2022年3月21日月曜日

ニューエクスプレスプラス トルコ語

日本語と語順がいっしょだからと舐めていた。じっさいは壁がいきなり出現する。

1. 日本語と語順がいっしょだから、トルコ語の教科書もそれを前提に、いきなり文法と膨大な単語で日本人学習者を苛む。 しかも動詞がやったら多い。
日本語なら [漢語+ する] というパターンで、[する]という動詞ひとつでたくさん応用がきく。
ペルシア語も同様に、[〜キャルダン=〜する]という動詞ひとつでたくさん応用がきく。
トルコ語の場合、いちいち独立した動詞になっている。だから動詞がやたら多い。

2. 日本語と語順がいっしょじゃないところがある。
われわれの言葉(トルコ語も日本語も)は膠着語といって、うしろに言葉がくっついてゆくという特性がある。トルコ語と日本語が違うのは、うしろに主語を示す言葉がくっつくことだ。

たとえば、トルコ語世界で誰もが知っているシンガーソングライター、セゼン・アクスに「ヴェズゲチティム」(あきらめました)というバラードがある。
https://www.youtube.com/watch?v=83PXWOoucDU

ヴェズゲチが語幹、テが過去をあらわし、最後のィムが「私は」という主語を示している。だからヴェズゲチティムというひとことで、「わたしはあきらめました」という意味になる。

語尾で主語をあらわすというのは、mという音が一人称をあらわすことも含めて、お隣さんのペルシア語から輸入されたのではないかと思う。ペルシア語もそうなのだ。ただトルコ語人はみとめたくないだろうけれど。

mが一人称をあらわすというのは、英語も同様で、I am なんたらというbe動詞に残っている。これだけでなく、ペルシア語を勉強していると「これってスペイン語といっしょやん」というのが出てくる。ラテン語もゲルマン語もペルシア語の影響を受けているんだと思う。ラテン人もゲルマン人も認めたくないだろうけれど。

3. 語幹がわからん

どこまでが語幹なのか、ざっと文法を学ばないとわからない。文法だけではなく、我々のことばには「母音調和」という現象があって、それが問題をさらにややこしくしている。

母音調和というのは、東京外大のわかりやすいたとえ話を引用すると、母音にセ・リーグとパ・リーグがあって、両リーグはひとつの単語に同居しない。セ・リーグ単語はセ・リーグの母音しか使えないし、パ・リーグ単語はパ・リーグの母音しか使えない。しかもそのリーグ制は、動詞のあとにくっつく時制や格まで影響する。

日本語の母音調和は万葉集の頃までかろうじて残っていたことが、長田夏樹先生の研究であきらかにされた。だが、いまは残っていない。ウィグル語やウズベキ語にも残っていない。しかるにトルコ語にはしっかり残されている。

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というわけで、毎朝トルコ語にどう取り組むか、通勤電車にゆられながらあーでもないこーでもないと、あれこれ試行錯誤する我輩は63歳である。

でも、できたら楽しそうじゃないか。自分が毎日なんの気なしに話している日本語を見直すきっかけにもなる。

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