2025年8月19日火曜日

松岡正剛 千夜千冊 大アジア 角川ソフィア文庫

いつの間にか家にあった。

1999年から2006年にかけて青年海外協力隊関連の仕事をしていた。青年海外協力隊が「JFKが1961年に設立したピスコーに倣って」設立されたという話が組織の中でふつうに書かれ、語られていて、おおいに違和感があった。 

外務省のスパイとして木村肥佐生さんや西川一三さんがモンゴルからチベットに入り、インドに渡った頃に敗戦。二人が帰国して、特に木村さんは当時日本を占領していた連合軍GHQ(実質アメリカ軍) に長期間にわたって尋問された。おそらくその報告書に感銘を受けたアメリカ人官僚が政治家を動かして設立に漕ぎつけたのがピースコーだと思う。誰も検証していないし、青年海外協力隊としてもピースコーを利用するほうが政治的に有利と判断したに違いない。

なんでそんなことに我輩がこだわるかというと、1977年に神戸外大の中国学科に入って、大柴孝さんみたいに、東亜同文書院を出た人たちが教官でいたからだ。明治時代から日本は、海外に目を向けた青年たちを育成するというプロジェクトをもっていた。青年海外協力隊がピースコーなんかのコピーではあり得ない。だいいちピースコーは初期派遣国のほとんどで、アメリカが戦争かクーデターを起こしている。ぜんぜんピースではない。

東亜同文書院は民間が上海に設立した大学みたいな学校で、優秀な子弟は東大か東亜同文書院のどちらかに行くか考えたというくらいのレベルだったらしい。私立ながら、各都道府県から選抜された入学生は学費も生活費も渡航費も、全額が官費で支給されたというから、官民連携プロジェクトだった。

東亜同文書院はスパイ学校みたいに言われることもあるが、卒業生はどっちかといえば実業界で活躍した人が多い。最終年次に大旅行という催しがあって、学生たちが自主的に考えた旅行計画に基づいてグループで中国各地を数ヶ月にわたって旅行し、その報告書をもって卒業論文とする、という実践的な方針だった。その膨大な報告書は中国でも出版され、我が同学の八木英一氏は上海でそれを見つけて購入した。 

その東亜同文書院が設立されたのが1901年。明治でいえば34年。日本政府がアジア進出に本腰を入れ始めたのがこの年、と我輩は認識していた。しかし標記の「大アジア」をざっと読むと、東亜同文書院の設立は流れの始まりではなく、ひとつの里程標だったことがわかる。 

東亜同文書院は1945年の敗戦をもって閉鎖。膨大な書籍類は、ひそかに日本に持ち込まれ、愛知大学に納められた。だから東亜同文書院の同窓会である滬友会(こゆうかい)の本部は愛知大学にある。中国語学習者の必須図書とされた中日辞典を編纂したのが愛知大学なのは、そういう経緯がある。

その東亜同文書院ができた頃が、「あゝ野麦峠」で有名になった、飛騨地域の貧しい若い女性が野麦峠を越えて、諏訪の岡谷の製紙工場の女工さんになった最盛期。 日清戦争に勝ったものの、ロシア・ドイツ・フランスの三国干渉を受けて悔しかった時代。1905年に日露戦争にかろうじて勝って、アジアに自信を与えた。でも既に、孫文は日本でうろうろしていたし、魯迅も日本で学んでいた。中国からだけでなく、のちにアジア各地で活躍する人たちがうろうろしている、そういう人たちを世話する面白い人たち、例えば頭山満とか宮崎滔天がいる日本があった。

いまの関心ごとはおもにウクライナのごたごたで、イスラエルがガザで現在進行中の大虐殺もウクライナ代理戦争も、根はアシュケナージユダヤの金融メディア複合体がバックにいることだと考えている。頭のいいはずのユダヤ人が、ウクライナで壊そうとしたロシアをかえって結束・再生させ、強くするはずのドル基軸体制を崩壊させつつある。アホやん。イスラエルではユダヤ人シオニストがほぼナチであることを証明し、ウクライナのゼレンスキー(ユダヤ人)のバックにネオナチがいることが自然に理解できる流れを作った。これもアホやん。

「失敗の本質」はだいぶん前にざっと読んだ。なんで日本が大東亜戦争にボロ負けしたかということが書いてある。豊富な情報が詳細にわたって記述されているので疲れた。しばらくたって考えると、「あらゆる組織は1世代、だいたい30年で劣化する」ということかなと思う。日露戦争に勝ってから大東亜戦争でボロ負けするまでちょうど40年。盧溝橋事件が1937年なので、日露戦争が終わってから32年でドツボに突進し始めた、と考えられる。この「失敗の本質」を、今こそ世界の人たちが読むべきだと思う。英語版も出ているらしい。

アシュケナージのユダヤ金融メディア複合体と簡単に括ったけれど、ロシアを潰したかったウィングはウクライナとかロシアのオリガークたち。全員ユダヤ人。彼らはソ連の崩壊に乗じてオリガークになった、それが1990年代の半ば。つまりアシュケナージのユダヤ金融メディア複合体のオリガークウィングに限れば、だいたい30年くらいで劣化したことになる。

ユダヤ人がイギリス王室と金融を支配したのが1500年以降。500年もかけてカネと影響力と情報収集ネットワークを蓄積して、イスラエルを建国させるのが1948年。エジプトにボロ勝ちしたのが1968年。イラン革命が1979年で、その時以来イスラエルはもっぱらイランを敵視してきた。イラン革命から45年経って、イランにちょっかいを出して、イスラエルがボコられ、ついでにアメリカ製アイアンドームがじつはスカスカだったというのがバレたのが最近。狂犬イスラエルが世界の定説になった。エジプトにボロがちした時から57年。イラン敵視開始から46年。劣化まで、さすがに長く持ったな。

そんなことを考えています。 

2025年5月26日月曜日

リチャード・ティーという曲

ビッグ・ボーイ・レモネードとソリッド・ゴールドというバンド。いつまでたっても、「ビ・・・ビッグボーイ・・・レ、レモネード」くらいしか言えない、ジョー・バイデン状態であります。

このピアノ曲はリチャード・ティーに捧げられた曲。このバンドのアルバムで、ちゃんと聴けるのはこれくらいかな。あとの曲曲は、メンバーはとてもいいのに、ピアノが出過ぎ。 惜しいね。

この曲は、楽譜がPDFで出てる。見ると、いがいと音符おおいね。

https://www.youtube.com/watch?v=2F-cObuuNv8

とてもいい曲だと思う。

2025年5月6日火曜日

天路の旅人(下) 沢木耕太郎 新潮文庫

連休最終日は雨だったので、下巻まで一気読み。たいへん面白かった。いわば西川一三さんの「秘境西域7年の潜行」のダイジェスト版+オマケ付き。それなら「秘境西域7年の潜行」を読めばええやん、と言われるかも知れないが、読むのは大変だよ。どうしても読むというなら、この本をガイドブックがわりにして、「秘境西域7年の潜行」を読むのを薦めます。

さらに、プラスアルファのところがでっかいオマケ。そのオマケの部分が、木村肥佐生ファンにとっても必読だ。木村さんの本で書かれていなかった、インドで官憲に自首してから帰国、そして帰国後のことが書かれている。さらに、これまでどこにも書かれなかった、西川さんと木村さんの関わりみたいなところが出てくる。

ところで、西川さんと木村さんは興亜義塾の同期生だと思っていたら、違った。木村さんは西川さんより年下だけれど、1期先輩になる。木村さんと西川さんが一緒に写っている写真をどっかで見たと思っていたので、勘違いしていた我輩であった。

 河口慧海の「チベット旅行記」もさることながら、西川一三さんの「秘境西域7年の潜行」がなんでそんなに読みにくいかというと、旅した人が思い出しながら書いているから。旅したことのある人にとって、その場所は既知になる。既知の人にとって、A地点はどうだった。A地点からB地点に移動した。B地点はこうだった。その場所が未知であるほとんどの読者にとって、書かれてあることの意味がよくわからない。それを読み続けるのは苦痛でしかない。

天路の旅人(上) 沢木耕太郎 新潮文庫

信毎新聞の広告を見て、数日後にふつうの本屋(松本のイーオンの未来堂書店)で定価で本を買う・・・という近年稀に見る行動に出た我輩でありました。西川一三さんのことを買いた本です。

西川一三さんは「秘境西域7年の潜行」という膨大な記録を残していて、我輩がチラ見したところでは、ディーテールがめっちゃ詳細であるがゆえに、そして分量が膨大であるがゆえに、全体がよくわからない。いっぽうで、木村肥佐生さんは西川一三さんの興亜義塾での同期であり、同じようなルートをほぼ同時期に旅して、それを「チベット潜行十年」 というわかりやすい本にまとめている。そっちを先に読んだというのもあって、西川さんの本は長いこと放置していたという次第。

木村さんの本にも西川さんがときどき登場する。両者の個性の違いが、知れば知るほど興味深い。木村さんは帰国してアメリカ占領軍、いわゆるGHQに出頭して長期の尋問を受け、それが縁になってアメリカ大使館でモンゴル情報の蒐集を仕事にして生活し、のちに亜細亜大学の先生になった。西川さんは岩手で化粧品とか日用品の卸問屋として暮らした。

木村さんの人生に対するアプローチは、スパイとして特異な旅を経験したということと、驚異的な記憶力と語学力、そして強靭な体力を除けば、ごく普通だと思う。 帰国して外務省に出頭したところ、「復命に及ばず」みたいな対応をされたと書いてあった。木村さんは自分の興味とか好奇心も当然あったけれど、国のために命懸けで働いた。国のバックアップがあると信じていたので、苦難の旅を敢行した。それなのに、戦争に負けたからというだけで、日本人の誇りを捨てた外務省の小役人は、辛苦を労いもせず「復命に及ばず」と。かえってアメリカの占領軍のほうが、木村さんの旅の価値と特異な能力を認めて仕事をオファーした。ふつうの人としてのふつうのリアクションだと思う。

西川さんは、木村さんの描写によると、国から委託された密偵業務よりも、自分の好奇心とか興味を優先させたようなところがある。だから帰国して、記録を書いて、公的機関とはかかわらず、日用品の卸問屋で暮らした。「新世界紀行」のガイドをしてくれないかというテレビ局のオファーを受けたとき、「いちど行ったところに行っても面白くない」と断ったとか。これは普通の人ではない。隠遁した修行僧とか、仙人のレベルだ。

どちらもめちゃカッコええ生きかただと思う。我輩の恩師の長田夏樹先生は、木村さんや西川さんと同時代の人。東京外大で蒙古語を学んで、満鉄の関連会社の西北交通で働き、敗戦になって人民解放軍に合流して通訳となり、国民党に捕まって日本人であることがバレ、強制送還されて帰国し、神戸外大で中国語の先生になった。長田先生の生きかたも、めっちゃおもろい。

木村さんは1989年没。西川さんは2008年没。長田先生は2010年没。長田先生の謦咳に触れたのに、その世代の人たちほどダイナミックでおもろい社会人生活を送ったわけではない。「自分を低いところに置くことができるなら、どのようにしても生きていけるものです」と、西川さんは沢木耕太郎に語った。我輩はバグダッドでも、マレーシアでもインドネシアでも、パキスタンでも、運転手を雇って高速移動した。自分を低いところに置いた経験は、ニューヨークのチャイナタウンで中国語を話して犬以下の扱いを受けたこと、マレーシアで中華系と思われてやはり犬以下の扱いを受けたこと、そしてパキスタンのイスラマバードの市場で、パシリのおっさんとして扱われたこと。そんなけだ。でもイスラマの市場の縁石で、パシリのおっさんたちの隣に座って風に吹かれたときに悟った。そうだ、俺がやりたかったのはこれだ。ふつうのおっさんたちと同じ場所で、同じ目線で同じ風景を見て、同じ風を感じること。

長田先生が伝えたかったのは、その経験の面白さだったんじゃないか。

 

2025年5月1日木曜日

Josh Smith というブルース・ギタリスト

https://www.youtube.com/watch?v=OXELtF_mfCA

 まだ若いのに、このリラックス感。そういえば、コーネル・デュプリーが What would I do without youを出したときも20代だったかもしれない。

 https://www.youtube.com/watch?v=HySJBf-WBAU 


2025年4月29日火曜日

機械仕掛けの愛 業田良家

いままでで泣けた映画がふたつある。「この世界の片隅に」がひとつ。もうひとつは、「自虐の詩」・・・たしか、家族でネパールかどこかに行く飛行機の中で見て泣いた。何が我輩の琴線に触れたのかわからんが、原作者が業田良家。

標題のマンガ。第1話を読んでグッときたので、しばらく放置していたら月子が先に読んだ。「グッとくるのと、ホラーが交互にくるで。」というコメント。 続きも注文した。

2025年4月27日日曜日

アラン・ジャン・マリーというクレオールのピアニスト

最初に知ったのは、ビル・エバンス作曲のインタープレイ。キース・エマーソンが展覧会の絵のブルース・バリエーションで弾いていたのを、我輩は何十年も知らずにいた。それを知ったのがこの人と、ディエゴ・インベール(インベルト?)というベーシストのアルバム。このピアニストの名前で追っかけていると行き着いたのが、クレオール・プロムナードというソロピアノのアルバム。

https://www.youtube.com/watch?v=WlLrfqkvLLY&list=PLoz6oUc6nDFWfA5wgjAJeKFkFJzvhMrmR

明るくてもの哀しいという、ほとんどの日本人(たぶん)がグッとくる音楽が詰まってます。こちらの批評も、何を言っとるのかほとんどわからんけれど、推しの気持ちが伝わってきます。https://www.catfish-records.jp/product/30945

 


2025年4月24日木曜日

ギョクセル・バクタギルというカヌーン弾きの作曲家

https://www.youtube.com/watch?v=nfAGZ8fuvvg&list=PLzH6TJlPoWj7GgAIsOp1tnLhCs7KJJZ7-

 この人の名前だけだと、ほとんどライブか、他の人がカバーした曲しか出てこない。アップルミュージックで探し当てたのがこのアルバム。

ところでこないだ、月子の部屋でそこにあったエレキギターを触って驚いた。ギターにさわるのが久しぶりだったので、フレットとフレットの間隔の広さに驚いた。自分の頭で鳴ってる音が出せない。頭で鳴っている音が、楽器にひきずられて矯正される。うわっ。これはたまらん。

トルコとか環地中海音楽、いわゆるアラビア音楽に触れると、最初は違和感ありまくりで、気色悪くてきもちよかった。たくさんたくさん聴いていると、微分音がふつうになる。そうなると、楽器はフレットレスでないといけない。

12音階の世界でも、マイナー音階がたくさんあるのに、メジャーはほぼひとつしかない。 微分音階になると、いわゆるマイナーの世界がもっと広がる。マカームとかになると、2オクターブでひとつのマカームというのもありで、多様性は目がくらむくらいだ。

とはいいながら、スティーブ・ガッドも聴いてるけど。

翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった 金原瑞人 ポプラ文庫

タイトルに惹かれてブッコフで注文したら、新品がディスカウントでやってきた。金原先生も70歳になるので、取り置き在庫を放出したのかな。

内容は、ブックオタクそのもの。金原先生の名前も知らなかったし、本に出てくる人の名前も、レイ・ブラッドベリ以外は知らない。 そのレイ・ブラッドベリも、我輩はまともに読んだことがない。

本をたくさん読むのはいいことだ。

通訳をしていると、神の瞬間がある。神の瞬間は、通訳なら、たぶん誰にでもある。神の瞬間とは、つぎに誰が何を言うかわかるし、話がどういうふうに展開するか読める。そしてセッションが、だいたいその通りに終わる。つぎに誰が何を言うか読めるので、こんな楽な通訳はない。

言語を超えて、人間の文脈は共通している。本をたくさん読んでいると、人間のつむぐストーリーに共通した文脈みたいなんもが、なんとなく入ってくる。神の瞬間というのは、そういうことであって、不思議でもなんでもない。

その文脈をとんでもなく裏切ってくれるのが、「やし酒飲み」みたいなアフリカのストーリーだ。ぶっとんでいるからこそ、やし酒飲みが評価される。本をたくさん読んだ人の考える文脈、ふつうの人間が考えるストーリー展開からおおいにはずれているところが、すばらしい所以だ。

「翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった」というタイトルにひっかけられたが、その謎は本文の2ページめでタネあかしされる。はやすぎる。タネあかしというより、そのまんまだ。でもこの本には、それ以外にキャッチーな内容があんまりない。この本を売ろうと考える編集者なら、その題にするに違いない。

前述のように金原先生はもう70歳を超えている。この本は過去30年くらいにあちこちで書かれたものが集められているので、本の中で先生は50歳くらいだったりする。ヤングアダルトノベラーにはいい本かもしれない。

2025年4月19日土曜日

Bilal Karamanというギタリスト

https://www.youtube.com/watch?v=IV3HhW0bVeY

 この人たちは、まえに紹介したKamil Erdemもそうだが、いろんなスタイルに対応できる芸達者が揃っている。カリプソみたいな曲も、ジャズも、ジプシー風も、フラメンコも、ブルースも。

料理人で言えば、和洋中エスニックに対応できるようなもんだ。基本的な音楽の訓練がちゃんとしているに違いない。

トルコと日本のミュージシャンは似てると思う。雅楽の人がレッド・ゼッペリンをやってたりする。いろんなスタイルを吸収して、対応して、そのなかで個性を出している。

 

音律と音階の科学 小方厚 ブルーバックス

23版も出てている。楽譜で書いてあるので読み飛ばしたら1時間で読み終わった。何が書いてあるかだいたいわかったけれど、あんまりおもしろくなかった。アラブ音楽のマカームを近代的な観点からわかるかなと期待したのだが、マカームの情報はほとんどなかった。

2025年4月15日火曜日

フェルメールとオランダ黄金時代 中野京子

山田五郎の大人の教養たらいう番組をようつべで見てたら中野京子さんが出てはった。話の中身がおもろかったので、本を買った。ブッコフで頼んだら、新品みたいなんが半額で手に入った。

本の中身もおもろかったが、ちょっとオランダ褒めすぎちゃうかと思た。オランダてインドネシアを350年くらい植民地にしてた。メシマズで世界的に有名なイギリスが支配してたマレーシアも香港も、現地の食文化は残ってて、ぜんぜんメシマズではない。でもオランダが支配したインドネシアは、ほんらい豊かなはずなのに、ナシゴーレンとミーゴーレンとイカンバカールくらいしかバリエーションがない。どんなけオランダの搾取が酷薄やってん?ゆう話ですわ。

バリにはププタンという話が残ってる。無抵抗不服従の王族をオランダ軍が全員虐殺したという逸話。 ププットというのは動詞で「終わらせる、終わる」みたいな意味らしい。それの名詞形でププタン。あまりの悪逆非道に、オランダ軍兵士で発狂する人もいたらしい。

最近になってようやく、ヨーロッパの二重基準みたいなのが話題になってる。この人らの、異教徒とか有色人種に対する扱い方というのがいかにひどいか。 インドネシアで3年くらい住んで働いたのでそういう視点を獲得できた。

この本の終わりのほうに、デ・ウィット兄弟の亡骸という絵の話が出てくる。有力者だった兄弟が権力闘争に負けて、裸で内臓を抜かれて耳鼻を削がれて去勢されて屋外に吊るされてる絵と、その敬意の話。これには宗教も絡んでいたそうだ。マリフアナOK、売買春もOK、宗教も寛容、チューリップと風車、イーデス・ハンソンさんの故郷、悲しき鉄道員、ダッチワイフ?みたいなイメージだが、 エグい側面も記述した中野さん、えらい。

2025年4月11日金曜日

あさみの歌とギョクセル・バクタギルの名曲Garip

毎日夕方6時になると、下諏訪町にオルゴールの「あざみの歌」が鳴る。下諏訪町はその昔、オルゴール生産で有名だった。同じ歌を、小唄とか長くやっていた人が三味線で弾いたら、ちがった感じになったんではないかな。
平均音律っぽい楽器でこういう曲を演奏されると、もの哀しいを通り越して、ドーンと悲しくなる。平均律とか12音階は、メジャーはめちゃめちゃアップで、まるでコカインを摂取したギャングのようだ。(拙者は摂取したことがないが。)そしてマイナーは、まるでヘロインを摂取したミュージシャンのようにダウンだ。(拙者は摂取したことがないが。)
伝統音楽の微分音は、そのへんをマイルドにしてくれると思う。
例えば、ギョクセル・バクタギルの名曲Garip
これをフレッテッドギターとか、ふつうのキーボードで演奏しようとすると、うまくいかない。なんでかというと微分音が使われているから。
拙者がこの曲をコントラバスでコピーしていると、「あれれ、ここまでズレるんですか?」というくらい、指板のポジションマークから乖離している。じつに楽しい。


2025年4月10日木曜日

31平均律ギターを作った人たち

https://note.com/harai_tama/n/n7c2f7102eb5d
このシリーズを読むと、31平均律というのがなんだかわかったような気になる。おもしろい。けれど、この人の音楽じたいはぜんぜんおもしろくない。貼ってあったリンクのうち、ファンクをやってるこの人がいちばん面白かった。
https://www.youtube.com/@rafaellazo3143
そして関連で出てきたトルコ人。アラ・ディンクジャンの名曲を、変わったギターで美しく演奏してる。
https://www.youtube.com/watch?v=ngitTonc-sk
トルコ人のミュージシャンだからウード(フレットレス)を当然のように弾けるはずだが、なんでわざわざこんな変わったギターを作ったのか。
何世代にもわたって微分音楽を聴いてきた地中海人なら、頭の中で鳴っている音をフレットレスのウードで弾けると思う。31平均律とか、この変わったギターを作るのはたぶん、その楽器で新しい音楽を作りたいんじゃないかな。

マーク・ノーサムというピアニスト

https://www.youtube.com/watch?v=tN0FFld1pj4
この人のピアノをはじめて聴いたのは、チャンドラーの「さらば愛しき女」の映画のテーマ。これ以外にもいろんな映画のテーマをソロピアノで演奏している。シンプルで、とてもいい。

https://www.youtube.com/watch?v=-L-5Xp5n1Bo&list=PLy2NIhyZpBvXo_utcxtJQY-JKbbD2lU-M

 

2025年4月2日水曜日

教養としての建築 かんき出版

「建築とは期待はずれである」「建築とは間違いだらけである」「建築とはテキトーである」など、前半は常識とか思い込みを覆す内容が続く。おもしろい。後半は建築の希望的側面について書いてある。繊維入りコンクリートの可能性とか。これも楽しい。集合材の話がないのは、それが使われた大規模な建物がまだないからかもしれない。

そこそこ生きていると、建築士とか、構造計算をやってきた人とか、いろんな知り合いができる。それぞれの専門がこんなふうだったのかというのを知ったのは、この本を読んでからだ。 

読み終わってから、マリオ・サルバドリ先生の「なんで建物は崩壊するのか」を思い出した。我輩が読んだのは英語の本。平易な英語で、素人にもわかりやすく書いてあった。そっちもおもしろい。「建物が壊れるわけ 構造の崩壊」という邦題で日本語訳も出ている。いま簡単に手に入るかどうかわからない。

ついでながら、サルバドリ先生は「なんで建物はたっているのか」というタイトルの姉妹本もある。こっちも買って読んだような気がするが、とりあえず見つからない。

サルバドリ先生の本は、マンハッタンの建築専門の本屋さんで見つけた。たしかマディソン街のミッドタウンにあったような気がする。ニューヨークはそういう面で、いいところもあったなあ、と懐かしく思う。

 



 

2025年3月27日木曜日

キャミール・エルデムというトルコのミュージシャン

Odd Tango

https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_knEdn9kc1O50FPcwiuxmnW95vNRsdEkJY

ガットギターが上手で、ベースならフレットレスもフレッテドもうまい。縦ベースは弾いてないようなので、ギターとベースを行ったり来たりしている人みたいだ。グレッグ・レイクもそうだった。爺さんだと思っていたら、1959年生まれ。我輩より1歳若いじゃないか。我輩も他人様から爺さんと思われていたのか。

ベースがメインのアルバムも出している。A Tale of bassという。ベーシストのソロはだいたい聴いていて辛い。ジョン・パティトゥッチ先生もそうだし、ルーファス・リード先生の多重録音もそうだ。内儀はベースのソロを「ベンベンゆっててよくわからない」という。客観的にその通りだ。弾いてるほうは楽しいんだけど。だから、ベーシストのソロアルバムはだいたい聴いていて辛い。

しかしエルデムさんのソロアルバムは、聴いていて楽しい。純粋にソロだけではないが、明るい楽曲が多い。エルデムさんの音楽は明るい。表題のアルバムもそうだ。ジャズみたいで、よく聞くとパーカッションはダラブッカだし、弦楽器はウードだ。他のアルバムで木管が入っているのは、さすがにネイ(斜め笛)ではなくフルートの音だが。

ウードはギターに比べて、音域が低いところが魅力的に響く。トルコ音楽のボーカルも、西欧みたいに高音域で歌っていないのが多い。ホテル・カリフォルニアみたいに、普通の人は真似できないようなボーカル音域の曲はあんまりない。すごく人間的に、快適に聞こえる。ウードもギターに比べて、しっとり響く。あんまり疲れないで、気楽で楽しい。

2025年2月26日水曜日

Glass Beamsというバンド

https://www.youtube.com/channel/UCz2BbywXgCxZcpAiXPlKT4Q

オリエンタルなフレーズ、それを延々と演奏するというオリエンタルな様式。エフェクターのかけかた。変わった楽器。サウンド。そしてマスク。トルコの歌姫、ガイエ・ス・アクヨル (Gaye Su Akyol) のバックバンドの人たちに違いないと思ったのだが。オーストラリアのメルボルンでデビューしたらしい。プロデューサーはインドの名前の人。道理でオリエンタル満載だ。

40年くらい前に出た渡辺香津美のMOBO2を思い出す。MOBO2は斬新だったが、ちょっと退屈だった。グラス・ビームズは飽きない。

 

2025年2月12日水曜日

ルーファス・リード

 https://images.app.goo.gl/hL43Vc8haqsbHaFW8

御歳80歳になるそうな。この人のベース教本をいまでも持っている。デジタルで再版されたそうな。

https://www.amazon.com/Evolving-Bassist-Millennium-Comprehensive-Developing/dp/0967601509

初版が1977年。我輩が買ったのは、おそらく1990年くらいではなかろうか。ニューヨークはマンハッタンの48丁目の楽器屋街をうろうろしていて、この本を見つけた。いやいや、レノックスの音楽本屋かもしれない。忘れた。

若い頃は木管をピーヒャラやっていて、自分は中高音向きではないと思った。低音がいいと思ったので、この本を衝動買い。

それから35年くらいたって、ようやくコントラバスと、コントラバスをいつ弾いてもいい環境を手に入れた。他のミュージシャンとおなじく、ルーファスおじさんも鬼籍にお入りになったとてっきり思っていたら、とんでもない。矍鑠としておられる。嬉しいじゃありませんか。