴや、果物という抽象的概念がない。著者がイエスについて語ると、ピダハンは「お前はそいつに会ったことがあるのか?」著者は返答につまる。著者がキリスト教入信の動機として、近親者の自殺のことを語ると、ピダハンは「自分を殺すなんて、なんて馬鹿なんだ」とおおいに笑う。そうしているうちに、著者は逆折伏されて無神論者になってしまったとのこと。読まなくてもいいかなと思うけれど、とても面白そうだ。
3. 町田康のギケイキが取り上げられている。町田康の「パンク侍切られて候」は映画もよかったし、本もよかった。さっそく注文した。
標記の本の注釈はかなりぞんざいだけれど、なくてもいいのであまり気にならない。
たいそう面白かったので一ほぼ気読み
1.室町時代の日本は、まるでいまのアフガニスタンだ。いまのアフガニスタンは、まるで室町時代の日本だ。そう考えると、親近感が湧いてくる。
2. 英語のマザーファッカー、アラビア語のクソマック、中国語の他媽的に該当する日本語の罵り言葉はないと思っていたら、室町時代にあったらしい。それを母開(ははつび)という。それを使ったら、訴訟せざるを得ないとか、訴訟でもその言葉を使ったほうは絶対に不利になるような程度だったとのこと。
3. 浄土真宗は悪人正機説によって、本当の犯罪者、極悪人、武装集団を取り込んでいったという。だから一向一揆が優勢になったのだそうな。我が輩が学生だった頃、浄土真宗の学生団体で歎異抄研究会というのがたいていの大学にあって、まるで軍隊のようで暴力的だったと聞いたことがある。それは歴史と伝統を踏まえていたのだ。納得。念仏系の宗派というのは、「死んだら極楽」という思想、その武闘性、それらはまるでアフガニスタンのタリバンだ。そう考えると、タリバンに親近感が湧くし、アフガニスタンも遠い国ではなく、福井県や石川県くらいの近所に思えてくる。
我が国の鉄道建設技術で、アフガンの山々にトンネルを穿ち、新幹線を通し、それで100年くらい経ったらアフガン人のタリバン的な考えかたにも多少の変化が見られるのだろうか。
それとも、タリバン的な考えかたをもった若い人たちが、その思想や思考や行動様式はそのままで周辺地域に散らばり、同時に周辺地域に住んでいた非宗教的で自由な考えを持つ若い人たちがアフガンに移住し、結果的にコアなところは何も変わらないけれど、タリバンの比率が周辺地域を含めた全体として薄められるというふうになるのだろうか。
Tarab nights with Sanaa Marahati & Amsterdam Andalusian Orchestra
https://www.youtube.com/watch?v=Uy4CuHv_PPo
”Amsterdam Andalusian Orchestra”で検索すると、いろんな動画がぽこぽこ出てくる。そのいずれもが、1時間以上。長いぞ。
共通しているのは、アンダルシアだけあって明るい曲調が多い。このところ中東の音楽を聴いている我が輩には、奇妙に感じられるほど明るい。それゆえか、一度聞いたらそれで満足してしまう。いや、明るい曲は飛ばしてしまうので、一度すら聴いていない。
生まれてこのかた12音階の西洋的音楽を聴いてきた。我が国の音楽も、明治時代から12音階に支配されてきた。公教育の教科書にのっている滝廉太郎からずっとその譜系でやってきた。
だから、この歳になって飽きてしまった。ポール・マッカートニーから石川さゆりからELPからウィントン・マルサリスまで、ぜんぶ飽きてしまった。たしかポール・マッカートニーが言ったように、「リズムとコードパターンの組み合わせなんて、もう限界がきている」のだから、まるでファッション業界でスカートの長さが伸びたり縮んだりするみたいに、新しい世代の新しいオーディエンスに受けるためのコマーシャリズムが支配的になるのだろう。12音階という西欧のイデオロギーが行き着いたデッドエンドだ。
中間音を排除した12音階、それをもとに構築された和音、それを発展させ、アフリカ由来のリズムと融合させて完成したジャズ。スティーヴン・ジョブズが発明した、PCで音楽と動画を管理するという技術、ソニーが先鞭をつけた圧縮技術、ネット通信技術。それらの相乗効果で、居酒屋のトイレでビル・エヴァンスが流されるようになった。これで飽きるなというほうが無理じゃなかろうか。
12音階に代表される西欧のイデオロギーと文化が、我々が生まれ育った風土と身体性にしっくりくるかというと、それは別問題。思春期に聴いて衝撃を受けたような音楽:多くの同世代にとってビートルズ、我が輩にはCCRやオールマンブラザーズやELP、内儀の世代にはローリングストーンズやエリック・クラプトン。なんで「衝撃的」だったかというと、我が輩の場合、それは日常生活とは異質の、明るくてわかりやすい、いわゆるモダンだったからだと思う。
それ以来、明るくわかりやすいモダンさを追求してきた。しかしそのいっぽうで、琉球とか胡弓とか、中間音を保存する音楽の根強いファンがいた。西欧のイデオロギーとカルチャーに「ちょっと違う」と感じる人たちが、「明るくわかりやすくモダン」でないカルチャーを求めているのだと思う。
というわけで、アラビア音楽でありながらアンダルシアの「明るくわかりやすくモダン」な要素を盛ったアムステルダム・アンダルシアン・オーケストラ。使われる楽器は中東由来のものであるにもかかわらず、二度聞く気がしないのは、上述の理由ではなかろうかと思うのだ。
蛇足ながら、我が輩がいまだに飽きずに時々聴いているのがある。スタッフの、ミケールズのMP3音源ライブ。
では、「古語を温存している」はずの琉球語が大和語より新しいのか?という矛盾が生じる。
それについては、こういう説明ができると思う。
我々の言語が属するアルタイ諸語のグループには、母音調和という特徴がある。これは、前舌母音グループと後舌母音グループが、あたかも野球のセリーグとパリーグが普段は交流しないように、単語や単語群で共存しないとい不思議な現象である。
以下はあくまでたとえなので容赦願いたい。ウラル・アルタイ語で母音調和を現代まで保持しているのはトルコ語で、そのトルコ語をいま学んでいるのだが、まだ始めたばっかりなのでいい加減なことしか言えない。
例えば、4母音を1組として考える。前舌母音4+後舌母音4で、8母音となる。大和語では、万葉集の時代に母音調和が崩壊しはじめ、8母音が淘汰されて5母音に減少した。琉球ではそれが3母音になった。ヤマト語と琉球語は、それぞれ別々の生成発展のルートをたどって単純化したのである。
さらに、いまここで「ヤマト語」「琉球語」と単純化しているが、司馬遼太郎の標記の本にも出てくるように、琉球語の地域差はヤマトの東北・関東・京都・九州の差異の比ではないらしい。琉球でもヤマトでも、方言はそれぞれ固有のダイナミズムに従って生成発展してきたのであろう。
ヤポネシア語の母音構造はたしかに単純で、南方諸語と共通する局面がある。しかし南方から船でやってきた人々が、そういう人々も多かっただろうし、現に拙者の近い祖先も、その容貌や行動様式からして南方系としか思えないのだが、ヤポネシアで大陸系の色白の娘を口説いて子供をもうけ、その子孫が南方語の文法を捨てて、アルタイ語の文法を採用し、それに南方の音韻を載せた・・・とは考えにくい。それよりも、ヤポネシア諸語が固有の発展生成過程で、音韻を単純化させたと考えたほうが合理的だと思う。
またそのほうが、拙者の恩師・長田夏樹教授をはじめとする諸碩学による考証を積み重ねられた、日本語アルタイ語同源説とも矛盾しないと思うのである。
ヤポネシア諸語と南方諸語の関わりあいを考えるとき、シンプルな音韻以外に共通項が少なすぎる。両者の交流がないとは言えないが、それはあくまで黒潮に面した地域に限られるのであって、ヤポネシア諸島弧の、日本海側も含めて全域で、南方人と大陸系が結婚したと考えるのは、ロマンチックだが無理があると思う。
寝る前に読む本がなくなったので、標記の本を読んだら、眠れなくなった。
柳田國男の「海上の道」と江上波夫の「騎馬民族征服論」を対比させて論じているので、そのことが頭脳をかけめぐったからだ。そして半ば混沌としたなかでの結論:
「異民族に征服されても文法は変わらない」
さらに言えば、
「異民族を支配して文法を変えようとしたら、教育制度を整備して組織的に変えなければならない。それは国家的事業であり、自然の変化ではない。そんな事業は、全盛期のイギリスやオランダでもやらなかったし、できなかった。」
つまり、我々日本人はずいぶん昔からこのヤポネシア列島で、いまの日本語と変わらない文法で話してきた。
周知のように日本語はいわゆるアルタイ語で、朝鮮語、満州語、モンゴル語などのテュルク諸語と同一の、膠着語と呼ばれるグループに属する。
翻ってジャワ語、マレー語、タガログ語、台湾の高砂族の言語、ベトナム語など南方言語は、形容詞がうしろからくっつく以外は印欧語とよく似た文法である。ただし冠詞はなく、性別や格や時制はかなりリラックスしている。単純なようでいて、接頭語や接尾語でバリエーションを稼いでいる。
日本語は、琉球諸語も含めて、音韻は南方的である。本土語は5母音、琉球諸語は3母音。琉球諸語がいにしえの本土語を温存しているという事実から、母音数が少ないほど古語、という思い込みも成り立つ。しかしそれはふつう逆である。言語が進化するほど音韻は単純化することが多い。
しかし、中国語の成立がそうであるように、(<- 楊海英)隣接する民族が合流し、言語がカバーする地域が拡がり、時代を経ると音韻は単純化する。満州族の支配で中国語の音韻が激変したように、異民族の支配によっても音韻は変化する。
さらに、アニミズム面からの思い込みがある。南洋の島々、特に吾輩の場合ボルネオ島やカリマンタンの熱帯雨林で、先住民のロングハウスに滞在したときの経験から、日本人の祖先は南洋であると信じ込まされることがある。しかしこれは、南洋の熱帯雨林に棲息する先住民の祖先の精霊が、日本人だけでなく、誰かれなく滞在した人々に見せる夢なのだ。その洗脳作用によって熱帯雨林は延命を図っている。
つづく。
いまは長野県東御市に定住して葡萄を栽培しワインをつくっている玉村豊男さん。1984年の本なので、著者39歳のころのエッセイ。
30代になって放浪の旅に出た時、リュックサックの重さにバランスを崩して転んでしまった、その余計な重さは酒と本であったという。つまり酒と本という定住者の悪弊を旅に持ち込んだ、自分の年輪に玉村さんは直面したわけだ。
考えさせられる逸話だと思う。
中学・高校と同級生で、小学校教員を38年間勤めて退職した友人は、まだ働き続ける我輩のことを「すごいな」という。「上の娘が40歳のときの子やからね」と、我輩は言う。20代と30代の違いどころではない。書物と酒、そしてどれほどの重さを荷物に加えたことか。
CONCLUSIONと題した節におもしろいことが書かれている。いわく、
私は、
「日常を旅する方法」
というものを、もしもあるとすれば、是非とも手に入れてみたいものだとつねづね夢想している。
どこにいても、たとえ一カ所に、まったく動かずにずっととどまっていたとしても、たとえ毎日まったく同じような(他人の目には刺戟のないないルーティーンそのものに映るような)暮らしをしていながら、その暮らしの刻一刻につねに新しい発見があるような日常。
云々・・・いままで自分の志向をどう説明すればいいのか、なかなか言葉にならなかった我輩である。しかし上の文章で、いい表現を得た気がする。
出自が貧乏人なので、旅というものをしたことがほとんどなかった。小学生のころ東海道新幹線が開通して、父が我輩と兄を新大阪駅に連れて行き、新幹線を見せてくれた。子供心に、新幹線に一生乗ることはないだろうと思っていた。
人生最初に新幹線に乗ったのは、バグダッドにいく途中、東京に立ち寄るための仕事だった。人生最初の飛行機は、バグダッド行きのイラキ航空だった。それ以来人生のほとんどのフライトは仕事のためだった。バグダッド滞在は7ヶ月、いちばん短い滞在だった。帰国して一ヶ月後に赴任したニューヨークで4年間働いた。
自腹で行く短期の旅行に憧れつつ、心のどこかで「現地の言葉もできない短期滞在で、はたして何か見たことになるのか?」と、短期の旅をいささか軽蔑していたことも確かだ。「そこに住み着いて現地人とともに働いて、はじめて異国を理解することができる」と考えていた。しかし「理解」していったいどうなるのか?それは本当の理解なのか?
いや、理解などではない。理解したつもりでも、さらにディープな奥行きが拡がっている。ほんとうに理解しようとすれば、現地人を配偶者に娶り、そこに骨を埋める覚悟が必要だろう。しかしそれでは面白くない。それならば「理解」などという言葉は不適切だ。
では、自分の志向するところは何だったのか?それは「日常を旅する方法」だったのだと、この本を読んで知ったのである。
この本では、シェークスピア(1564〜1616年)自身はユダヤ人に会ったことも見たこともなかったかもしれないという。
調べてみると、こういうことだ。
1290年、エドワード1世の命令でユダヤ人がイギリスから追放された。約400年後の1689年ごろクロムウェルが解禁するまで、リクツのうえで(ほんとうに追放令が忠実に施行されていたとして、というはなし)ユダヤ人はイギリスに存在しなかった。
シェークスピアの「ベニスの商人」というドラマでシャイロックというユダヤ人の金貸しが描かれている。シャイロックからカネを借りたアントニオが借金を返せなかったので、抵当の自分肉1ポンドを取り立てようとして失敗した話だ。
そもそもアントニオがカネを借りるとき、自分肉1ポンドを抵当にするという条件で合意したはず。シャイロックにとって、カネを返せないなら抵当を取る、という日常的なビジネスオペレーションだった。しかし邪悪な裁判官が、血を流さずに肉を切れ、なんていうから貸し倒れになってしまった。たとえばの話、土地を担保にカネを借りて、返せなくなったとき土地を取り上げられそうになった。そこに犬小屋があって、犬が住んでいるとする。「犬と犬小屋を撤去せずに土地だけ取れ」みたいな裁判所命令が出た、という現代的にみれば理不尽な話だ。
シェークスピアは、どっかで聞いた話をもとに、ほとんど見たこともないユダヤ人がいかにひどいかというストーリーを書いた。
ところで今日、NHKで「NHKはスタッフの安全を担保しつつ、はじめてウクライナに取材班が入りました」と言っていた。その内容はカメラワークがじつに粗雑で、いままでNHKが流していた(内容はともあれ見てくれは)つるつるピカピカした感じとまるで違った。
そもそもNHKの自前の取材班が「はじめてウクライナに入った」のであれば、いままで流していたニュースはいったい何だったんだ?ということについて、当然のことながら説明もお断りもない。
まるでシェークスピアじゃないか。どっかで聞いた話をもとに(というかウクライナの広告代理店から提供された素材をつかって、どっかの天からおりてくる筋書きにそって)ロシアはこんなひどいやつだ、というストーリーを、公共の電波を使って拡めるのに余念がなかったのだ。おまけにそれに対して視聴料金を取りよる。
アメリカ発のウクライナ関連ニュースがいかに嘘と誇張のかたまりかについて、他ならぬNBCがレポートを出した。それについてケイトリン・ジョンストンがわかりやすい記事を書いてくれている。邦訳は我輩の https://manhaslanded.blogspot.com/ をご参照ありたい。
閑話休題。
ロシアとウクライナの仲がわるいこと、欧州のどの民族も他民族と仲がわるいこと、いつもどこかの国でかならずユダヤ人が迫害されてきたことなど、これは誰が悪いというよりも、地続きの狭くるしいところに、いろんな言語、いろんな文化、いろんな歴史をもった人々が住んでいるという下部構造にもとづくものだ。日本人だって島国ではなく、朝鮮半島に住んだら、1世代くらいで違う考えかたになる。きっとそうだ。
日本人が日本人なのは日本が島国だからだ。
しかるに、なんでイスラムは異教徒に寛容で(ただしサウジのワハーブ派をのぞいて)、キリスト教徒は異教徒、とくにユダヤ教徒に不寛容なのか?それにはキリスト教の成り立ちが関わっている、そこが特殊なところだ。
キリストはユダヤ人で、ほぼ神みたいな存在なのだろう。三位一体とかややこしい進学議論はのけといて、ほぼ神といっておこう。そのほぼ神が、同胞のユダヤ人に殺された。ほぼ神を殺したのだから、ユダヤ人は差別するべきなのだ、というのがキリスト教にビルトインされている。
イスラムのほうでも、ほぼ神のマホメットを誹謗中傷したら死刑だ。しかし特定の民族を弾圧すべし、なんてのはビルトインされていない。そこが違う。
欧州半島という特殊な狭い地域を、キリスト教という特殊な宗教が制圧し、わがままでこだわりが強く、競争心が旺盛な人々がぎゅっと集まって住み、たまたまアラビア経由で科学技術の知識を手にいれた。背中から刺されないために必死に努力し、科学技術でもって兵器を改良し、世界のほとんどを植民地にした。さらに、(非科学的なキリスト教を人民に信じさせた手法を発達させた)独自のマーケティング手法で、じつは無慈悲で残虐な欧州人と欧州について、世界があこがれるシャレオツなイメージ、ファッションと美食と文学と哲学の世界中心みたいに刷り込んだ。
そういうことだ。
ユダヤ人の章がエグい。キリスト教世界で殺され、焼かれ、追放され、奴隷にされてきた。キリスト教に改宗したら奴隷ではなくなるのだが、そのかわり財産はすべて没収された。なぜかというと、奴隷所有者は奴隷を失うので、その損失の穴埋めとして財産を没収するのだそうな。
欧州人がエグいのだとか、キリスト教徒がエグいのだとか、そういうことでもないんじゃないかと最近思いはじめている。イスラエルはパレスチナ人に対してじゅうぶんエグいことをやっている。欧州人はモンゴル人をエグいというが、モンゴル人はコサックをエグいという。要するに地続きで住んでいる人たちはそうなりがちなのだろう。
日本人は朝鮮人を二枚舌なので信頼できないという。しかし日本人も、地続きの場所で何世代か暮らせば、サバイバルのために二枚舌になると思う。先祖が朝鮮由来であっても、島国で暮らせば二枚舌を使う必要がなくなるので、何世代かのうちに使いかたを忘れてしまう。我輩の同級生くらいの世代になると、そんなもんだ。日本人とぜんぜん変わらない。
アメリカも基本、大きな島国なので、アメリカ人も欧州の地続きの人たちの発想を理解しないことを忘れてはならないと思う。
あとがきによるとロシア病に感染したイギリス人による本。思わず声を出してわらってしまうところが何箇所もある。
これによると、ロシア人とウクライナ人は昔から仲がわるいらしい。ジョークがひとつ紹介されている。
ロシア人が宇宙に行ったらしいと聞いたウクライナの老農民、うれしそうに「連中、ひとりのこらず行ったのかね?」
マイケル・ハドソン先生はスコット・ホートンの反戦ラジオとか、マックス・ブルーメンタールのグレイゾーンとか、ベンジャミン・ノートンのマルチポラリスタとかにゲスト出演していて、親しみやすくてとてもわかりやすい話っぷりでファンになった。
そのハドソン先生が1972年に書いていて、出版社の事情でたなざらしになっていたものにぼちぼち書き加え、なんとその内容がいまのいまになってとても新しくエキサイティング!ということである。
1970年代に徳間書店が翻訳権を取って、しかし政治的理由から出版が止められていた・・・と聞いていた。日本語版がないものだと思って英語版を買って読みはじめたら、そのうち日本語版が出されているのに気づいた。いきがかりじょう今のところ英語版を読んでいるが、そのうち日本語版も手に入れたいと思う。
日本語版の翻訳は広津倫子さん。1947年うまれのこの人は、なんと21冊も翻訳している。すごい仕事量である。いまでこそたとえばDeepLみたいな優秀翻訳ソフトを使って下訳し、それをちゃんとした文脈の日本語にする、というようなまるでさいとうたかをプロダクション的仕事のやりかたであれば、膨大な仕事量をこなすことも可能だろう。しかし我輩より11歳も年上ですよ。そしてファンタジー小説から経済評論までという幅広さ。21冊ぜんぶが徳間書店だから、徳間から頼まれて断れなかったんだろうな。それを考えるとさらに日本語訳を読みたくなる。
内容は、めっちゃおもしろい。興奮する。ロシアと中国の枢軸機構がアメリカのドル基軸通貨体制をぶっこわそうとしているいま、なぜドルが基軸通貨になったのかをさかのぼって学ぶことは決して無駄ではない。
マイケル・ハドソン先生いわく、よく売れるなと思ったら財務省の訓練マニュアルになっていたとのこと。先生独特のユーモアのセンスが光っている。
日本語と語順がいっしょだからと舐めていた。じっさいは壁がいきなり出現する。
1. 日本語と語順がいっしょだから、トルコ語の教科書もそれを前提に、いきなり文法と膨大な単語で日本人学習者を苛む。 しかも動詞がやったら多い。
日本語なら [漢語+ する] というパターンで、[する]という動詞ひとつでたくさん応用がきく。
ペルシア語も同様に、[〜キャルダン=〜する]という動詞ひとつでたくさん応用がきく。
トルコ語の場合、いちいち独立した動詞になっている。だから動詞がやたら多い。
2. 日本語と語順がいっしょじゃないところがある。
われわれの言葉(トルコ語も日本語も)は膠着語といって、うしろに言葉がくっついてゆくという特性がある。トルコ語と日本語が違うのは、うしろに主語を示す言葉がくっつくことだ。
たとえば、トルコ語世界で誰もが知っているシンガーソングライター、セゼン・アクスに「ヴェズゲチティム」(あきらめました)というバラードがある。
https://www.youtube.com/watch?v=83PXWOoucDU
ヴェズゲチが語幹、テが過去をあらわし、最後のィムが「私は」という主語を示している。だからヴェズゲチティムというひとことで、「わたしはあきらめました」という意味になる。
語尾で主語をあらわすというのは、mという音が一人称をあらわすことも含めて、お隣さんのペルシア語から輸入されたのではないかと思う。ペルシア語もそうなのだ。ただトルコ語人はみとめたくないだろうけれど。
mが一人称をあらわすというのは、英語も同様で、I am なんたらというbe動詞に残っている。これだけでなく、ペルシア語を勉強していると「これってスペイン語といっしょやん」というのが出てくる。ラテン語もゲルマン語もペルシア語の影響を受けているんだと思う。ラテン人もゲルマン人も認めたくないだろうけれど。
3. 語幹がわからん
どこまでが語幹なのか、ざっと文法を学ばないとわからない。文法だけではなく、我々のことばには「母音調和」という現象があって、それが問題をさらにややこしくしている。
母音調和というのは、東京外大のわかりやすいたとえ話を引用すると、母音にセ・リーグとパ・リーグがあって、両リーグはひとつの単語に同居しない。セ・リーグ単語はセ・リーグの母音しか使えないし、パ・リーグ単語はパ・リーグの母音しか使えない。しかもそのリーグ制は、動詞のあとにくっつく時制や格まで影響する。
日本語の母音調和は万葉集の頃までかろうじて残っていたことが、長田夏樹先生の研究であきらかにされた。だが、いまは残っていない。ウィグル語やウズベキ語にも残っていない。しかるにトルコ語にはしっかり残されている。
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というわけで、毎朝トルコ語にどう取り組むか、通勤電車にゆられながらあーでもないこーでもないと、あれこれ試行錯誤する我輩は63歳である。
でも、できたら楽しそうじゃないか。自分が毎日なんの気なしに話している日本語を見直すきっかけにもなる。
はなこが貸してくれた。イラスト集だけれど、どちらかというと文章のほうに感動した。我輩たちが若かったころ筒井康隆を読んだように、こんな文章を空気のように吸収した若い人たちがつくる未来というのも、とても楽しみじゃないか。
拙宅をご来訪になった清水閣下にちょっと見せたら、「この本なら30分で読んじゃうんじゃない?」と言われた。じっさいには1時間以上かけてまだ読みきれていなかった。筆者の実体験を描いているので、ストーリーの背景を構成する情報量が多く、そのせいかじっくり読まされてしまう。
なによりも、筆者のひたむきな生きざまに胸を突かれる。
「〜を知るためのn章」シリーズは、(出はじめのころではなく昨今の)地球の歩き方みたいに無責任ではなく、学術的なことも書いてあるので、値段は高いけれど買って読みたいと思う。たいてい複数の著者、場合によっては章ごとに異なる著者が担当していて、いろんな観点からその国のことを知ることができる。
しかし「モンゴルを知るための」の場合、金岡さんという我が輩と同年生まれの著者ひとりがぜんぶ買いているので、例外的といっていいかもしれない。そのせいか、通読すると金岡さんの癖というか傾向が滲みでていて、この人は左翼が徹底的に嫌いなんだなと思う。そのせいか小渕さんはじめ自民党外交びいきのようで、いやいや右であれ左であれ、日本であれモンゴルであれ功罪はそれぞれあるでしょ、と言いたくなる。
我が輩はまず言語の章から読みはじめ、もうちょっと深く書いてほしいな、というあたりで別の話題に流れてしまう。ま、専門書じゃないのでこれ以上深掘りしたところで一般の読者がドン引きするだけだろう。我が輩が師と仰ぐ長田夏樹先生(東京外大モンゴル語OBなので金岡さんと同門)の講義なんて受講者全員がドン引きしていたのだから。
つぎに歴史。第1に明が元にとってかわってからのモンゴル帝国がどうなったのか、第2に木村肥佐生さんが描写する徳王とはいったい何者だったのか、第3に草原のモンゴルがなんで社会主義共和国になったのか、第4にそこでなにがどうなっていたのか、以上のことをぜんぜん知らなかった我が輩である。そこで歴史のところをぜんぶ読んだのだが、やっぱりよくわからない。もういっかい読まないといけないな。
著者がモンゴル好きというのはよくわかるのだが、「遊牧民から見た世界史」の杉山正明さんみたいなスカッとした読後感はない。いろんなことをいっぱい書いてあって、その意味で拡散していて、著者の専門が何なのかよくわからない。仏教用語に独自のふりがながふってあって、チベット仏教とか密教系の人なのかなという感じもする。それにもかかわらず、この本にとってかわるモンゴル入門書はないので、貴重な労作だと思う。
007ではなく、じっさいのスパイ活動に興味のある人なら読んでおいて損はない。
我が輩は同じ著者の「スパイのためのハンドブック」を先に読んだのだが、シャンペン・スパイを先に読んでからハンドブックを読んだほうがより楽しめると思う。
我が輩はスパイに興味があるといっても、佐藤優はほとんど読まない。というのは第1に、在外公館の外務省の職員とか防衛省の武官は合法的に情報を集めているだけであってスパイではない。第2に、「ヒューミントがどうのこうの」とか一般にあまり馴染みがない(けどたいして深い意味がない)業界ジャーゴンをちょっとづつ出しながら「わしら玄人は」みたいなスタイルなのが楽しくない。第3に、在外公館の外務省職員は自分たちはスパイではないにせよ、スパイの標的とされてきたのはそのとおりで、その立場を自覚していながら、人生の決定的な局面でつねに判断を間違えてきた人に指南っぽいことを語られたくない。
ちなみに我が輩が佐藤優を読まないのは、彼がイスラエルびいきだからではない。佐藤優がイスラエルびいきなのは、ジョージ・ブッシュとおなじく神学の帰結するところがイスラエルということになるだけのはなしだ。神学徒は別にして、イスラエルという国を好きな人は多くないと思うし、イランを敵視しているのも純粋に国内政治の問題でまったく困ったもんだと思うし、核不拡散協定に加盟せずに核弾頭を200発も300発も持っていて、それ自体も問題なのだけれどそれを問題視しないアメリカはじめ国際社会の方がどうかしていると思う。パレスチナで暮らしていた気の知れた友人家族が、他のどんな辺境でも任地を嫌いにならかなったのに、イスラエルだけは好きになれなかった、と言っていたものだが、しかしそれらすべてを知っていたとして、何千年も欧州のあちこちで迫害され、人為的に根絶させられそうになった人たちとして、諜報機関モサドを国民が愛しているというのはわかる気がする。
だから主人公が牢獄から解放されてイスラエルでのんびり暮らしましたというエンディングには、なんとなくホッとするものを感じる。
年末、たーんとある洗濯物を乾かしに出かけ、コインランドリーで乾かす間に読んだ本。めっちゃおもしろいので帰宅して残りを一気読み。隠居して読んでもおもしろいのだから、おそらく現役で生臭いときに読んでも面白いんではなかろうか。
蓋し優秀な経営者というのは、人の観察眼がキモなのではないかと思う。今までの職業人生で出会ったすばらしい人々は、それぞれがもっている技能や経験を隠すことや誇ることなく、それらを披露するのにぜんぜんためらいがなかった。それだけでも人を惹きつける魅力なのだが、それプラスするどい観察眼で適材適所を心得ていたのではないかと思う。