2022年8月27日土曜日

それでも、日本人は「戦争」を選んだ 加藤陽子 新潮文庫

 読みはじめて知ったのだが、日本学術会議で任命拒否をくらったのがこの人。安倍ぴょんの爺さんとか昭和天皇の大間違いをこんなけまじめに検証したら、そりゃ自民党なら拒否するでしょうよ。統一教会支配下であったにせよ、ポスト統一教会時代にせよ。

449ページに紹介された水野廣徳という人の意見:島国ゆえ他国から容易に侵略されることがなく、しかし天然資源に乏しい「日本は戦争をする資格がない」・・・これはいまでも、いや今であるがゆえに真理である。

いじめてはいけないやつがいる。食糧をつくり、エネルギーを掘り出し、材木を切り出し、窒素を合成し、タングステンなど工業原材料を供給するやつだ。ロシアだ。資源を持っていて、せっせと汲み出し、切り出し、掘り出すやつをいじめてはいけない。

アメリカのいつかの大統領だか国務長官がロシアのことを、「ガソリンスタンドに軍隊がくっついている国家」と言ったらしいが、そのガソリンスタンドの地下には膨大な天然資源があり、軍隊の背後には超音速ミサイルを作ることができる工場が並んでいる。

悪玉アメリカも似たようなものだが、軍隊の経費はすべて借金だ。借金のドル建て証書が世界中で流通しているのはとても不思議な現象だが。そのへんのカラクリはマイケル・ハドソン先生が喝破してくれた。

閑話休題。世界情勢や歴史に対する無知無理解から一方的にロシアを悪者にするなら、単なるアホちんだ。しかしウクライナみたいな腐敗ヤクザ国家を支援するというのは、これはもう確信犯でしかない。そしてウクライナが、ロシア系住民が多いところを全部ロシアに取られ、西のほうはポーランドやチェコに侵食されてとてもとても小さくなり、キエフと周辺くらいしか残されず、ほとんどエストニアくらいの面積で、内陸の不利な立地でロクな産業がなく、しかしアメリカと西欧に対する膨大な借金は残される。そういう事態に至っても、誰も責任を取らないのだろう。安倍ぴょんの爺さんがまさに責任を逃れたように。

この本をよく読むと、東京大阪が焦土にされ、沖縄で20万人が殺され、広島長崎で30万人が殺されるまでに、何度かケツをまくって「もうやめた」と言えるタイミングがあったことがわかる。任命拒否を喰らうくらいで済んでいるのが、まだマシな国家体制ということなのか。

この姉妹ブログ「ワシが舞い降りたった」にリンクを貼っておいたのだが、

https://sputniknews.jp/20220826/12638283.html

もし日本が中国+北朝鮮と戦うならミサイル2万発が必要だ、というのが素人にも分かりやすくシンプルに書かれている。どう考えてもやはり、

「日本は戦争をする資格がない。」



2022年8月26日金曜日

スコット・ホートンのインタビュー:マシュー・エイキン

https://scotthorton.org/interviews/8-12-22-matthieu-aikins-on-the-many-problems-facing-afghanistan-today/

The Naked Don’t Fear the Water: A Journey Through the Refugee Underground

という本を出したジャーナリストのマシュー・エイキンがゲスト。

「裸人は水を恐れず」というタイトルは、アフガニスタンのダリー語(=ペルア語)の俚諺で、失うものは何もないというくらいの意味だそうな。

この人の友人にアフガン人の通訳がいて、彼はアメリカ軍でも働いていた。アメリカ軍が撤退するというので難民ビザを申請したが、受理されなかった。仕方がないので、非合法で出国するという。その友人について、業者の手引きでアフガニスタン南西部からパキスタンのバロチスタンに抜け、パキスタンからイランのバロチスタンに入り、イランを東西に横断し、トルコに入り、トルコからゴムボートでギリシアに入った。そこからさらに西に移動し、あるものはロンドンに至るものもいるというルートである。

「僕がダリー語を話したらアフガン人にしか見えないんだよね」という彼は、実際に写真を見るとその通り。アフガン人にしか見えない。

というわけで、近年稀に見るほんまもんのジャーナリストである。本を入手したいのだが、やっぱりアマゾンでもう一回アカウント開設しなきゃいかんかなあ・・・。

2022年8月20日土曜日

司馬遼太郎 街道をゆく5 モンゴル紀行

司馬遼太郎の学生時代を知る人がブログを開設している。

98歳ブログ「紫蘭の部屋」

https://ameblo.jp/siran13tb/entry-12476644678.html?frm=theme

素顔の司馬遼太郎のことが書いてある。おもしろい。

司馬遼太郎は大阪外語学校でモンゴル語を学び、戦時中だったので二年生が終わったところで繰り上げ卒業させられ、戦車兵として訓練され、ペラペラの鉄板でできた戦車に乗せられた。そんな恨みがあったためか、彼自身とモンゴルのかかわりについては、この本にも他の本にも、たくさん書かれているわけではない。「モンゴル紀行」ではないが、自分をモンゴル人だと思いこんでいたとか、そんなことがさりげなくあちこちに書かれているくらいだ。この「モンゴル紀行」にも、そのあたりはじつにあっさりとしか書かれていない。

しかし、司馬遼太郎にとって、学校を出て30年の間あこがれつづけたモンゴルである。

そんな司馬遼太郎が心情を吐露している、ひとつは外務省職員としてウランバートルに赴任している6年上の先輩にであったときである。

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「崎山さんも、大変でしたな」

と、草原の学問寺で過ごした奇妙な青春を、満腔のうらやましさを籠めて、からかってみた。

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もうひとつは、ゴビ砂漠を去るときである。

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この草花のそよぐ大地に、このつぎいつ来ることができるかと思うと、ちょっとつらい感情が地上に残りそうだった。

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我が輩は神戸外大という学校で中国語を学んだのだが、はじめて中国を訪れたのは卒業の30年後だった。司馬遼太郎との共通点はそれだけだが、自分が青春時代の情熱を傾けて学び憧れた場所というのは格別であって、そこに至るまでのアメリカ、マレーシア、インドネシアなどは吾輩にとってすべて途中の「寄り道」に過ぎない。

その地を踏んだそのあとはぜんぶオマケ。そんな感じでノコノコと同窓会に出かけたり、同学に会って神戸元町で酒を飲んだりするようになった。

上記のブログによると、司馬遼太郎はある時まで同窓会を忌避していたらしい。それにしては、この「モンゴル紀行」、なんと恩師・棈松源一名誉教授といっしょである。ということは、同窓会であべまつ先生に「こんどね、モンゴル行きますねん」「ほなボクもいっしょに行こか」てな話になったのではなかろうか。文豪ゆえ酌を交わしたがるような同窓生は会いとぉないと、そういうこだわりがどうでもよくなったのだろう。

壮年のころの同窓会なんちゅうのは、生臭すぎる。50代なかばの終点が見えることになって、ようやく行ってもいいかと思うくらいのもんだ。そんなあれこれをいっぱい考えさせられる本だったので、読みおわってから何週間もたって、ようやく感想文を書く気になった。

告白 町田康 中公文庫

石牟礼道子さんが巻末の解説を書いている。会話がコテコテの河内弁で構成されたこのストーリー、石牟礼道子さんは天草の人なのでさぞかし読みにくかっただろう。「訊ねる」が鼻音化して「たんねる」になる、というのは、我が祖母おちかの世代の言語である。

「告白」のモデルになった事件が起きたのは1893年、主人公の城戸熊太郎は36歳。その年に祖母おちかの父親、小谷幾太郎は34歳。事件のヴェニューは河内の赤坂村字水分。我が曽祖父・幾太郎の実家・浜寺からわずか20kmくらいの距離である。ちなみに主人公熊太郎は農家の長男だったが、熊太郎自身は農業ではなく博徒であった。我が曽祖父・小谷幾太郎もそこそこ大きな農家の長男だったが、博徒であったらしい。まるでおんなじやんけ。

男30代半ばというのは、落ち着いているような迷っているような、わけのよぉわからんときである。異性関係でも仕事でも、離婚したりモテたり、嫉妬したりされたり、やっぱりわけのわからんときである。そんな微妙な年頃に、近所で10人を殺戮して有名になり、「男持つなら熊太郎」と河内音頭のヒーローにもなった熊太郎のことを、同じ背景を共有した小谷幾太郎はどう思っていたのだろう?というわけで、我が輩にとってまるで他人事ではない。

と、同時代に同じ文化を共有した多くの人も、そして現代の関西人も共感するのだろう。

同作者の「ギケイキ」ほどのスピード感がないのは、新聞小説ゆえか。まじめにコツコツ、ごりごりと書かれている。素晴らしい。

2022年8月7日日曜日

山本耳かき店 安倍夜郎 小学館

 安倍夜郎は深夜食堂で有名になったのだが、デビュー作はこの本であるという。買って後悔しない面白さだ。

辺境の怪書、歴史の驚書、ハーボイルド読書合戦 高野秀行x清水克之 集英社

 これもたいそう面白かったので、ほぼ一気読み。

1. イブン・バトゥータの大旅行記が取り上げられている。東洋文庫で全8巻。ぜんぶ揃えたら3万円仕事だ。でも欲しくなる。我が輩は長い時間をかけて集めた同じく東洋文庫のモンゴル帝国史を、手に入れたことに満足したせいか、まだ読破していない。東洋文庫は隠居するまで読むものではなく、置いとくもんだという意識もないとは言えない。でもとりあえず、イブン・バトゥータをあちこちで探してみるか。

2. ピダハン、というのはアマゾンの少数民族で、それを取り上げた本。彼ら彼女らをキリスト教に折伏しようとして入植した著者は、言語学者にして文化人類学者にして聖書翻訳者。ピダハン語には数がない。抽象化や一般化をしない。小さなリンゴと大きなリンゴは、それぞれ違うものである。一般的なリンゴや、果物という抽象的概念がない。著者がイエスについて語ると、ピダハンは「お前はそいつに会ったことがあるのか?」著者は返答につまる。著者がキリスト教入信の動機として、近親者の自殺のことを語ると、ピダハンは「自分を殺すなんて、なんて馬鹿なんだ」とおおいに笑う。そうしているうちに、著者は逆折伏されて無神論者になってしまったとのこと。読まなくてもいいかなと思うけれど、とても面白そうだ。

3. 町田康のギケイキが取り上げられている。町田康の「パンク侍切られて候」は映画もよかったし、本もよかった。さっそく注文した。

標記の本の注釈はかなりぞんざいだけれど、なくてもいいのであまり気にならない。

室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界 清水克之 新潮社

たいそう面白かったので一ほぼ気読み

1.室町時代の日本は、まるでいまのアフガニスタンだ。いまのアフガニスタンは、まるで室町時代の日本だ。そう考えると、親近感が湧いてくる。

2. 英語のマザーファッカー、アラビア語のクソマック、中国語の他媽的に該当する日本語の罵り言葉はないと思っていたら、室町時代にあったらしい。それを母開(ははつび)という。それを使ったら、訴訟せざるを得ないとか、訴訟でもその言葉を使ったほうは絶対に不利になるような程度だったとのこと。

3. 浄土真宗は悪人正機説によって、本当の犯罪者、極悪人、武装集団を取り込んでいったという。だから一向一揆が優勢になったのだそうな。我が輩が学生だった頃、浄土真宗の学生団体で歎異抄研究会というのがたいていの大学にあって、まるで軍隊のようで暴力的だったと聞いたことがある。それは歴史と伝統を踏まえていたのだ。納得。念仏系の宗派というのは、「死んだら極楽」という思想、その武闘性、それらはまるでアフガニスタンのタリバンだ。そう考えると、タリバンに親近感が湧くし、アフガニスタンも遠い国ではなく、福井県や石川県くらいの近所に思えてくる。

我が国の鉄道建設技術で、アフガンの山々にトンネルを穿ち、新幹線を通し、それで100年くらい経ったらアフガン人のタリバン的な考えかたにも多少の変化が見られるのだろうか。

それとも、タリバン的な考えかたをもった若い人たちが、その思想や思考や行動様式はそのままで周辺地域に散らばり、同時に周辺地域に住んでいた非宗教的で自由な考えを持つ若い人たちがアフガンに移住し、結果的にコアなところは何も変わらないけれど、タリバンの比率が周辺地域を含めた全体として薄められるというふうになるのだろうか。