「えっ!読んだことないの?」と内儀。「深夜特急」といえば沢木耕太郎というのはもちろん知っていたし、どっかでちょっとづつ読んだ記憶がある。「手元に置いて、ちょっとづつ読みたい」と内儀が言う。いいんじゃないか、と考えて、セットで買った。
読みはじめていきなり辛くなった。インド人のバジャイ運転手を信用するくだりである。そんなんあかんに決まってるやん。ドツボ決定。トランプ賭博でカス札ばっかりつかまされるやつ。愛すべきやつだけど、近くにいるとこっちまで巻き込まれる。
第1巻のおしまいで、山口文憲さんと沢木耕太郎が対談している。それでわかった。おふたりとも1948年生まれ。我輩よりきっちり10年歳上の、団塊の世代である。
我輩に近すぎる。物故した小田嶋隆が言ったように、団塊の世代のあとは焼け野原で、何も残っていない。個性が濃く、主張が強く、声が大きい人たちが、音楽であれ小説であれビジネスであれ、あらゆるところに指紋をべたべたつけている。世界のどこに行っても、必ず団塊の世代がいて、語りに語る。彼ら彼女らの語りを聞くのは、我輩の世代である。
1983年に仕事でバグダッドに行った。当時イラクはイランと戦争をしていて、灯火管制された真っ暗なバグダッド空港に降り立った。真夜中である。成田からイラキ航空の中古ジャンボジェットに乗り、バンコク、ムンバイ、クエート経由で10何時間もかけてやってきた地の果て。そこで7ヶ月過ごした。
そこにも濃い先輩がいた。ある海運会社の人で、酒を飲んだとき彼が語った。エジプトのどこかの場末の売春宿の話である。「モスレムの女は首から下をぜんぶ脱毛するんだ。」「超デブのでっかい女が、暗い場所で、幼女みたいな股をひらいてカモン!ミスターって誘うんだ。」「それでどうなさったんすか?」「もちろん逃げて帰った。」
もちろん逃げて帰るような先輩ではない、と思いつつ、世界に秘境はないと思った。世界の果ての秘境に行っても、団塊の世代が道端で焼きそばを食べていたり、パブで尾根胃酸と踊っていたりするんだ。開拓すべき世界、発見すべき未知のものごと。団塊の世代のあとにそんなもんは残されていない。
開高健みたいに30年くらい離れていたら、ぜんぜん違う世界のこととして読める。20年くらい離れててもいいんだが、そのへんに生まれた人たちはめっちゃ内向してるようで、あんまり知らない。団塊の世代は我輩にとって近すぎる。読んでいて辛くなる。
内儀と沢木耕太郎は18年くらい離れているから、平気で読めるんだな。
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