2023年8月23日水曜日

長田夏樹論述集(上) ナカニシヤ出版

まだ読んでいない。ぶあつい本なので、これからぼちぼち読む。 

何年か前、「長田夏樹先生追悼集」を手に入れた。太田齋先輩の文章を読んで、思わず声を出して笑った。

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忌憚なく申し上げれば、長田夏樹先生はやさしく噛み砕いて教えるということがまるで出来ない方であった。決してその気がおありで無かったということではない。受講生からすると、先生が説明すればするほど益々訳が分からなくなるのである。先生の学問の中心を成す漢語音韻学が、初心者には極めて取っつき難いものであるが故に、その思いが特に強い。
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1920年生まれ。東京外大蒙古学部を出て華北交通に就職。敗戦後の中国で人民解放軍に合流して通訳業。それに飽きて放浪中に国民党軍に拘束され、日本人だとカミングアウトして帰国。

我輩が長田先生の謦咳に接したのは、神戸外大の中国学科3年だった1979年、漢語音韻学の授業である。我輩にはめっちゃ面白い授業だったが、同級生の全員が「わけわからん」と投げていた。たぶん我輩は、15歳の頃から法華経を毎日読誦していて、ひらがなで表記される日本語の漢字音について納得のいかない何かを感じていた、だから中国語音韻学にはまったのだろう。

長田夏樹先生のお嬢様が編纂された「長田夏樹年譜」には、日中友好交流の旅で宴会の席上、口に含んだ白酒を噴射し、それに点火して火を吹くという芸を披露しようとして、周囲の日本人学者に止められたという逸話がある。それは我輩と同学たちが長田先生を囲んでコンパしたすぐ前だったのではないか。長田先生はグラスになみなみとついだウィスキーを一気飲みし、白酒で火を吹くという話をしてくれた。

今にして知るダイナミックな生き方の長田先生である。標記の本の目次から、面白そうなところをざっと斜め読みしただけで、長田先生のスタイルが思い出される。

長田先生は講義でも論文でも、いちばん面白いところを最初に言ってしまう。イラチである。学生がイントロだと思っていたら、それがハイライト。結論。聞き逃したらおしまい。あとは付け足しの注釈である。だから冒頭の「先生が説明すればするほど益々訳が分からなくなる」のである。



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