2022年8月26日金曜日

スコット・ホートンのインタビュー:マシュー・エイキン

https://scotthorton.org/interviews/8-12-22-matthieu-aikins-on-the-many-problems-facing-afghanistan-today/

The Naked Don’t Fear the Water: A Journey Through the Refugee Underground

という本を出したジャーナリストのマシュー・エイキンがゲスト。

「裸人は水を恐れず」というタイトルは、アフガニスタンのダリー語(=ペルア語)の俚諺で、失うものは何もないというくらいの意味だそうな。

この人の友人にアフガン人の通訳がいて、彼はアメリカ軍でも働いていた。アメリカ軍が撤退するというので難民ビザを申請したが、受理されなかった。仕方がないので、非合法で出国するという。その友人について、業者の手引きでアフガニスタン南西部からパキスタンのバロチスタンに抜け、パキスタンからイランのバロチスタンに入り、イランを東西に横断し、トルコに入り、トルコからゴムボートでギリシアに入った。そこからさらに西に移動し、あるものはロンドンに至るものもいるというルートである。

「僕がダリー語を話したらアフガン人にしか見えないんだよね」という彼は、実際に写真を見るとその通り。アフガン人にしか見えない。

というわけで、近年稀に見るほんまもんのジャーナリストである。本を入手したいのだが、やっぱりアマゾンでもう一回アカウント開設しなきゃいかんかなあ・・・。

2022年8月20日土曜日

司馬遼太郎 街道をゆく5 モンゴル紀行

司馬遼太郎の学生時代を知る人がブログを開設している。

98歳ブログ「紫蘭の部屋」

https://ameblo.jp/siran13tb/entry-12476644678.html?frm=theme

素顔の司馬遼太郎のことが書いてある。おもしろい。

司馬遼太郎は大阪外語学校でモンゴル語を学び、戦時中だったので二年生が終わったところで繰り上げ卒業させられ、戦車兵として訓練され、ペラペラの鉄板でできた戦車に乗せられた。そんな恨みがあったためか、彼自身とモンゴルのかかわりについては、この本にも他の本にも、たくさん書かれているわけではない。「モンゴル紀行」ではないが、自分をモンゴル人だと思いこんでいたとか、そんなことがさりげなくあちこちに書かれているくらいだ。この「モンゴル紀行」にも、そのあたりはじつにあっさりとしか書かれていない。

しかし、司馬遼太郎にとって、学校を出て30年の間あこがれつづけたモンゴルである。

そんな司馬遼太郎が心情を吐露している、ひとつは外務省職員としてウランバートルに赴任している6年上の先輩にであったときである。

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「崎山さんも、大変でしたな」

と、草原の学問寺で過ごした奇妙な青春を、満腔のうらやましさを籠めて、からかってみた。

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もうひとつは、ゴビ砂漠を去るときである。

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この草花のそよぐ大地に、このつぎいつ来ることができるかと思うと、ちょっとつらい感情が地上に残りそうだった。

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我が輩は神戸外大という学校で中国語を学んだのだが、はじめて中国を訪れたのは卒業の30年後だった。司馬遼太郎との共通点はそれだけだが、自分が青春時代の情熱を傾けて学び憧れた場所というのは格別であって、そこに至るまでのアメリカ、マレーシア、インドネシアなどは吾輩にとってすべて途中の「寄り道」に過ぎない。

その地を踏んだそのあとはぜんぶオマケ。そんな感じでノコノコと同窓会に出かけたり、同学に会って神戸元町で酒を飲んだりするようになった。

上記のブログによると、司馬遼太郎はある時まで同窓会を忌避していたらしい。それにしては、この「モンゴル紀行」、なんと恩師・棈松源一名誉教授といっしょである。ということは、同窓会であべまつ先生に「こんどね、モンゴル行きますねん」「ほなボクもいっしょに行こか」てな話になったのではなかろうか。文豪ゆえ酌を交わしたがるような同窓生は会いとぉないと、そういうこだわりがどうでもよくなったのだろう。

壮年のころの同窓会なんちゅうのは、生臭すぎる。50代なかばの終点が見えることになって、ようやく行ってもいいかと思うくらいのもんだ。そんなあれこれをいっぱい考えさせられる本だったので、読みおわってから何週間もたって、ようやく感想文を書く気になった。

告白 町田康 中公文庫

石牟礼道子さんが巻末の解説を書いている。会話がコテコテの河内弁で構成されたこのストーリー、石牟礼道子さんは天草の人なのでさぞかし読みにくかっただろう。「訊ねる」が鼻音化して「たんねる」になる、というのは、我が祖母おちかの世代の言語である。

「告白」のモデルになった事件が起きたのは1893年、主人公の城戸熊太郎は36歳。その年に祖母おちかの父親、小谷幾太郎は34歳。事件のヴェニューは河内の赤坂村字水分。我が曽祖父・幾太郎の実家・浜寺からわずか20kmくらいの距離である。ちなみに主人公熊太郎は農家の長男だったが、熊太郎自身は農業ではなく博徒であった。我が曽祖父・小谷幾太郎もそこそこ大きな農家の長男だったが、博徒であったらしい。まるでおんなじやんけ。

男30代半ばというのは、落ち着いているような迷っているような、わけのよぉわからんときである。異性関係でも仕事でも、離婚したりモテたり、嫉妬したりされたり、やっぱりわけのわからんときである。そんな微妙な年頃に、近所で10人を殺戮して有名になり、「男持つなら熊太郎」と河内音頭のヒーローにもなった熊太郎のことを、同じ背景を共有した小谷幾太郎はどう思っていたのだろう?というわけで、我が輩にとってまるで他人事ではない。

と、同時代に同じ文化を共有した多くの人も、そして現代の関西人も共感するのだろう。

同作者の「ギケイキ」ほどのスピード感がないのは、新聞小説ゆえか。まじめにコツコツ、ごりごりと書かれている。素晴らしい。

2022年8月7日日曜日

山本耳かき店 安倍夜郎 小学館

 安倍夜郎は深夜食堂で有名になったのだが、デビュー作はこの本であるという。買って後悔しない面白さだ。

辺境の怪書、歴史の驚書、ハーボイルド読書合戦 高野秀行x清水克之 集英社

 これもたいそう面白かったので、ほぼ一気読み。

1. イブン・バトゥータの大旅行記が取り上げられている。東洋文庫で全8巻。ぜんぶ揃えたら3万円仕事だ。でも欲しくなる。我が輩は長い時間をかけて集めた同じく東洋文庫のモンゴル帝国史を、手に入れたことに満足したせいか、まだ読破していない。東洋文庫は隠居するまで読むものではなく、置いとくもんだという意識もないとは言えない。でもとりあえず、イブン・バトゥータをあちこちで探してみるか。

2. ピダハン、というのはアマゾンの少数民族で、それを取り上げた本。彼ら彼女らをキリスト教に折伏しようとして入植した著者は、言語学者にして文化人類学者にして聖書翻訳者。ピダハン語には数がない。抽象化や一般化をしない。小さなリンゴと大きなリンゴは、それぞれ違うものである。一般的なリンゴや、果物という抽象的概念がない。著者がイエスについて語ると、ピダハンは「お前はそいつに会ったことがあるのか?」著者は返答につまる。著者がキリスト教入信の動機として、近親者の自殺のことを語ると、ピダハンは「自分を殺すなんて、なんて馬鹿なんだ」とおおいに笑う。そうしているうちに、著者は逆折伏されて無神論者になってしまったとのこと。読まなくてもいいかなと思うけれど、とても面白そうだ。

3. 町田康のギケイキが取り上げられている。町田康の「パンク侍切られて候」は映画もよかったし、本もよかった。さっそく注文した。

標記の本の注釈はかなりぞんざいだけれど、なくてもいいのであまり気にならない。

室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界 清水克之 新潮社

たいそう面白かったので一ほぼ気読み

1.室町時代の日本は、まるでいまのアフガニスタンだ。いまのアフガニスタンは、まるで室町時代の日本だ。そう考えると、親近感が湧いてくる。

2. 英語のマザーファッカー、アラビア語のクソマック、中国語の他媽的に該当する日本語の罵り言葉はないと思っていたら、室町時代にあったらしい。それを母開(ははつび)という。それを使ったら、訴訟せざるを得ないとか、訴訟でもその言葉を使ったほうは絶対に不利になるような程度だったとのこと。

3. 浄土真宗は悪人正機説によって、本当の犯罪者、極悪人、武装集団を取り込んでいったという。だから一向一揆が優勢になったのだそうな。我が輩が学生だった頃、浄土真宗の学生団体で歎異抄研究会というのがたいていの大学にあって、まるで軍隊のようで暴力的だったと聞いたことがある。それは歴史と伝統を踏まえていたのだ。納得。念仏系の宗派というのは、「死んだら極楽」という思想、その武闘性、それらはまるでアフガニスタンのタリバンだ。そう考えると、タリバンに親近感が湧くし、アフガニスタンも遠い国ではなく、福井県や石川県くらいの近所に思えてくる。

我が国の鉄道建設技術で、アフガンの山々にトンネルを穿ち、新幹線を通し、それで100年くらい経ったらアフガン人のタリバン的な考えかたにも多少の変化が見られるのだろうか。

それとも、タリバン的な考えかたをもった若い人たちが、その思想や思考や行動様式はそのままで周辺地域に散らばり、同時に周辺地域に住んでいた非宗教的で自由な考えを持つ若い人たちがアフガンに移住し、結果的にコアなところは何も変わらないけれど、タリバンの比率が周辺地域を含めた全体として薄められるというふうになるのだろうか。



2022年7月31日日曜日

アムステルダム・アンダルシアン・オーケストラ

 Tarab nights with Sanaa Marahati & Amsterdam Andalusian Orchestra

https://www.youtube.com/watch?v=Uy4CuHv_PPo

”Amsterdam Andalusian Orchestra”で検索すると、いろんな動画がぽこぽこ出てくる。そのいずれもが、1時間以上。長いぞ。

共通しているのは、アンダルシアだけあって明るい曲調が多い。このところ中東の音楽を聴いている我が輩には、奇妙に感じられるほど明るい。それゆえか、一度聞いたらそれで満足してしまう。いや、明るい曲は飛ばしてしまうので、一度すら聴いていない。

生まれてこのかた12音階の西洋的音楽を聴いてきた。我が国の音楽も、明治時代から12音階に支配されてきた。公教育の教科書にのっている滝廉太郎からずっとその譜系でやってきた。

だから、この歳になって飽きてしまった。ポール・マッカートニーから石川さゆりからELPからウィントン・マルサリスまで、ぜんぶ飽きてしまった。たしかポール・マッカートニーが言ったように、「リズムとコードパターンの組み合わせなんて、もう限界がきている」のだから、まるでファッション業界でスカートの長さが伸びたり縮んだりするみたいに、新しい世代の新しいオーディエンスに受けるためのコマーシャリズムが支配的になるのだろう。12音階という西欧のイデオロギーが行き着いたデッドエンドだ。

中間音を排除した12音階、それをもとに構築された和音、それを発展させ、アフリカ由来のリズムと融合させて完成したジャズ。スティーヴン・ジョブズが発明した、PCで音楽と動画を管理するという技術、ソニーが先鞭をつけた圧縮技術、ネット通信技術。それらの相乗効果で、居酒屋のトイレでビル・エヴァンスが流されるようになった。これで飽きるなというほうが無理じゃなかろうか。

12音階に代表される西欧のイデオロギーと文化が、我々が生まれ育った風土と身体性にしっくりくるかというと、それは別問題。思春期に聴いて衝撃を受けたような音楽:多くの同世代にとってビートルズ、我が輩にはCCRやオールマンブラザーズやELP、内儀の世代にはローリングストーンズやエリック・クラプトン。なんで「衝撃的」だったかというと、我が輩の場合、それは日常生活とは異質の、明るくてわかりやすい、いわゆるモダンだったからだと思う。

それ以来、明るくわかりやすいモダンさを追求してきた。しかしそのいっぽうで、琉球とか胡弓とか、中間音を保存する音楽の根強いファンがいた。西欧のイデオロギーとカルチャーに「ちょっと違う」と感じる人たちが、「明るくわかりやすくモダン」でないカルチャーを求めているのだと思う。

というわけで、アラビア音楽でありながらアンダルシアの「明るくわかりやすくモダン」な要素を盛ったアムステルダム・アンダルシアン・オーケストラ。使われる楽器は中東由来のものであるにもかかわらず、二度聞く気がしないのは、上述の理由ではなかろうかと思うのだ。

蛇足ながら、我が輩がいまだに飽きずに時々聴いているのがある。スタッフの、ミケールズのMP3音源ライブ。