2023年10月1日日曜日

開高健と開高健ノンフィクション賞を受賞した中村安希のこと

開高健の作品は双極性障害みたいなところがある。ベトナム戦争シリーズのように緻密な文体があるかと思えば、エロジョークや食べ物や酒をテーマにした気楽なエッセイがある。一連の文体の中でも、ゴーゴリの翻訳文体みたいな長文もあれば、ただ「眠い。」という短文もある。エロジョークをテーマにした気楽なエッセイは、ポリコレ的に許されないような表現が多いので、読んでいて辛くなる。だからあんまり読まなくなった。

緻密な長文のほうは、開高健が若いころ傾倒していたというゴーゴリの日本語訳を読んで、悟った気になった。長時間のフライトを伴う旅をしていた頃、開高健のベトナムシリーズのどれかをカバンに入れていった。ゴーゴリを知ってから、長旅にはゴーゴリの「ディカーニカ近郊夜話」の日本語訳を持っていくことにした。長旅=開高健ではなくなったけれど、長時間のフライトに乗ることもなくなった。

ベトナム戦記シリーズは、関連エッセイも含めて名作だと思うが、時代の限界が見えることも多い。開高健がベトナムに行ったのは、ベトコン側ではなくアメリカ軍の従軍記者としてだった。否応なしに、アメリカ人から見たベトナムという限界がつきまとう。

アフガニスタンのアメリカ軍は、中村哲さんいわく、ふだんは基地に引きこもっていて、ときどき飛行機で出かけて行って爆撃する。ときどき出かけて爆撃するだけなので、大勢を変えることはできない。しかしアメリカ軍ができるのは、それくらいしかない。

オバマ政権になってからアメリカ兵が殺されるのを極端に嫌がったので、ドローンを飛ばし、テロリストとして登録された携帯電話の電波を受信したら、そこに向けて超音速ミサイルを発射してピンポイントで殺した。多数の一般人を殺害したけれど、「コラテラルダメージ」=巻き添えという言葉で黙殺した。大勢を覆すことができなかっただけでなく、アフガン人の反感を煽り、タリバン賛同者を増やした。

開高健の作品を眺めている限り、ベトナム戦争もそんな感じだ。ベトコンを炙り出すためにモンサント製枯葉剤で森林を破壊したり、ベトコンが隠れていそうな村をナパーム弾で住民ごと焼き殺した。基本的には、たまに出かけて蛮行する、というパターンだ。

思い出されるのは、アメリカ政府の派遣で蒋介石のアドバイザーをやっていたオーウェン・ラティモアのコメント。ラティモアは共産党の勝利を確信していた。なぜかというと、蒋介石の国民党軍の幹部は全員が地主階級のボンボンであり、彼らにとって農民とか兵隊というのは牛や馬と同じレベルであって、牛馬と農民・兵隊は、中国語を理解するかどうかの違いだけだった。共産党は、人間をふつうの人間として扱った。それだけで、他にたいしたことをしなくても、農民を組織化することができた。

開高健の記述では、南ベトナム軍、つまりアメリカ側で戦っているベトナム兵は、バケツにぶちこんだおよそ人間らしくない食べ物を、「ピャウピャウバウバウ」と話しながら食べている。

「ピャウピャウバウバウ。」
ここに開高健の限界が現れている。同じアジア人でありながら、ベトナム語を学ぼうとも理解しようともせず、英語でアメリカ軍人とコミュニケーションをとるだけで文章を書いた。

それ以外のところ、深淵を覗き込んだような表現が魅力的なのだが、「ピャウピャウバウバウ」で興醒めしてしまう。

そして、開高健が残した開高健ノンフィクション賞。中村安希さんの「インパラの朝」は、ぜんぜん面白くなかった。サントリーの広告に釣られて、買って飲んだ酒が意外とふつうだったので、マーケティングに乗せられた後味の悪さが残る。それと同じ感じだ。

開高健もサントリーのコピーライターだった。開高健は、その殻を破ろうとしてもがいたのだろう。青春時代にゴーゴリの文体に出会い、「わいもこれでいくぞ!」と決めて文章修行。家族をくわせるためにサントリーのコピーライター。中年以降、釣りをテーマにした写真紀行文でコマーシャル的に大成功。我輩は18歳の頃からそれに馴染んできた。

しかし、開高健の魅力は、コマーシャル的じゃないところにある。いまでもそう思う。

開高健という名前に、期待しすぎだろうか。

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