2020年5月4日
納豆をかきまぜて付属品のタレとカラシ、そして茹でたアサリの身を刻んで入れてさらにかき混ぜ、刻みネギを載せる。内儀はアサリよりホタテが好きなので、生食用の茹でホタテでつくったら大好評。翌日に退院する爺は低塩分必須なので、同じ料理(?)をつくって欲しいと内儀にいわれ、つくったらこれまた大好評。今日はじゅんことつっきーが来るそうなので、また作ろうか。
2020年5月4日
納豆をかきまぜて付属品のタレとカラシ、そして茹でたアサリの身を刻んで入れてさらにかき混ぜ、刻みネギを載せる。内儀はアサリよりホタテが好きなので、生食用の茹でホタテでつくったら大好評。翌日に退院する爺は低塩分必須なので、同じ料理(?)をつくって欲しいと内儀にいわれ、つくったらこれまた大好評。今日はじゅんことつっきーが来るそうなので、また作ろうか。
2020年5月3日
学生時代からレイモンド・チャンドラーを何回も読んでいる。ニューヨークでもクアラルンプールでもジャカルタでもイスラマバードでも、いろんな本屋でチャンドラーを買った。チャンドラーは1959年に死んだので、村上春樹はチャンドラーの生まれ変わりではない。けれど村上春樹は我が輩にとって、チャンドラーが京都で生まれて西宮あたりで育ち、日本語でちょっと不思議な小説を書いてくれているという存在だ。だから村上春樹がチャンドラーを訳したとき、いままでの大家巨匠のチャンドラー訳がかなりずさんだったのもあって、おさまるところにおさまったという感覚だった。
TVピープルはちょっと不思議どころではなくて、かなり不思議というかヘンな作品集だ。同じような背景とか同じようなネタが短編にも長編にも出てくるという点でも、村上春樹はやっぱりレイモンド・チャンドラーなのだ。
2020年5月3日
西宮から名神高速で諏訪に帰るときはたいてい京滋バイパスで京都をはぶくし、新幹線で行き来するときも「国鉄が京都に寄るから遠回りなんや」とぶつぶつ言う。そして枝雀さんや米朝さんの「京の茶漬け」を聞いてうひゃうひゃ笑っている我が輩に、関東人の内儀は「ひょっとして京都が嫌いなの?」と問う。そういうときは「京都はややこしいんや」としか言いようがない。
その京都のややこしさを、嵯峨野=洛外で生まれ育った著者が恨みを込めつつ書いているのがこの本。
著者はもう一歩踏み込んで、京都の寺の土地が9割がた新政府に接収された明治維新が革命だったこと、江戸城こそ無血開城されたけれど、京や会津では血なまぐさい戦闘が行われたこと、そしてその流れが大東亜戦争まで続いたと考察する。さらに、京都人が天皇に戻ってきてほしくなどないこと、東京のメディアと京都が共依存関係にあることなども言及する。本筋から離れたそのあたりがおもしろい。
2020年5月3日
ディカーニカ近郷夜話 ゴーゴリ 工藤精一郎訳 平凡社
ずいぶん前から長いフライトの旅には開高健のベトナム闇作品をもっていくと決めていて、その長い文を解読したり、分解して機能を考えたりする作業のあいだに長い居眠りを貪るのであった。
ちかごろは長いフライトに乗ることもないので、単なる居眠りを貪っている。
開高健には「人とこの世界」という軽くない対談集があって、そのどこかに、18歳の開高健がゴーゴリの「ディカーニカ近郊夜話」を読んでその人物描写に衝撃を受けたというようなことが書いてある。
そのディカーニカ近郷夜話を手に入れた。1965年版。さっそく読んでみると、ひとつの段落にひとつしか「。」がないような長い文の連続。じきに読むのがいやになった。同じ本に収録されている「隊長ブリバ」の文体はそうでもないのだが、ブリバというジジイが、奥さんの用意したディナーをテーブルごとひっくり返すような粗暴さで、やっぱりいやになった。斜め読みした結果、この家の男ども全滅というどうしようもないストーリーだった。
おそらく18歳の開高健はディカーニカに出会って「これや!これでいこ!」と思ったにちがいない。
2020年5月2日
大学の先輩には小林(シャオリン)が二人いて、ひとりは大学院生だったので大小林(ターシャオリン)、もうひとりは小小林(シャオシャオリン)あるいは小林修(シャオリンシュウ)と呼ばれていた。
小小林は1年上で、テニス部で日焼けしていて、中国語がとてもうまくてかっこよかった。この本では、商社マンとして中国に駐在してからも、通途のコンドミニアム暮らしではなく、町家に下宿して中国語研鑽に励んだことが紹介されている。
惜しむらくは、この本を知ったきっかけが先輩の逝去だったこと。
2020年5月2日
大学受験が終わったころ、陳舜臣さんの「敦煌の旅」が出たので、買って読んだ。我が輩の中央アジア志向はそれで決まった。
大学3年生になったころ、学校から尾根と谷を隔てた山に住んでいた。その鉄筋造りのアパートを出て、工務店の横を通り過ぎて草むらをしばらく歩くと六甲学院がある。その近所に「陳舜臣」と表札のある大きな家があった。高名な人がずいぶんご近所だったのに驚いた。
数年後、我が輩はニューヨークの繊維街で働いていた。昼休みや休日にロックフェラーセンターの紀伊国屋で「世界」と「噂の真相」を必ず買っていた。その「世界」で1985年1月から1986年12月号まで連載されたのがこの六甲山房記。孤独だったので熟読した。郷愁もあったのだろう。
陳舜臣さんは大阪外大のインド・ペルシア語学科を出ている。ムガール帝国の朝廷語はペルシア語だったとはいえ、インド語(ヒンドゥー・ウルドゥー語)とペルシア語はかなり違う。その時代、学生のレベルが格段に高かったのにちがいない。
陳舜臣さんにはオマール・ハイヤムの「ルバイヤート」の翻訳という労作がある。ご本人にとってはこれが本業で、それ以外は余技という感覚だったのかもしれないな。
2020年5月2日
酒井順子さんは内儀と同い年。ついでに高野秀行さんも、筋少のオーケンも。丙午だけあって、とても面白い人たちを排出、ではなく輩出している。この本もおもしろい。