2022年7月21日木曜日

司馬遼太郎 街道をゆく6  沖縄・先島への道

寝る前に読む本がなくなったので、標記の本を読んだら、眠れなくなった。

柳田國男の「海上の道」と江上波夫の「騎馬民族征服論」を対比させて論じているので、そのことが頭脳をかけめぐったからだ。そして半ば混沌としたなかでの結論:

「異民族に征服されても文法は変わらない」

さらに言えば、

「異民族を支配して文法を変えようとしたら、教育制度を整備して組織的に変えなければならない。それは国家的事業であり、自然の変化ではない。そんな事業は、全盛期のイギリスやオランダでもやらなかったし、できなかった。」

つまり、我々日本人はずいぶん昔からこのヤポネシア列島で、いまの日本語と変わらない文法で話してきた。

周知のように日本語はいわゆるアルタイ語で、朝鮮語、満州語、モンゴル語などのテュルク諸語と同一の、膠着語と呼ばれるグループに属する。

翻ってジャワ語、マレー語、タガログ語、台湾の高砂族の言語、ベトナム語など南方言語は、形容詞がうしろからくっつく以外は印欧語とよく似た文法である。ただし冠詞はなく、性別や格や時制はかなりリラックスしている。単純なようでいて、接頭語や接尾語でバリエーションを稼いでいる。

日本語は、琉球諸語も含めて、音韻は南方的である。本土語は5母音、琉球諸語は3母音。琉球諸語がいにしえの本土語を温存しているという事実から、母音数が少ないほど古語、という思い込みも成り立つ。しかしそれはふつう逆である。言語が進化するほど音韻は単純化することが多い。

しかし、中国語の成立がそうであるように、(<- 楊海英)隣接する民族が合流し、言語がカバーする地域が拡がり、時代を経ると音韻は単純化する。満州族の支配で中国語の音韻が激変したように、異民族の支配によっても音韻は変化する。

さらに、アニミズム面からの思い込みがある。南洋の島々、特に吾輩の場合ボルネオ島やカリマンタンの熱帯雨林で、先住民のロングハウスに滞在したときの経験から、日本人の祖先は南洋であると信じ込まされることがある。しかしこれは、南洋の熱帯雨林に棲息する先住民の祖先の精霊が、日本人だけでなく、誰かれなく滞在した人々に見せる夢なのだ。その洗脳作用によって熱帯雨林は延命を図っている。

つづく。

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