2026年10月26日月曜日

Uncover Things、他 3 チャンネル:宗教改革が起きた本当の理由:始まりは教会やのうて銀行やった

https://www.youtube.com/watch?v=SJDf-WLHMcA

チャプター 1: 秘められた歴史

たいがいの人は、この話をこんなふうに習うんや。ドイツの修道士がな、1517年10月31日にヴィッテンベルクの教会の扉に紙を一枚釘で打ちつけて、西洋文明の流れを変えた。それが宗教改革や、っちゅう話や。

神学の話みたいに聞こえるやろ。信仰の話、腐敗した教会に立ち向かった勇敢な司祭の話や。せやけど、マルティン・ルターがちゃんと役割を果たしたんは間違いない。ただな、ちょっと引いて見て、カネの流れを追うて、借金やら融資やら、銀行家と司教らの裏取引をたどっていくと、落ち着かん事実が見えてくるんや。宗教改革は、釘に打ちつけられた金槌から始まったんやない。銀行の中で融資契約書にペンでサインしたとこから始まったんや。しかもただの銀行やないで。ほとんどの人が名前も聞いたことない男の銀行や。史上最も金持ちやったと言うてもええ人間で、教皇らの資金を出して、皇帝を買うて、自分の帳簿が黒字のままで居られるように、文明のルールをこっそり書き換えた男や。名前はヤーコプ・フッガー。これが、宗教改革が起きた本当の理由なんや。南ドイツのある銀行家一族が、なんでキリスト教世界の一体性をうっかり粉々にしてしもたんか。それを理解するには、

チャプター 2: フッガー家の台頭

1400年代後半のヨーロッパがどう回っとったかを知らなあかん。あんたが思うとるような仕組みとは違うんやで。中世ヨーロッパっちゅうたら、王様が全部の権力を握っとって、玉座は父から息子へ受け継がれて、教会は別枠の精神的権威として立っとった、て想像するやろ。あの絵はほとんどおとぎ話や。実際は、権力は市場やったんや。全部、ほんまに全部が売り物やった。軍事同盟、領土の権利、貴族の称号、ほんで一番大事なんが、カトリック教会そのものの中の地位や。

司教区、大司教区、枢機卿の席、教皇の座まで、全部に値札がついとった。この慣行には名前があって、聖職売買(シモニア)て言うんや。聖なる職を売り買いすることやな。1500年代の後半には、それはもう黙認されとるどころか、仕組みそのものになっとった。機械が回るための方法やったんや。で、カネで動く機械はどれもそうやけど、銀行家が要った。そこで出てくるのがフッガー家や。

話の始まりは1367年、ハンス・フッガーっちゅう農民出の織工が、バイエルンの自由帝国都市アウクスブルクにやって来たとこからや。何者でもない男で、布を売りに町に出てきた田舎者やった。せやけどハンスは抜け目なかった。ええ結婚をしたんや、しかも二回や。どっちも人脈と商才のある女性やった。1408年に亡くなったとき、彼は控えめやけど育ちつつある織物の商いを残した。未亡人のエリザベートが、それから28年間その事業を切り盛りしたんや。維持したどころやない、大きゅうしたんやで。

これは歴史書の多くが素通りする細かいとこやけど、大事なんや。女性がほとんど財産を持つことも許されんかった時代に、商いをよう分かっとった女性らが土台を築いたからこそ、フッガー家の財産があるんやからな。ハンスの息子らは事業を広げた。もともとの麻織物に加えて、香辛料や絹や布も扱うた。1400年代の半ばには、フッガー家はアウクスブルクにいくつもあった成功した商家の一つになっとった。暮らしぶりは悪うない、せやけど並外れてはおらん。そこへヤーコプが現れるんや。1459年、11人きょうだいの10番目に生まれたヤーコプ・フッガーは、もともと、

チャプター 3: ヤーコプ・フッガーの帝国

司祭になるはずやった。上の兄貴らがもう家業を回しとって、末っ子は商売には余り者に見えたんやな。ところが運命が割り込んできた。兄貴らが人手を欲しがって、ヤーコプは14歳で宗教の勉強から引き離されて、商売の技を学ぶためにヴェネツィアへ送られたんや。当時の1400年代後半のヴェネツィアは、知られた世界の金融の首都やった。東と西が出会う場所で、香辛料の道の終点で、ヨーロッパで一番洗練された銀行の手法が編み出されとったとこや。ヴェネツィアの国家そのものが借り手として、公債の仕組みを通じて債券を発行して、税収から利子を払うとった。ヤーコプはそれを全部吸収したんやで。複式簿記、為替、信用の道具、リスク評価、ぜんぶや。

1480年代の初めにアウクスブルクに戻ってきたときには、競争相手がまるで持ってへん分析の道具一式を身につけとった。せやけどもっと大事なんは、人脈も持って帰ってきたことや。国の借金がどう動くかを見てきた。カネが政府を動かせることも見てきた。ほんで、当時ほとんどの人が気づいてへんかったことを理解したんや。権力者にカネを貸すんが、自分が権力者になる一番早い道やっちゅうことをな。

ヤーコプが最初に打った大きな手は、鉱山への進出やった。1480年代に、チロルのジギスムント大公にローンを貸し始めたんや。大公は値打ちのある銀山を持っとったけど、いつも現金が足りんかった。この取り決めがうまいことできとってな。ジギスムントは日々の運営に要る資金を得て、その見返りに、フッガー家は鉱山の将来の産出分を受け取る。要するに、今で言う先物契約のごく初期の、記録に残っとる例の一つや。銀とカネの交換やな。この取引があんまりうまいこと回ったから、フッガー帝国のモデルになったんや。

数年のうちに、ヤーコプはハンガリーの銅山、ボヘミアの銀山、スペインの水銀鉱床を押さえた。カネを貸すだけやのうて、担保そのものの支配権を握ったんや。借り手が払えんようになったら、鉱山そのものを取った。1500年代の初めには、ヤーコプ・フッガーの銀行はローマやアントワープをはじめ、ヨーロッパの主要都市に支店を持っとった。歴史家の推計では、絶頂期には、ヨーロッパ全体の経済生産のおよそ2%を支配しとったそうや。

チャプター 4: エリートの資金源に

現代の価値に直したら、彼の財産はおよそ4,000億ドルと見積もられとって、記録に残る史上最も裕福な民間人と言うてええやろ。比較のために言うと、今生きとる世界一の金持ちの資産の約3倍や。けど、ヤーコプ・フッガーを危険な男にしたんは、生の富やない。その富で何をしたかや。

ヤーコプは、ルネサンス期ヨーロッパの権力についての根本を理解しとったんや。大陸で一番大事な二つの機関、神聖ローマ帝国とカトリック教会が、どっちも金欠やったんや。帝国は競い合う諸侯と選帝侯と都市国家の寄せ集めで、皇帝は選挙で選ばれなあかんかった。つまり、その地位は買えるっちゅうことや。教会のほうは、巨大な官僚機構で、とんでもない額の収入を欲しがるのに、それを安定して稼ぐ方法がほとんどなかった。バチカンの出費は桁外れやった。戦争、建設事業、外交使節、高位聖職者らの贅沢な暮らし、全部が金貨の絶え間ない流れを必要としとった。ほんで、両方の機関が同じ男を頼って、明かりを灯し続けようとしたんや。ヤーコプ・フッガーや。

1508年、フッガーはマクシミリアン1世が神聖ローマ皇帝に選ばれる資金を出した。のちには、マクシミリアンの孫のカール5世の当選を確実にするために、もっと大きな額をつぎ込んだんや。カール5世の選挙だけでも、その額は途方もなかった。フッガーは推定85万フローリンを出したんやで。ほかの銀行家全員の出資を合わせても、それに比べたら小そうなる額や。ほんでフッガーは、誰が玉座に座らせたんかをカールにきっちり分からせたんや。今日まで残っとる一通の手紙の中で、フッガーは皇帝に宛てて、遠回しな脅しとしか言いようのない文面を書いた。フッガー銀行の支援がなかったら、カールはローマの王冠を得られへんかったやろ、と念を押したんや。ヨーロッパで一番強い支配者を自分が所有しとると分かっとる男の手紙やった。

とはいえ、フッガーにとって一番大事なお得意さんはバチカンやった。ほんで、キリスト教世界を最終的に引き裂いたんは、教皇庁との取引やったんや。ドイツ人の銀行家に教皇庁がここまで財政的に依存するようになった経緯を理解するには、メディチ家のことを知っとかなあかん。というのも、

チャプター 5: 教皇レオ10世の借金

宗教改革に火がついたとき、教皇の座に座っとった男は、ただの教皇やなかったからや。メディチ家の人間やった。ジョヴァンニ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチは、1475年にフィレンツェで生まれた。イタリアで一番力のある銀行王朝の家長、ロレンツォ・イル・マニフィコの次男や。メディチ家は、教皇庁の公式の銀行家になることで財産を築いとった。彼らの銀行がバチカンの財務を扱うて、教皇庁の税を集めて、ヨーロッパ中の教会の投資を管理しとったんや。最盛期には、メディチ銀行のローマ支店だけで、銀行全体の利益のおよそ半分を占めとった。教会に仕えとっただけやない、財政的に教会と一体化しとったんや。

ほんで、メディチ家は教皇のために銀行業をやるだけでは満足せんかった。自分らが教皇になることにしたんや。ジョヴァンニ・デ・メディチは、13歳で枢機卿にされた。神学の天才やったからやない。父のロレンツォが、席を買えるだけのカネと人脈を持っとったからや。ほんで1513年、ジョヴァンニは教皇レオ10世になった。37歳で、聞くところによると、一瞬一瞬を楽しむつもりやったらしい。彼の教皇職への向き合い方を言い当てる、彼が言うたとされる言葉がある。神が教皇の座を与えてくださったんやから、それを楽しもうやないか、と言うたらしいんや。

ほんで、ほんまに楽しんだんや。レオ10世は、あらゆる意味でルネサンスの君主やった。ミケランジェロとラファエロに、時代で一番野心的な芸術事業を注文した。珍しい本や写本や宝石を、歯止めなく集めた。年に10万ダカット以上かかる巨大な教皇の家政を維持した。大勢のお供を連れた豪勢な狩りの遠征を催した。ルネサンスの基準でも伝説になるような宴会を開いた。しかも、全部を借金で賄うたんや。在位の終わりまでに、レオ10世は教皇庁の金庫を40万ダカットの赤字に追い込んどった。バチカンは実質的に破産しとったんや。ほんで銀行家の息子は、大急ぎでもっとカネを見つけなあかんかった。

チャプター 6: 救いの市場

ここが、話が方向転換するとこや。この財政危機を解決するために、レオ10世は、何世紀も前からますます物議をかもしてきた慣行に、さらに賭けを重ねたんや。免罪符や。

もともと、免罪符はカトリックの悔悛の秘跡の一部やった。考え方は単純やったんや。罪を犯したら、告解して、償いをして、赦しを受けられる。免罪符は、すでに赦された罪の現世での罰を軽くするもんやった。本物の悔い改めに結びついた、霊的な概念やったんや。せやけど時間がたつうちに、教会は、免罪符が収入を生めることに気づいた。ほんで一旦それに気づいたら、神学のこまかい話は、そっと捨て去られたんや。

1500年代の初めには、教会は免罪符をおおっぴらにカネで売っとった。ほんまの痛悔と償いの行いっちゅう元の要件は、単純な取引に置き換えられとった。カネを払う、証書をもらう、ほんであんたの罪、あるいは煉獄で苦しんどる亡くなった親戚の罪が赦される。文字どおりの意味で、救いの市場やったんや。レオ10世は、それが自分の財政問題の解決策やと見た。ヨーロッパ中で、積極的な免罪符キャンペーンを許可して、その収益は、彼の一番カネのかかる事業の一つ、ローマのサン・ピエトロ大聖堂の再建に充てるって決めたんや。

せやけど、ここで銀行の話が、話の中心にどーんと入ってくる。宗教改革に直接火をつけた免罪符キャンペーンは、ほんまは教会を建てるためのもんやなかったからや。銀行の借金を返すためのもんやったんや。この取引の中心におったんは、ブランデンブルクのアルブレヒトっちゅう若いドイツの諸侯や。アルブレヒトは野心家で、政治的な人脈もあって、教会の階段を駆け上がるんをえらい急いどった。1513年、わずか23歳で、マクデブルクの大司教、ハルバーシュタットの司教区の管理者に任命された。翌年には、ドイツで政治的に一番力のある教会の職、マインツ大司教の座を求めたんや。それには、神聖ローマ皇帝を選ぶ選帝侯の席がついてきた。ところが問題があった。実際は、いくつもあったんや。教会法は、同時に二つ以上の司教区を持つことを禁じとった。アルブレヒトは最低年齢の要件を満たしてへんかったし、技術的には必要やった学位も持ってへんかった。せやけど、レオ10世のローマでは、そんなもんはただの事務的な障害にすぎんかった。ちょうどええ額のカネで解決できたんや。

チャプター 7: 免罪符のカラクリ

教皇庁は、必要な特例の値段を、およそ2万1,000ダカットに決めた。途方もない額や。今の購買力に直したら、5,000万から1億くらいになるやろか。ほんでアルブレヒトは、貴族の肩書があっても現金を持ってへんかった。せやからアルブレヒトは、ルネサンスの有力者がカネに困ったときにやることをやったんや。銀行へ行ったんや。具体的には、アウクスブルクのフッガー銀行や。ヤーコプ・フッガーは融資を引き受けて、条件は単純やけど容赦なかった。アルブレヒトは利子つきで返す、っちゅうもんや。

せやけど、個人的な収入がほとんどない聖職者のアルブレヒトが、ヨーロッパで一番の金持ちの銀行家に返すカネを、どこから見つけるんか。その答えはローマから来た。アルブレヒトは教皇レオ10世と取引をまとめたんや。教皇は、ドイツにあるアルブレヒトの領地で特別な免罪符の販売を許可する。収益の半分はローマに行って、サン・ピエトロ大聖堂の建設に充てられる。もう半分は、アルブレヒトの借金を返すために、そのままフッガー銀行に行く。

ちょっと、よう考えてみてくれや。キリスト教徒の魂の救いが、教会の職を買うために借りた銀行ローンを返すための金融商品として、パッケージにされとったんやで。ローンから聖職売買、免罪符キャンペーンまで、全部の連なりが、宗教の衣を着せられた銀行取引やったんや。フッガー銀行は、免罪符の説教師らの横に自分とこの代理人まで配置して、実時間で自分らの取り分を回収しとった。悔悛者がコインを寄付箱に落としたら、そこにフッガーの代理人が立っとって、蓋が閉まる前に銀行の取り分を抜いていったんや。これは金融の要素がついた教会の事業やなかった。教会の看板をかけた金融事業やったんや。

ほんで、この免罪符を売る役に選ばれたんが、ヨハン・テッツェルっちゅうドミニコ会の修道士やった。テッツェルは、誰が見ても大した販売員やった。芝居がかった説教と、強引な感情操作を組み合わせた凝った口上を持って、ドイツ中を町から町へ回った。市場や教会の庭に陣取って、教皇の権威を示す旗やら印やらに囲まれて、現代のテレビ通販の司会者が赤面するくらいストレートな言い方で売り込んだんや。有名な売り文句があって、だいたいこんなふうに訳せる。「箱の中でコインがチャリンと鳴ったら、魂が煉獄から飛び出す」。下品やった。ほんで効いたんや。ほんで、信仰をまじめに考える人間には、とんでもない醜聞やった。

テッツェルは、思いつく限りのあらゆる罪に免罪符を売った。過去の罪、未来の罪、まだ思いついてもへん罪までや。泣いとる未亡人らには、一回の支払いで、亡くなった夫を煉獄の苦しみから解放できると言うた。農民らには、ええ値段を払えば、亡くなった子供らがすぐ苦しみから解き放たれると言うた。値段は社会的な身分で調整した。王族はよけい払って、貧乏人は安うて、せやけど誰もが何かは払うたんや。ほんで、芝居と神学の飾りの裏では、カネは二つの方向に流れとった。半分はローマ、半分はフッガー銀行へや。

ここで、マルティン・ルターの免罪符への反対は、

チャプター 8: ルターの挑戦

突然降って湧いたもんやなかったと理解しとくのが大事なんや。この慣行への批判者は、何世紀も前からおった。せやけど、ルターの抗議を違うもんにしたんは、その背景や。彼は神学上の誤りに異議を唱えとっただけやなかった。金融の仕組みに異議を唱えとったんや。ルターはヴィッテンベルク大学の神学の教授で、町の主な教会の説教者やった。自分の教区民らが、テッツェルから買うた免罪符の証書を持って現れて、もう罪を告白する必要はない、赦しにはもうカネを払うたからや、と言い出したとき、ルターは愕然としたんや。免罪符が普通の人らの信仰理解に何をしとるかっちゅう、司牧の現実が、彼を直撃したんやな。

けどルターは、この状況の経済面についても、ふつうやないくらい観察眼が鋭かった。宗教改革の幕開けとして伝統的に評価される彼の「95か条の論題」は、たいてい神学上の抗議やと説明される。ほんで確かにそうなんやけど、よう読んでみたら、びっくりするほど多くの条が、ほんまはカネの話やと分かるんや。86条は、最も裕福な人間より富を持っとる教皇が、なんで貧しい信者のカネやのうて自分のカネでサン・ピエトロ大聖堂を建てへんのか、と問うとる。27条は、箱の底にコインが落ちた瞬間に魂が煉獄から飛び出す、っちゅう考えをあざ笑うとる。50条は、もし教皇が本当にその力を持っとるんやったら、なんで慈悲で煉獄を空にせえへんのか、と疑問を投げとる。

ルターは、免罪符が収入の道具になってしもたことを、当時の誰よりもよう理解しとった。神学を見抜いて、その下にある経済を見たんや。ほんで、これが彼の挑戦を、えらい危険なもんにしたんや。彼は教義を疑うとっただけやない。収入源を脅かしとったんや。

けど、宗教改革の金融的な側面は、免罪符のスキャンダルよりもさらに深いとこまで続いとる。この話にはもう一本の糸が通っとって、それについてはほとんど誰も語らんからや。利子っちゅうもの、そのものの概念に関わる話や。千年以上のあいだ、カトリック教会は、

チャプター 9: 利子の合法化

利息の禁止を厳格に保ってきた。高利貸し(ユーリー)は、カネの貸し借りで利息を取ること全般、と定義されとった。この禁止は、聖書と古典哲学の両方に根ざしとった。ルカ福音書には、教義上の土台に使われる一節があった。何も期待せずに貸せ、っちゅう教えや。アリストテレスは、カネは牛や畑と違うて、自然に自分で何かを増やしたりできん不毛なもんや、せやからそれに利息を取るんは不自然や、と論じとった。教会もそれに同意した。何世紀ものあいだ、利息つきでカネを貸すことは、窃盗や搾取と並ぶ大罪に分類されとったんや。

それやのに、1500年代には、ヨーロッパ経済全体が利息つきの融資で資金を回されとった。教会が説いとることと、経済が必要としとることのあいだの溝は、もう維持できんほどになっとったんや。ほんで、その溝を埋めることに誰よりも利害を持っとった男が、ヤーコプ・フッガーや。フッガーの事業モデル全体が、利息を取れることに依存しとった。鉱山の事業、国への融資、金持ちの顧客からの預金、全部が、貸したカネが元の貸した額より多うなって戻ってくることを必要としとったんや。もし教会の高利貸し禁止が、ちゃんと歯のある形で執行されたら、フッガー帝国は一晩で崩れるやろ。

ほんで、フッガーは、法が自分の利益を脅かすときに、どんな合理的な実業家でもやることをやった。法を変えるようロビー活動をしたんや。1514年、のちにルターの最も激しい敵の一人になる神学者ヨハンネス・エックが、フッガー銀行に雇われて、アウクスブルクのカルメル会修道院での公開の神学討論で、利息を擁護する論陣を張ることになった。討論は5時間続いた。エックと反対者らは、聖書、哲学、カネそのものの本質をめぐって、やりとりを繰り返したんや。聴衆はやじを飛ばして、審査員は協議して、最後に引き分けと宣言した。利息を取る慣行を、真っ向から断罪するんは拒んだんや。慎重に仕組まれた「決定せえへんこと」やった。フッガーがほぼ間違いなく段取りした結果や。引き分けは、実質的に勝利やったからな。もし審査員らが利息つきの融資を異端と呼ばんのなら、その慣行は灰色の領域に残る。それこそ、フッガーが望んだ状態やったんや。

せやけど、フッガーは灰色の領域では満足せんかった。完全な正当性が欲しかったんや。せやから教皇レオ10世に直接書簡を送って、バチカンの方針の決定的な変更を迫った。ほんで1515年、レオは、高利貸しの定義を事実上書き換える教皇勅書に署名したんや。新しい定義は、こう述べとる。高利貸しとは、本質的に不毛なもんから引き出される利得または利益に他ならない。労働も費用もリスクもなしに得られる利益である、と。

肝心なんは、最後の三つの言葉、「労働も、費用も、リスクもなしに」の追加やった。どんな銀行家かて、カネを貸すことには労働と費用とリスクがあると主張できるからな。その一文のおかげで、利息を取ることの古くからの禁止は、実質的に死んだんや。ほんで、近代資本主義が大きな一歩を踏み出した。ここで何が起きたんか、考えてみいや。

大聖堂を建てるために免罪符を売っとったその同じ教皇が、その免罪符キャンペーンに資金を出しとる銀行家に合わせて、利息についての教会の立場まで書き換えたんや。銀行家の息子のメディチ家の教皇が、銀行家の利益に合うように教会の教義を作り変えとったんやで。フッガーの主張を弁じた神学者のヨハンネス・エックは、そのあと十年かけて、マルティン・ルターを潰そうと必死になるんや。皮肉が濃すぎて、ほどききれんくらいやな。フッガー銀行のために利息の合法化を手伝った男が、宗教改革に対する教会の主任検事になったんや。その宗教改革っちゅうのは、根っこのところで、フッガーとその同盟者らが作り上げた信仰の金融化への反動やったのにな。

ほんで、ここからさらにややこしゅうなる。ルターの宗教改革は、免罪符の神学に異議を唱えただけやなかった。

チャプター 10: 権力の衝突

教会とその銀行パートナーらが築いた経済構造全体に、異議を唱えたんや。救いは買えへんとルターが論じたとき、彼はカネそのものの限界についての主張をしとったんや。恵みは神から無償で与えられると彼が言い張ったとき、教会にはそれをカネに換える権利なんかないと、暗に言うとったんや。ほんで、免罪符を与える教皇の権威を彼が否定したとき、バチカンの最も大事な収入源の一つを断ち切ろうとしとった。その収入源は、フッガー銀行の金庫に直接流れ込んどったんや。

これには政治的な面でも巨大な意味があった。教皇レオ10世がついにルターを断罪して、撤回を要求しようと動いたとき、政治の計算は財政の計算と切り離せんかった。レオは最初、ルターの挑戦を修道士同士の口喧嘩やと片づけとった。けど動くんが遅かったのには、神学とは何の関係もなく、政治とカネに全部関係する理由があったんや。レオは、空位になっとった神聖ローマ皇帝の座に、ザクセン選帝侯のフリードリヒ賢公を推しとった。ほんで、フリードリヒはルターの保護者やった。もしレオがルターに強う出すぎたら、フリードリヒを遠ざけて、皇帝選挙の主導権を失う危険があったんや。カネと権力はあまりに深う絡み合うとって、教皇ですら、自分の霊的な権威を政治の計算から切り離せんかったんやな。

一方、アウクスブルクでは、完成したばかりのフッガー邸、アルプス以北で最初のルネサンス様式の建物の一つやったその屋敷で、1518年10月に重大な会談が持たれたんや。教皇レオが送ったカエタヌス枢機卿が、ルターをアウクスブルクに呼びつけて、撤回を迫った。ほんで、その会談はフッガー邸の中で行われたんや。その象徴性を考えてみいや。教会が改革と、面と向かって対峙した瞬間や。ルターが、自分の書いたもん全部を取り消せと命じられた瞬間や。それが起きたんは、大聖堂でもない、修道院でもない、教皇の宮殿でもない。銀行家の家やったんや。

ルターは撤回を拒否して、宗教改革は加速した。さて、これは宗教改革がカネだけの話やったと言いたいわけやない。ルターの神学的な洞察は本物やった。聖書の読み方は変革的やった。恵み、信仰、ほんで教皇の伝統より聖書の権威っちゅう彼の議論は、より本物のキリスト教の表現に飢えとった何百万もの人々の心に響いたんや。

チャプター 11: 暴かれた仕組み

けど、宗教改革を可能にした条件、一人の修道士の抗議を大陸全体の革命に変えた特定の歴史的状況、その条件は、根本的に経済的なもんやった。フッガー銀行がなかったら、ブランデンブルクのアルブレヒトは融資を受けへん。融資がなかったら、免罪符キャンペーンは許可されへん。免罪符キャンペーンがなかったら、テッツェルはルターの裏庭に入って来ぃひん。テッツェルがおらんかったら、ルターの95か条は書かれへん。ほんで、救いを商品に変えて、悔悛を分割払いに変えてしもた、徹底的に金融化された教会っちゅう広い背景がなかったら、ルターの議論には聴衆がおらんかったやろ。

宗教改革は、根っこのとこでは正統性の危機やった。ほんで、その正統性の危機の引き金は、金融の利益に乗っ取られた教会の、目に見える、否定しようのない腐敗やったんや。信徒らが反乱を起こしたんは、ルターの難解な神学論文を読んだからやない。教会が銀行みたいに機能しとるんを、自分の目で見たからや。フッガーの代理人が免罪符の説教師の隣に立って、取り分を抜いとるのが見えたんや。大司教の座の値段が銀行家に決められて、自分らの救いで支払われとるのが見えたんや。宗教改革は、聖なるもののカネ儲け化への反乱やった。ほんで、カネ儲け化をやった機関は、教会だけやなかった。教会が自分の霊的な権威と絡み合うんを許した、銀行の仕組みやったんや。

ほんで、主要人物らはどうなったんか。教皇レオ10世は1521年に死んで、バチカンを、来たときよりさらに悪い財政状態のまま残したそうや。ブランデンブルクのアルブレヒトは宗教改革を生き延びたけど、権力のほとんどを失うた。1545年に、見捨てられて、かなり貧しいまま亡くなった。自分の借金が生む手助けをした革命と戦おうと、何十年も費やした末にな。ヨハン・テッツェルは、教会自身から叱責を受けて、不誠実と強欲の罪で咎められて、1519年に打ちひしがれて死んだ。ほんで、ヤーコプ・フッガーは、1525年に66歳で亡くなった。200万グルデン超と見積もられる財産を残した。現代の価値で約4,000億ドルや。アウクスブルクに、500年以上たった今も運営されとる社会住宅団地、フッガライを残したんや。そこの住民は、年間の家賃が1ユーロ未満なんやで。ほんで、自分の金融上の発明によって、永久に変えられてしもた世界を残した。

けど、フッガーが残したもう一つのもの、おそらく自分ではよう分かってへんかったやろうけど、それは、人間の歴史で繰り返されるパターンの雛形やった。金融の力が、それを規制するはずの機関を乗っ取るまで大きゅうなるパターンや。

チャプター 12: 宗教改革の教訓

聖なる権威と商売上の利益の境目が溶けてしもて、世間がもう違いを見分けられんようになるパターンや。ほんで、その結果の信頼の危機が、仕組みを内側から改革するんやのうて、それを完全に粉々にして、そこに新しい、予測できんもんを作り出すパターンや。プロテスタントの宗教改革は、たいてい神学の話として教えられる。「信仰のみ」「聖書のみ」の話や。そういう考えは、めちゃくちゃ大事やった。せやけど、導火線に火をつけたマッチは、金融やったんや。銀行の融資やった。救いを売ることでしか返せへん借金やった。利息のルールを書き換えて、自分の銀行家を喜ばせた、銀行家の家の出の教皇やったんや。宗教改革は、教会の扉の前の修道士から始まったんやない。会計の家の中の帳簿から始まったんや。

ほんで、ここには、16世紀をはるかに超える、もっと大きな教訓がある。宗教改革を生んだ力学、金融の力と制度の権威の融合、カネが影響力の第一の物差しになったときに続いて起こる腐敗、その力学は、1517年に終わったわけやないからや。植民地帝国が、オランダ東インド会社みたいな株式会社を通して拡大の資金を出して、戦争を民営化して、征服した人々を貸借対照表の項目として扱うたやり方にも、それが見えるやろ。ロックフェラーやモルガンみたいな金ぴか時代の大物が、政府に匹敵する力を積み上げて、政治家を買うて市場を操って、世間が独占禁止法を求めるまで続けたやり方にも、それが見える。2008年の金融危機にも見えるやろ。大きすぎて潰せんようになった銀行が公的資金で救われる一方で、普通の人々は家を失うたんやからな。

金融の力が制度の権威を乗っ取るたんびに、同じパターンが繰り返されるんや。仕組みは、上におる者にとっては見事に回る。下におる者が、ルールが誰かほかの人間のために書かれとることに気づくまでな。ヤーコプ・フッガーは、自分を敬虔なカトリックやと思うとった。教会に気前よく寄付して、慈善の住宅に出資して、自分の銀行業は信仰とまったく両立すると考えとったんや。教皇レオ10世は、自分を文明のパトロンやと思うとった。ルネサンスの最高の芸術家と建築家に資金を出しとったからな。ブランデンブルクのアルブレヒトは、自分を教会の僕やと思うとった。野心のある男が昔から大勢そうしてきたみたいに、その位階を昇っとっただけや。

誰も、キリスト教を真っ二つにするつもりはなかったんや。けど、彼らをつないどった金融の論理、債務と利息とレバレッジと返済の論理は、彼らの意図なんか気にせえへんかった。それには独自の勢いがあって、独自の要求があって、独自の結果があった。ほんで、その結果が、神の恵みに値札がついとるっちゅうことを受け入れようとせえへん頑固な修道士の形でやって来たとき、銀行家にも司教にも、その後に起きたことを止められんかったんや。

プロテスタントの宗教改革は、ヨーロッパの地図を描き直した。百年以上続く戦争を引き起こした。家族を引き裂いて、共同体を壊して、教会と国家の境界線を引き直したんや。ゆくゆくは大西洋を渡って、アメリカ合衆国の建国を形作る、新しい形のキリスト教を生んだ。それ全部が、一つの金融取引にたどり着くんや。アウクスブルクの銀行の屋敷で組まれた融資や。信者に免罪符を売るという約束で担保されて、銀行家の家に生まれた教皇に承認された融資や。宗教改革は、銀行で始まったんや。

ほんで、それが分かったら、世界がほんまはどう動いとるかについて、大事なことが分かる。権力とカネは、決して本当には切り離されてへん。ほんで、切り離されとるふりをしとるときが、たいてい、何かが変わる直前なんや。この話が、あんたの歴史と金融の見方を変えたんやったら、頼みがあるで。登録ボタンを押して、高評価をつけて、宗教改革はただの神学の話やと今でも思うとる誰かに、これを共有したってくれや。

0 件のコメント:

コメントを投稿