2022年10月2日日曜日

京都、パリ この美しくもイケズな街 プレジデント社

「京都嫌い」の井上章一さんと鹿島茂先生の対談。おもしろかったので洗濯物を乾燥したりごろ寝しながら1日で読了。

得られたものは、ルイ16世の弟がゲイだったとか、国家とか都市が凋落しはじめたとき観光地化するとか、フランスの高速道路のSAみたいなところの大衆向け食堂のメシは激マズだとか、料理史家は「イタリアからやってきた料理人がルイ14世にから休暇をもらってイタリアに帰った時点」がフランス料理の成立としているとか、丸紅も伊藤忠も応仁の乱のあと荒廃した中京に移住した近江商人であるとか、あれこれたくさんの無駄な蘊蓄。

「無駄」というのはなんでかというと、我が輩はすでにジジイと呼ばれる領域に達していて、ジジイがもっとも避けるべきは、若手が聞いてもしょうがない、そもそも聞きたくない蘊蓄を語ること。ゆえに蘊蓄は無駄に蓄積され、忘れられるか、ジジイとともに灰になる。聞き上手のジジイになるために、蘊蓄はほぼ無駄である、と断言して差し支えない。

この本を要するに、お二人とも京都とパリという、お高くとまった街が大嫌いというのが伝わってくる。

もうひとつ。ドイツ軍がパリを占領するたびに、将官がパリの娼館にいりびたったという。娼館の売上を通じて、フランス全体として賠償金をほぼ回収したという。見方を変えれば、ドイツ軍はパリの娼館に行きたいのでフランスを攻めるのではないかと思えるくらい。

いまウクライナとロシアがあれこれやっているけれど、両者はフランスとドイツくらいの違いもない。はたから見たらだいぶ違うフランスとドイツですら、両者の喧嘩はけっきょくパリの風俗をハブに展開していた。そしてロシアとウクライナは京都でいわば、洛外と洛中の喧嘩みたいなもの。そんなん核戦争になるわけないし、ウクライナがとんでもなく縮んでしまったオバケみたいな内陸国になり、そして西欧はインフレでボロボロ。そんなんはじめから決まっていたと思うのだが。ユダヤ人を虐殺さえしなければ、パリのフーゾクめざしてタイガー戦車で突撃したドイツはのちのち愛される存在になれたかもしれない。

1933年、スタヴィスキーというユダヤ系ウクライナ人が、当時の政権がからんだ大がかりな金融犯罪事件がおこったらしい。これも本書の受け売りだが、ゼレンスキーもユダヤ系。ウクライナという場所はなんだか、自分とこのユダヤ人にひっくり返される運命にあるんじゃないだろうか。

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