2021年4月3日土曜日

比較思想の先駆者達 中村元 広池学園出版部

2020年5月10日

1982年出版の古い本で、南方熊楠以外は知らない人ばかり出てくるので買おうかどうしようか迷った。しかし広池千九郎が取り上げられているので買ってみた。

「広池千九郎は不思議な人物である。(略)一部の中小企業経営者にはまるで救世主のように仰がれている。その仲間の人々は、やがて研究所をつくり、麗澤大学という大学やいくつかの高等学校を建設した。」

うちの娘たちが小さかったころ、麗澤大学の近所に住んでいた。遊ばせるときはたいて麗澤大学のある広池学園の芝生や森に連れて行った。そこに広池千九郎の銅像が立っていて、この本によると、「拳を握って腕を曲げ、三井・三菱なにするものぞ!と叫んでいる銅像」とのことである。

明治時代を中心に、当時の潮流とは異なるオリジナルな議論・批評を展開した人たちの話。読みはじめるとなかなか面白い本だった。

ロシアについて 司馬遼太郎 文藝春秋

2020年5月10日

司馬遼太郎が坂の上の雲を書き終わったころの文章なので、「ソ連」と表現されている。古い本だけれど、いま読むとおもしろい。とくに散文の譜系にゴロヴニンの日本幽囚記を位置づけ、それからプーシキン〜トルストイやドストイエフスキーにつながるという視点は、「なんでいきなり罪と罰やねん?」という疑問に対する解法のひとつだと思う。

山でクマに会う方法 米田一彦 山と渓谷社

2020年5月9日

自粛自粛とうるさい今日このごろ、登山口の駐車場が閉鎖されている。しかし春は山菜採り、秋はきのこ狩りのダイハード爺婆は今日も山に入っているにちがいない。観音平でほっかほかのクマの糞を見つけ、あわてて立ち去ったのはかれこれ4年まえだったか。山でクマにあいたくない人は読んだほうがいいと思う。

飲み食い日本一の大阪 江弘毅 ミシマ社

 2020年5月6日

読みはじめて最初は著者の立ち位置がよくわからんかった。どんなオッサンやろかと後ろ書きをみたら、1958年岸和田生まれ神大農学部卒と書いてある。ほんなら同い年で、高校の同級生のニシクラとおんなじ学部やん。

「なんで京都で(たいしてうまいとも思わない)ハモを食べなあかんのか」は大阪人の疑問である・・・このあたりから俄然おもしろくなる。

先輩に連れていってもらった東京の花街の老舗寿司屋で、職人の爺がお高くとまっているので「そこからそこは『うまいだけ』のものになった」・・・だんだん筆者のいうことがはっきりしてくる。

「京都の店は一見でいくところではない。(略)そもそも京都の飲食店というところでは、知らない外国語を知らない土地にはいってだんだんわかるような仕方でしか楽しめないからだ。」

「お好み焼き屋にかぎらず、食いもん屋や飲みもん屋を客観的に評価することほどあほらしいものはない」

神戸元町の丸玉食堂の描写もいい。神戸の餃子屋では赤萬とひょうたんが登場する。我が輩は赤萬でもひょうたんでも餃子を食ったけれど、ぜんぜん印象に残っていない。記憶に残っているのは深夜の泰南(二文字ともくさかんむりつき)の餃子と、にんにく味噌ダレと、餃子を焼く寡黙な白綿シャツのおやじと、カウンターの化石のようなばあちゃんだ。

誰にでもわかる中東 小山茂樹 時事通信社 1983年

 2020年5月5日 

労作で、名著といっていいかもしれない。あとがきにいわく、曽野綾子の「アラブのこころ」について、「アラブをほとんど知らなかった一作家があの程度のものを書くのであれば、中東とまともに取り組んできたものが専門でないからという口実で素通りできるものではあるまい」と云々。

イスラム世界の通史の部分は一応定説とされる西欧の文章からの翻訳ダイジェストなので文体も退屈。しかし1983年の時点でのアラビア通史は、日本語訳があったとはいえ一般読者の手の届くものではなかったので、ここで紹介されたのであろう。いっぽう現代に戻り、イラン革命とイスラエル・パレスチナ問題の経緯は読みごたえがある。とくにイランのモサッデグ政権転覆にCIAが関与したことを、ごく最近までアメリカ政府がそのことを「陰謀論」として認めなかったくらいなのに、1983年の時点であっさり書いているのはすばらしい。

また、ユダヤ人迫害とシオニズムはアラブではなく西欧の問題であると断言しているのも好感がもてる。イスラエル対アラブの構図のみでパレスチナ問題を捉えているかぎり、サウジとイスラエルの急接近は理解できないのだろうけれど、長年ユダヤ人とアラブ人が折り合いをつけて共棲してきたことを考えると不思議なことではない。

汽車旅の酒 吉田健一 中央公論新社

2020年5月5日

酒井順子さんの「黒いマナー」で、井上ひさしが「エッセイとはすなわち自慢話である」と書いていたのを一読し、まさにその通りなので赤面したと書いてある。

「汽車旅の酒」の冒頭に出てくるのが「金沢」編。

「旅行をするときは、気がついてみたら汽車に乗っていたという風でありたいものである」

なーんて書いておきながら、その旅の同行者は河上徹太郎、それに辻留の三代目と観世榮夫。金沢の一流旅館で、一流料亭で、造り酒屋で、茶席で、お茶屋で、あるいは某邸宅で、コネと金と大家巨匠の名声がなければぜったいに賞味できない食べ物を稀有の茶器でいただくという旅。そのタネあかしを他ならぬ観世榮夫が巻末に書いている。

アホらし。

新幹線が開通すると、ほんとうに旅行したい人は東海道線に乗るのだろうから、「その東海道線の列車が新幹線のを真似て駅での停車時間を今の半分に短縮することで、東京から大阪まで今よりも四分半早く着くような不心得を企んでいるとは思えない。」

・・・。

石油という単語のこと

現代アラビア語小辞典を眺めていると、石油=naftと書いてあった。ロシアの国営石油会社のことをロスネフチという。月子によると、ネフチというのは石油なのだそうな。ロシアとアラビアを文化的に媒介するのはギリシアくらいしか思い浮かばないのだが、ギリシア語ではどっちかというと「ケロシン」系の単語が古いみたいだ。ということは、ロシアとアラビアに直接の文化的接触があったのか?それとも、ペルシア語でも石油=ナフトなので、ペルシア経由なのだろうか?