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マイケル・ハドソン:SCO諸国は、欧米のNGOがいわゆる民主化運動を展開するのを積極的に阻止したい。彼らがすでにヨーロッパに対して行ったように、アジアを植民地化するのを阻止するという点で、ほぼ一致している。
ニマ・ロスタミ・アルホルシド:今回のSCOサミットの直後、ペペ・エスコバルの記事がありました。彼はプログラムについて、2015年にプーンが提案したより大きなユーラシア・パートナーシップのコンセプトから始まったと語っていました。この計画のイデオロギーは、2018年にロシアの歴史家セルゲイ・カラガノフによって練られたようです。
マイケル・ハドソン:実に興味深い。カラガノフは最近、戦略の全容を明らかにした。カラガノフが行ったのは、NATOとユーラシア大陸の間で現在見られる文明間の闘争を長期的な視野でとらえることです。
彼はそれを1000年前の十字軍にまでさかのぼらせた。12世紀から13世紀にかけての十字軍は、ローマがキリスト教を支配し、逆転させようとする試みだった。
11世紀には5つの総主教座[ペンターキー]があり、ローマは総主教座の最底辺だった。ローマ教皇庁は、イタリアの地元一族によって支配されていたため、「娼婦の教皇庁」と呼ばれていた。
正教会はローマ帝国時代から存続し、コンスタンティノープルにあったが、アンティオキア、アレクサンドリア、エルサレムにもあった。これがキリスト教の中心だった。
1075年だったと思うが、ローマはすべてのキリスト教を支配しようと考えた。文明においてまったく前例のないことを始めるつもりだった。過去3000年間、多くの帝国が存在した。ペルシャ帝国、アジアのさまざまな帝国、イスラム帝国があったが、共通項があった。それらはすべて宗教的に寛容だった。聖書の中で、ペルシアのキュロス王がユダヤ教を崇拝することを許可したことは皆さんもご存じの通りです。バビロニアに捕らえられ、バビロニアに連れ戻されたユダヤ人たちがユダヤに帰ることを祝福した。
他にも、例えばエルサレムではイスラムが寛容だった。コンスタンチノープルにつながる主要なキリスト教総主教座のひとつは、イスラムの支配下にあった。そこでは両教会とも寛容だった。
十字軍の後のオスマン帝国は、非常に寛容だった。そこにはユダヤ教、イスラム教、キリスト教、その他あらゆる宗教があった。ローマ帝国は、基本的に自分たちだけしか存在してはいけないと言った。西欧は他の全世界と戦争をすることになった。
それが何世紀にもわたって続いた。カトリック間の戦争でヨーロッパは引き裂かれた。ついに北欧のプロテスタントが分裂した。
ひとつの考え方しか認めない倫理観、西洋の社会組織の行動に対する不寛容さ、宗教に対する不寛容さは、イギリス、オランダ、フランス、その他の国々に対する帝国主義や搾取と相まって、世界にとってまったく新しいものだった。
すでにご存知のように、私はシュメールやバビロニアの歴史を長い間扱ってきた。すでに4千年紀には、シュメールの都市ウルクが原材料を手に入れるための試みが行われていた。青銅は銅とスズから作られる。第4千年紀には、いくつかの都市、要塞都市が建設された。その後、要塞はすべて姿を消した。
「ちょっと待てよ。本質的に他国と戦って平和的な関係を築けるわけがない。貿易を行なえば、原料をくれるし、手工芸品や織物、絨毯など、私たちが作っている製品をあげればいい。」その発想が舞台を整えた。
クブライ・ハーンはそうやってロシア全土に帝国を築いた。カラガノフは、ロシア独立の創始者であるアレクサンドル・ネフスキーが中国に行き、モンゴルに行き、クブライ・ハーンに会ったことを指摘している。ロシアはこのユーラシア全体の開かれた相互発展の一部だった。彼は、ロシア、ひいてはアジアの他の国々の意識全体を、この文化的、さらには宗教的文脈、とりわけ宗教的文脈の中に置いた。
だからこそ、プーチン大統領は最近の多くの演説で言う。ウクライナ人がまず最初にやっていることは、我々は西洋人だから、あなたたちの教会を閉鎖し、破壊する。これが西洋人のメンタリティだ。
プロテスタントとカトリックの戦争でフランスが引き裂かれたのと同じように、破壊的な戦争をウクライナは私たちに押し付けようとしている。
カラガノフは、これは経済的な断絶、ドルからの脱ドルだけでなく、宗教の対立だけでなく、文明と文明のルール、まっとうな世界秩序とは何かということについての対立だと指摘した。
[中略]
西洋は常に軍事征服によって行動した。上海協力機構は対テロ軍事組織であり、軍事的な防衛なくして明確な経済や社会、宗教を持つことはできない。
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「12世紀から13世紀にかけての十字軍は、ローマがキリスト教を支配し、逆転させようとする試みだった。11世紀には5つの総主教座[ペンターキー]があり、ローマは総主教座の最底辺だった。ローマ教皇庁は、イタリアの地元一族によって支配されていたため、「娼婦の教皇庁」と呼ばれていた。正教会はローマ帝国時代から存続し、コンスタンティノープルにあったが、アンティオキア、アレクサンドリア、エルサレムにもあった。これがキリスト教の中心だった。1075年だったと思うが、ローマはすべてのキリスト教を支配しようと考えた。」
塩野七生さんの十字軍物語をはじめから終わりまで読んだつもりだが、上記引用の指摘はなかった。塩野さんはイタリアで暮らしていたから、自分のいるところを相対化するのは難しい。
政治的動機なのか宗教的動機なのか知らないが、なんでそこまで自分らのやり方で征服しようとしたのか。別に宗教とか、イエルサレムのことだけじゃない。音楽では12音階を徹底して広め、アラビアの音階(マカーム)を駆逐した。西洋のことだから、マカームとかウードにこだわるミュージシャンを、おそらく弾圧したんだろう。トレドの翻訳事業でお世話になったユダヤ人も、なんだかんだ言って追放してしまった。「改宗したら追放しない」と言って改宗させておきながら、同化させなかった。人種差別ですな。
簡単に言えば、西欧人が(ローマ法皇と)神の名のもとに、ぜんぶナチになった。ナチが特殊なんじゃなくて、西欧人はもともとナチ的であり、ナチスはそれが表層化した一部にすぎない。「すべての西洋人の心の中に小さなアドルフ・ヒトラーがいる」と喝破したのは我輩だが、アドルフ・ヒトラーはみんなが言いたくて言えなかったことを言い、やりたくてできないことをやっただけだ。麻生太郎とか森喜朗みたいなもんか。「あんたの心の中に小さな麻生太郎がいる」と誰かに言われたら、絶対否定するし、「お前に言われたないわ。」て言うと思う。
キリスト教が緑の森の欧州に入って行こうとしたとき、森を拝む人たちがいた。その人たちが森を拝めなくなるように、キリスト教の宣教師たちは木をぜんぶ切ってしまった。どっかで読んだ話だ。切ったのは木だけじゃなくて、キリスト教に帰依しない人たちの首も切ったんじゃないか。あるいは魔女扱いして森に追放したり。
「欧州は秦の始皇帝の出なかった中国である」と喝破した我輩であるが、ちょっと考え直した。欧州における秦の始皇帝はローマ法王である。ローマ法王は秦の始皇帝ほどの力がなかったので、あちこちの世俗の王を使わなければならなかった。だから地方のわがままが残された。
西欧の秦の始皇帝は、世界征服の野望を捨てない。だから中国が羨ましく、妬ましくてしかたがない。自分たちがやりたくてできない一党独裁を75年間もやっている。欧州は自分たちが言い出した環境配慮とか脱二酸化炭素とかコンプライアンスとかポリコレとかに絡めとられて苦労しているが、中国はばんばん製造して商売して儲けている。ああ妬ましい。
飛び道具と火器と騎馬の機動力はモンゴル人から学んだ。エッセンスを抽出して理論化して敷衍するのは得意だ。