2024年7月14日日曜日

十字軍物語(4) 塩野七生 新潮文庫

- 他の地方では異民族と共生できるユダヤ人も、イェルサレムに住むや頭に血がのぼる

このくだりを読んで感心した。そのとおりのことがいまガザで進行中だ。もう少し文脈がわかる程度に引用すると:(文庫版の86ページ)
ローマ帝国に対するユダヤ人の最後の本格的な反乱を鎮圧した皇帝ハドリアヌスは、イェルサレム市内からユダヤ教徒を追放する。帝国のどこに住んでもかまわないが、イェルサレムにだけは、訪れるのは認めても住み続けるのは禁止した。その理由を平俗に言い直せば、他の地方では異民族と共生できるユダヤ人も、イェルサレムに住むや頭に血がのぼる、であった。

それから1000年後の1229年、スルタン・アル・カミールが神聖ローマ帝国皇帝のフリードリッヒと調停し、イェルサレムの領有権を放棄する。塩野さんは、不思議な調停の理由をこう推察する。一国の統治者として考えるなら、
「イェルサレムがイスラムの支配下にあるかぎり、ヨーロッパのキリスト教徒の頭はカッカとしつづけ、十字軍を組織しては侵攻してくるのをやめない、と。」

もうひとつ、ロシアに贈りたいと思った言葉。
「現実主義者が誤りを犯すのは、相手も自分と同じように現実的に考えて愚かな行動には出ないだろう、と思いこんだときである。」

もう少し文脈がわかる程度に引用すると:(文庫版の210ページ)
肌や髪の色も、信ずる宗教も、各人が身にまとう衣服も、ぞれぞれが話す言語も、何から何までちがう者同士が、混然ではあっても共存していたのが、この時期のアッコンであった。このアッコンでは、誰もが、それぞれのしかたで利益を得ていた。損をしている者はいなかった。少なくとも、このアッコンを破壊してやろうと思うほど、損をしていた者はいなかった。
しかし、マキアヴェッリだったかグイッチャルディーニだったか忘れたが、この時期より200年後に生きるルネサンス時代のイタリア人は言っている。
「現実主義者が誤りを犯すのは、相手も自分と同じように現実的に考えて愚かな行動には出ないだろう、と思いこんだときである。」

頭に血がのぼったとしか思えない欧州人たちが、合理性とか利益を放棄して、ロシアを煽っている。

我が国も80年ほどまえ、合理性とか利益を放棄して破滅にむかって突っ走ったことがある。昭和天皇は、沖縄で20万人が殺されても、広島長崎で15万人が殺されても戦争をやめなかった。彼の頭を冷ましたのは、ソヴィエトへの恐怖だった。昭和天皇はソヴィエトが参戦した翌日に降伏した。
いま我輩がアメリカとかヨーロッパの意思決定者たちに読んで欲しいのは、「失敗の本質」である。退屈な本だが、合理的であるはずの軍隊ですら、組織内部の人間関係であるとか、伝統であるとか、対外的なメンツであるとか、指揮命令系統であるとか、そんなこんな理由で全体として不条理なデッドエンドに向かって走るのをやめられなかった。それが、詳細に分析されている。

ロシアはいま、欧米というキ○ガイを相手にしていると考えるべきだ。





0 件のコメント:

コメントを投稿