2023年8月26日土曜日

点石斎画報に見る明治日本 石暁軍 東方書店

中国人が明治時代の日本人を描写したのに、解説がついている。

上海の宝善街の日系遊郭「日昇」で生臭坊主が女郎買いをしようとして物議を醸した。1885年(明治18年)のこんな話が、イラスト入りで紹介される。

点石斎画報は1884年から1898年にかけて発行された。日本でいえば明治時代の後半。

そのへんは、石光真清の4部作の時代背景と似通ったものがある。石光真清は明治元年の生まれ。彼の青春時代に、日本人がどんなふうだったかが中国人アーチストによって描写されている。

デタラメな生きかただったひい爺さんの幾太郎が、日清戦争とか日露戦争に行ったのか行かなかったのか、それはなぜか?みたいな興味からはじまり、同時代の石光真清に行き着いた。当時の日本人の国際感覚はどんなふうだったのか。興味と想像が尽きない。この本はそれをビジュアル面で補強してくれる。



茶館 竹内実 大修館書店

中国の地理・地勢に関する、碩学による蘊蓄たっぷりの本。お茶とか喫茶店とかぜんぜん関係ない。ほな、なんで茶館かといえば、いろんなことを語り合うから。

中国にはじめて行ったのは、上海にリニアモーターカーができて何年か経ったころだった。その時はリニアモーターカーじゃなくて自動車で移動した。中国の大きさに感心した。こんなところを占領しようとした日本軍はどれほどアホのかたまりだったのか。最高司令官の「朕」も含めてな。

日中戦争の準備のため、ある軍人が地勢の調査のため湖南省の長沙のあたりにやってきた。糞ど田舎だと思っていた山間部で、国民党のレーニン主義軍隊を見てめっちゃびっくりしたという記録が語られる。

なんや、ちゃんと調査してたんや。それでもあのアホな戦争を始めたということは、誰も調査報告書を本気で読んでなかったんやな。

スコット・リッターがX(旧ツイッター)でゼレに「無条件降伏やな。1945年9月12日の日本やで。」と言った。大日本帝国の大本営のアホのかたまりが、世界規模に拡大してしまった感のある昨今である。

奥書に昭和49年ということは、1974年の本。我輩は16歳である。その3年後に我輩は中国語を学びはじめたのだが、その頃にこの本を読んでいたら中国の見方がぜんぜん違っていただろう。

竹内実と竹内好。似たような名前で、両方とも中国研究者である。「茶館」の竹内実さんは1923年中国生まれ。竹内好さんは魯迅を翻訳した人で、1910年生まれ。



2023年8月23日水曜日

長田夏樹論述集(上) ナカニシヤ出版

まだ読んでいない。ぶあつい本なので、これからぼちぼち読む。 

何年か前、「長田夏樹先生追悼集」を手に入れた。太田齋先輩の文章を読んで、思わず声を出して笑った。

+++++
忌憚なく申し上げれば、長田夏樹先生はやさしく噛み砕いて教えるということがまるで出来ない方であった。決してその気がおありで無かったということではない。受講生からすると、先生が説明すればするほど益々訳が分からなくなるのである。先生の学問の中心を成す漢語音韻学が、初心者には極めて取っつき難いものであるが故に、その思いが特に強い。
+++++

1920年生まれ。東京外大蒙古学部を出て華北交通に就職。敗戦後の中国で人民解放軍に合流して通訳業。それに飽きて放浪中に国民党軍に拘束され、日本人だとカミングアウトして帰国。

我輩が長田先生の謦咳に接したのは、神戸外大の中国学科3年だった1979年、漢語音韻学の授業である。我輩にはめっちゃ面白い授業だったが、同級生の全員が「わけわからん」と投げていた。たぶん我輩は、15歳の頃から法華経を毎日読誦していて、ひらがなで表記される日本語の漢字音について納得のいかない何かを感じていた、だから中国語音韻学にはまったのだろう。

長田夏樹先生のお嬢様が編纂された「長田夏樹年譜」には、日中友好交流の旅で宴会の席上、口に含んだ白酒を噴射し、それに点火して火を吹くという芸を披露しようとして、周囲の日本人学者に止められたという逸話がある。それは我輩と同学たちが長田先生を囲んでコンパしたすぐ前だったのではないか。長田先生はグラスになみなみとついだウィスキーを一気飲みし、白酒で火を吹くという話をしてくれた。

今にして知るダイナミックな生き方の長田先生である。標記の本の目次から、面白そうなところをざっと斜め読みしただけで、長田先生のスタイルが思い出される。

長田先生は講義でも論文でも、いちばん面白いところを最初に言ってしまう。イラチである。学生がイントロだと思っていたら、それがハイライト。結論。聞き逃したらおしまい。あとは付け足しの注釈である。だから冒頭の「先生が説明すればするほど益々訳が分からなくなる」のである。



手記・私の戦後50年 ABS秋田放送ラジオ局

 今年で戦後78年。戦後50年ということは28年前。

この本を落札したことを朝食の席で内儀にいうと、
「私も読みたい。」

到着したとたん、おかんが
「読みたい。私の年代や。」
94歳である。しょうがない。我輩が読む前に手渡した。

千葉県柏市に住んでいた頃、お向かいに清水さん宅があった。そこにはハゲの爺さんがいた。爺さんが笑うときは「たー。たー。たー。」と聞こえた。ずいぶんユニークな爺さんと思っていた。あるとき一緒に酒を飲む機会があって、戦時中は憲兵だったと言ってた。そして、満州娘のことになると「ぐひ。ぐひ。ぐひ。」と卑猥な顔で笑った。こいつはリアル鬼畜だなと思った。

青春時代に中国語を学んだので、白毛女のストーリーは知っていた。この爺はリアル白毛女の世界で日本鬼子の憲兵だったかもしれない。

普通の父親が鬼になるのが戦争なんだ。戦争で鬼であっても、帰国したら普通の父親になれるんや。

おかんは16歳の時、大阪の西淀川の日本油脂の佃工場で働いていた。空襲があって、千船大橋を渡っていたとき、アメリカの戦闘機に狙い撃ちされた。けど助かった。

16歳の少女をしつこく狙い撃ちにする空軍兵て、どんな鬼畜や。それでも戦争が終わって帰国したら、普通のパパやってるんやろな。

納得できない。

まだ読んでないが、そんなことを思い出させてくれた。





2023年8月19日土曜日

笑笑録 岳麓出版

ヤフオクで箱買いした本のうちの一つ。本そのものに興味はないが、開けたらハラリと落ちてきたのが、東方書店の領収証。大阪女子大というのは、大阪府立大学に吸収されたいくつかの大学の一つ。そこで教えていた先生が授業のために買ったのかな。ユーモア小説集なので、研究目的ではなかろう。

箱買いした本の持ち主の謎は深まるばかりだ。

その多くは、開いて読まれた形跡がない。

魯迅選集から出てきたスランゴール国王の招待状の主、ノザキミツアキ氏は、ググってみると高エネルギー加速器研究機構の教授しか出てこない。物理学の人がクアラルンプールで開催される「考える日」の記念式典に招待される、というのはあるかもしれないが、その人が魯迅選集を原文で読むか?

大阪女子大学に理学部はあったけど、理学部で笑笑録を取り寄せるか?しかも東方書店なんて、中国語関係のツウの人しか知らない。



老舎在北京的足跡 李犁耘 北京燕山出版社

老舎は生粋の北京人で、生粋の北京語で小説を書いた人。文化大革命で殺されてしまった。自殺という説もあるけど、文革がなかったら死ななかっただろう。だから、ほぼ殺されたと言っていい。

ヤフオクで、一箱なんぼかで買った本のうちの一冊。魯迅選集がほしくて箱買いしたので、他のはあんまり興味がない。この本は、後半に写真がいっぱい掲載されているので、読むことにした。






2023年8月10日木曜日

ニューエクスプレスプラス ロシア語

やっぱりロシア語をやることにした。トルコ語は第10課と単語集で中断。

我輩はそもそもトルコに行きたいわけではない。イスタンブールで騙されたりボラれたりしたくない。しかし、ウズベキスタンとかキルギスとかカザフスタンには行きたいと思う。キルギスとかカザフスタンは半分くらいロシア語が通じるらしい。ちなみにタジキスタンはペルシア語の世界だ。

トルコ語をギヴアップしたわけではないが、いつでも中断できるし、いつでも再開すると考えることにしたわけだ。

それと、トルコ語の単語みたいに系統立ってもいないし、馴染みも全然ない単語を憶えるくらいなら、いろいろ載っかっているロシア語を憶えてもええんじゃないかと思った。

「いろいろ載っかっている」というのは何かというと、性とか時制とかである。トルコ語にも母音調和というのが載っかっていて、ひとつの機能の単語が3つくらいの顔を持っている。顔が違っても機能が同じ、といえばいいのかな。ロシア語は明らかにテュルク語の影響で同じような現象がある。それに加えて性たら時制たら憶えたらええというだけなので、おんなじようなもんじゃなかろうか。

あれこれ理屈を言い出すとややこしいが、トルコ語は日本語と構文がほぼ同じという気安さもあって、いつやめても、またいつ始めてもいいと思った。

それと、子音が多い単語は憶えやすい。




イスタンブール路地裏散歩

あちこちに「騙されてはいけない」「ボラれるから気をつけろ」みたいなことが書いてある。「なんでそんなとこ行きたいねん?」と考えさせる本である。

我輩はトルコといえばイスタンブールしか知らない。イスタンブールでほっとする正直そうな店はたいてい路地裏にあるロカンタ(食堂)。表通りの店はことごとく詐欺師だ。その意味でこの本は正しいが、それって観光プロモーションになるんか?

何百年も帝国の中心だったとか、交易の十字路だったところは、詐欺師が多くて当然。我が国の京都でも、昆布を入れた湯で豆腐を煮ただけの料理で何千円も踏んだくるところがある。あ、堪忍な。そういうのは詐欺ではなく風格という。今津育ちやから、ものごとをはっきりと言いすぎるきらいがあってな。

何千年の歴史があっても、イランのエスファハンは上品だった。例外かもしれない。