やっと手に入れた。嬉しいので、まだ読んでないけれど感動を書いておく。昭和でいうと29年、西暦でいえば1949年の調査旅行記録である。出版されたのが翌年。長らく絶版になっていたのが文庫に収録された。それが昭和でいうと52年、西暦でいえば1977年。その文庫版を手に入れた。最後の一文がすばらしい。
「明日からは汽車も電燈も飛行機もある普通の旅行になる。こんなあたりまえの旅はもう私にとっては、ちっとも旅行らしい気がしなくなってしまった。」
岩村忍さんは1905年生まれ。トロント大学の大学院を出てから、共同通信社。あるとき突然、西北研究所に出現したようなイメージがある。西北研究所は、満州を足がかりにモンゴルに進出しようとしていた日本帝国の出先機関のうち、高級な研究機関。
日本帝国の出先機関としては、官民連連携したかたちで、いろんなレベルがあった。中国でいちばん有名なのは東亜同文書院。その遺産は愛知大学が引き継いでいる。ハルピンではハルピン学院。ロシア語人材育成機関である。モンゴル方面でいちばん高級なのは西北研究所。我が恩師の長田夏樹さんもちょっとだけ関係していた。木村肥佐生さんがいた蒙古善隣協会は、いまでいえば青年海外協力隊みたいな感じの、現場レベル。その木村さんや、西川一三さんがいた興亜義塾は民間組織ながら、15歳くらいから満州に送り込んで辮髪を結わせ、現場で青少年を育成したらしい。
スパイ育成といってしまえばそれまでだが、ジェームズ・ボンドみたいに現場でひとりで(あるいは美女とふたりで)なんもかんもやってしまうというのではなく、高級なのは学術研究から、最前線では半グレまとめて根性入れるみたいな民間塾も含めて、総体として組織で動いている。
西北研究所の人脈は、のちに京都大学人文科学研究所にそっくりそのまんまというイメージで移植される。岩村さんもそこの教授になる。
ちょっとしか読んでいないけれど、いまとまるで一緒やん、ぜんぜん変わってないやん、というイメージである。アフガニスタン。すごいぞ。