2026年7月18日土曜日

信仰の現場 ナンシー関

 ナンシー関が死んだのが2002年6月12日。ほぼ四半世紀がすぎた。先週の信毎新聞に書評がのっていて、あらためて検索してみたら、遺作がいい値段してるんだな。まだまだ人気があるんだ。表題の本を読んだら、やたら面白い。まずはじめに、矢沢永吉コンサートだ。山梨県民文化ホール。読み進めると、斎藤忠光っていうわけのわからないおじさんのコンサートも出てくる。スピ系の演奏家で、一定のコミュニティーを形成してるようだ。YouTubeにも出ている。いまふうに言えば推しというのか、スピ系でなくとも、一定の苦行を強いるような推しコミュニティーをナンシー関は「信仰の現場」と呼んでいる。

ちょうど国会で皇室典範の改訂っていうのが通ったらしい。議論を整理すると、外野の推し勢力と中の人たちの事情がぜんぜんすれ違っているのがよくわかる。

たとえば宝塚推しのファンは、タカラジェンヌに清く正しく美しくっていうのを求めていて、卒業して女優になってから脱ぐなんて許せない。タカラジェンヌたちにしてみれば、生身のふつうの人間なのに。同じような構図だと思う。万世一系っていうフィクションも同様で、外野の推し勢力は好きなことをいう。中の人の事情はべつにどうでもいいのだ。

「先祖代々」っていうのは、だいたい3代くらいさかのぼった程度であって、万世一系っていうのもおそらく3世代くらいのもんだと思う。明治天皇からかぞえたら5代くらいで、もうそれで万世一系といっていいんじゃないか。おぼえてる推し勢力が全員死ぬんだから。

あるいは、万世一系を、ネットフリックスのサブスクみたいなもんと考えたらいい。ネットフリックスでは、例えば韓ドラっていう括りに、ラブコメとか時代劇とかホラーとかアクションとかあって、それぞれのジャンルで、たとえば冬のソナタはドロップしたけど、愛の不時着はまだやってるとか、トッケビはいっとき消えたけどまた復活したとか、サンガップ屋台はずっとやってるとか、デリバリーマン幽霊タクシーはいつのまにか消えてたとか、いろいろ変化がある。万世一系も過去をほじくりだしたら、細かいところで出たり入ったりいろいろあったと思うけど、ネフリとおなじく、推しとしてぜったいやめられない。いっそ、サブスクみたいに自動更新にしたら、過去後ろ向き志向じゃなくて、これからどうするの?っていう未来志向に考え方を転換できるんじゃなかろうか。万世一系も3代から5代くらいで自動更新っていうことにしたらええんちゃうんか、と思いませんか?だから、こんな絵を考えて、ジェミニに描かせた。百田和尚さんはパフォーマンスとして退席したけど、万世一系のサブスクはやめられないと思う。


さて、ナンシー関。リリー・フランキーとの対談「小さなスナック」も読んだ。こっちはあんまりおもしろくなかった。この対談がおこなわれた当時、我が輩が日本にいなかったので、当時はやっていたポップカルチャーをぜんぜん知らかなったというのもある。読み手の世代がきわめて限定されるので、我が輩にはおもしろくなかったというだけだ。ただ、リリー・フランキーの変さ加減が半端でないことが窺い知れる。

それにしても、40歳で死んだっていうのが惜しまれる。

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