おすすめは次の章
「ロシアの友を日本に呼ぼう!」
・・・カルムイク出身のメルゲンが日本に行きたいというので情報集めと保証取付に奔走する話。メルゲンはけっきょく日本に来られなかった、というのもパスポートを申請していなかったからというオチ。そのメルゲンをカルムイク共和国まで出かけて探すのが次の章。
「カルムイク共和国で尋ね人は探せるのか?」
ちなみに、いつかシベリア鉄道に乗りたいと願う我輩だが、おそらく5ダースくらいのお土産を持っていかんとあかんだろうな、と思う。そんなことを想像させてくれる。
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「ロシアの友を日本に呼ぼう!」
・・・カルムイク出身のメルゲンが日本に行きたいというので情報集めと保証取付に奔走する話。メルゲンはけっきょく日本に来られなかった、というのもパスポートを申請していなかったからというオチ。そのメルゲンをカルムイク共和国まで出かけて探すのが次の章。
「カルムイク共和国で尋ね人は探せるのか?」
ちなみに、いつかシベリア鉄道に乗りたいと願う我輩だが、おそらく5ダースくらいのお土産を持っていかんとあかんだろうな、と思う。そんなことを想像させてくれる。
月子の家にあったので、「これおもろいやん」とコメントすると、「それパパが持ってきたんやで」とのこと。
どうやらロシアの特別軍事作戦が始まる前に読んだのと、始まって何年かたって読んだのとでは面白さが違ったようです。
済州島で開催された学会に参加した杉山さん。鎌倉時代の元寇について、その頃は気動船ではなく、風まかせの帆船の時代で、海運は海流に大きく左右される。そんなことを前提にしないと歴史は解釈できない云々と言います。大変おもしろい。
しかし同じ杉山さんが、アフガンに攻め込んだアメリカ軍について、南下したいロシア、西に勢力を延ばしたい中国、東に勢力を延ばしたいイラン、北に勢力を延ばしたいインド、これらの勢力にアメリカが楔を打ち込んだ、みたいな言いかたをしています。
中村哲さんは、アメリカ軍は空軍基地にひきこもっていて、ときどき飛行機で出かけていって爆撃する、それだけだ、みたいなことを書いていました。最終的に撤退。だから、杉山さんの見立てはぜんぜん違った。地図とか地形図とか眺めているだけでは、よくわからないし、解釈がとんちんかんになる。
歴史家は、数百年から数千年とかいう視線で歴史の因縁を考察するので、比較的短期の国際政治みたいなのにコメントすると、当たるときもあれば、大きく外れるときもある。
この本で名前だけ触れられている廣瀬陽子さんは、ウクライナ戦争がらみでメディアに登場し、とんちんかんでマトはずれ、結局BBC・CNNのデマ追認という役割をふられた。それは彼女が歴史の学者で、数百年みたいなながーいスパンでウクライナとロシアのことを調べてきたから。
済州島の海流みたいに、無理なことをゴリ押しして、それでもうまくいったというのは、歴史ではあんまりない。ハンニバルくらいかな。
杉山さんはこの本でロシア軍をアホ扱いしていますが、それもちょっと違うんじゃないかな。軍隊は装備を揃え、兵隊を訓練し、飯を食わせ、動かす組織。地道にゴリゴリやるしかない。本当のアホはアメリカの政権中枢とシンクタンクではないか。明治維新以来の日本という、欧米にとっての成功体験が彼ら彼女らをアホの塊にさせたのではないかと我輩は思う。
明治維新というのは、ウクライナみたいに弱体だった日本の皇族を、ウクライナみたいに西欧が資金や軍事ノウハウや軍備で支援して成功させたクーデター。明治政府をおだてて、中国とロシア相手に立て続けに戦争させ、近代の分水嶺みたいなのにしたのも欧米。その日本を陥れて、大東亜戦争に持ち込ませ、核爆弾で一般人を殺戮し、占領したのも欧米。躍らされた日本は、それでも欧米に貢献してきました。
それから欧米は戦争に勝っていない。勝たない戦争をずるずる続けることで、軍産複合体が太り続け、一方でシンクタンクも政権もアホの塊になってしまった。
24歳のときイラクに派遣され、砂漠で途方に暮れた我輩。こんなとこでどうやって食い、眠り、生きていくのか。ここの人たちは何をくい、飲み、どこで眠り、どうやって生きていくのか。地図とか地形図とか、人口とか分布とか、資本力とか軍備とか、輸送ルートとか気候とか、河川とか季節とか、そういう机上の知識もだいじだけれど、そこで人々がどうやって生きていってるのか、そんな視点がないとアホになると思います。
下諏訪にも観光客が戻ってきました。外国人のグループもいます。下諏訪には首塚というのがあります。ウクライナみたいに弱体で、西欧の支援でようやく歩きだした明治政府。プロパガンダ目的で「明治政府になったら年貢免除!」というスローガンを広めるため、血気盛んな若者をリクルートし派遣。そのグループが下諏訪あたりまできた時、どうやら明治政府が勝ちそうな趨勢になった。勝ったら免税なんてやるわけないので、プロパガンダ隊が困ったことになった。邪魔なので捕まえて殺した。それが首塚。名誉回復したのは随分あとだそうです。
イデオロギーや勢いで突っ走ると、ろくなことはない。
普通の人たちは、明治政府が勝つか、徳川幕府が勝つか、勝ったほうに従うに決まっています。あるいはその土地で声の大きい人に従うしかない。現地の人たちが何を食い、どこで眠り、どうやって生きていくのか。地面に近い視線で想像力をめぐらさない限り、アホのかたまりになってしまいます。
杉山さんの指摘で面白かったのは、もうひとつ。グルジアとの戦争は、ロシア軍がずいぶん前の時点で準備していたに違いないというところ。それはそうだと思う。サーカシビリはずっとやんちゃなことを言ってきたから、当然でしょう。でももっと面白いと思ったのは、グルジア戦争以来、西欧はウクライナをうまく活用してロシアをやっつけてやろうと思っていたんじゃないかな、と気づいたこと。中国をやっつける前哨戦でロシアに手を出させたというんじゃなくて。中国とはぜんぜん別の文脈で。
ヤフオクで魯迅選集ほか31冊を1000円ほどで手に入れた。そのほとんどは文学関連の評論とか注釈とか資料集で、本編そのものは少ない。魯迅選集と「魯迅詩浅析」以外はたぶん読むことはなかろう。
ヤフオクで出ているのはこれだけではない。大量の中国関係文書が箱売りされている。「いったい、どんな人が逝去したのか?」という疑問が沸く。
前年秋の同学会で戸崎哲彦先輩の訃報に接した。戸崎(ふーちー)は我輩より4年上だが、彼は大学院修士課程に進んだので、2年間交流があった。中国語のこと、学究を志すということ、本の買いかた、酒の飲み方など、じつにいろいろなことを教えてくれた。
我輩は中国文学に特段の興味があったわけではない。なぜ戸崎先輩が我輩にいろいろ教えてくれたのか、よくわからない。長田夏樹教授が教えていた中国語音韻学の講義を、他の誰も理解できないと言っていたが、我輩だけが面白がっていた。それくらいしか理由が浮かばない。
なんどか彼の下宿に泊めてもらった。彼の下宿にはキャラの濃い先輩たちが何人も住んでいた。その中のひとり、勝原一朗先輩はずいぶん若い頃に逝去した。もうひとりの中村則弘先輩は、のちに長崎大学でずいぶん偉い人になったが、コロナ禍の最初の年に逝去した。
戸崎は故郷の鳥取の大学で研究を続けていたと聞いた。ヤフオクで見つけた中国書籍の発送元は岡山県。どうやら違う。
荷物がついて開梱し、めあての魯迅選集を開くと、書状が一葉はらりと落ちた。一面には英語で、もう一面にはバハサ。マレーシアかインドネシアか。どうやら招待状である。場所はクアラルンプール。宛先はノザキミツアキご夫妻、日付は1961年2月25日。「スランゴール国王の主催による考える日の会」云々とある。ノザキ氏は外交官か、もしくは研究者であろうか。研究者で学会なら夫妻で招待されないだろうから、やはり外交官か。
外交官で魯迅選集はじめコアな中国語書籍類をご所有となれば、中国語業界の関係者に違いない。おそらく、ずいぶんご高齢で逝去されたのか。岡山という立地であれば、ひょっとして同学の大先輩かもしれない。
そんなことを考えながら、魯迅選集の上巻を開いてびっくり。発行者が「北京西総胡同甲50号」の開明書店、初版が1952年4月、主編が「茅盾」とな。
茅盾というのは、中国近代史上の人物である。
これは博物館にあるべき書籍かもしれない。こんど同学会に持っていって、見せびらかしてやろう。
本ではない。楽器である。トルコ語も朝鮮語もロシア語もやりたいと願っているくせに、コントラバスも買った。
言い訳だが、トルコ語は本を買ってから1年で半分まで来た。朝の電車の30分、週5日だけの緩慢な歩みである。だからコントラバスも、夜更けの30分くらい触っていたら、なんとかなるんじゃないかと思う。
じつはエレキベースならあったんだ。アリアのヴィンテージを入手して、フレットを抜いて溝を埋め、サンドペーパーでつるつるにしてフレットレスにした。なかなかいい楽器に仕上がった。アンプを繋がずに弾いても味がある。しかし音圧がない。アンプに繋ぐと、ノイズがのったりあれこれめんどうだ。だからリサイクルショップに売ってしまった。
やっぱり音圧ならアコースティック。4/4サイズだからこれ以上の大きさは望めない。安定のスズキブランドやし。スクールモデルみたいなので、そんな高級じゃないけれど、人前で弾くわけでもない。自分が独り悦に入っていればいい。
自分の頭のなかで鳴っている音を表現するのに、これ以上の楽器はないと思う。
こないだ「清里のマリヤ」で茶をしばいたときのこと。月子が店主夫妻とロシア語で楽しそうに話しているのを眺めていて、ロシア語ができたら楽しそうだなと思った。
いまはまだトルコ語を、おなじエクスプレスシリーズの教科書で勉強している最中で、ようやく10課にきたばかり。半分である。本を買ってからここまで来るのに1年かかった。ともかく、トルコ語の本を一冊終えなければならぬ。
それからロシア語に行くかというと、じつは朝鮮・韓国語が待っている。トルコ語をやっているうちに、配列がほぼ同じ朝鮮語をやりたくなった。配列という点では、日本語もほぼ同じだ。しかしトルコ語を勉強すると、自分らの使っている言語を外国語みたいな目で眺めることになる。配列がほぼ一緒やから。トルコ語がこうなら、朝鮮語はどうかな?と知りたくなった。
さいわいハングルはずいぶん昔から読めるので、いきなり始めることができる・・・。じつはトルコ語も舐めてかかってさんざん苦労したのだが。
ロシア語はいつのことになるかわからない。月子が辞書をくれた。彼女はデジタル版を持っているから、紙の本をくれたというわけ。これを机において、しばらく眺めることにしよう。とりあえず。
トレドの翻訳機関での翻訳のやりかた:ユダヤ人やコンベルソ(キリスト教に改宗したユダヤ人)がアラビア語の原典を口頭でローカルのスペイン語に訳す。それを聞いてスペイン人がラテン語で筆記する。
そんな詳細や蘊蓄や情報がてんこ盛り。分厚い本ではぜんぜんないけれど、情報量が多い。スペインの歴史が、ユダヤ人とのインタラクションそのものだったことがわかる。ユダヤ人はマイノリティーとして単なるトッピングだったのではない。スペイン人とユダヤ人は麺とつゆのように絡みながら歴史を作ってきた。ユダヤ人がなければスペインはただの麺。味も何もない。しかしそれはスペインだけではなく、ベルギーも、オランダも、イギリスも、ポルトガルも、そしてブラジル経由でユダヤ人を受け入れたニューヨークもそうだった。
ユダヤ人の情報・貿易ネットワークがなければ、ヨーロッパもアメリカもただの麺だったに違いない。