2025年8月19日火曜日

松岡正剛 千夜千冊 大アジア 角川ソフィア文庫

いつの間にか家にあった。

1999年から2006年にかけて青年海外協力隊関連の仕事をしていた。青年海外協力隊が「JFKが1961年に設立したピスコーに倣って」設立されたという話が組織の中でふつうに書かれ、語られていて、おおいに違和感があった。 

外務省のスパイとして木村肥佐生さんや西川一三さんがモンゴルからチベットに入り、インドに渡った頃に敗戦。二人が帰国して、特に木村さんは当時日本を占領していた連合軍GHQ(実質アメリカ軍) に長期間にわたって尋問された。おそらくその報告書に感銘を受けたアメリカ人官僚が政治家を動かして設立に漕ぎつけたのがピースコーだと思う。誰も検証していないし、青年海外協力隊としてもピースコーを利用するほうが政治的に有利と判断したに違いない。

なんでそんなことに我輩がこだわるかというと、1977年に神戸外大の中国学科に入って、大柴孝さんみたいに、東亜同文書院を出た人たちが教官でいたからだ。明治時代から日本は、海外に目を向けた青年たちを育成するというプロジェクトをもっていた。青年海外協力隊がピースコーなんかのコピーではあり得ない。だいいちピースコーは初期派遣国のほとんどで、アメリカが戦争かクーデターを起こしている。ぜんぜんピースではない。

東亜同文書院は民間が上海に設立した大学みたいな学校で、優秀な子弟は東大か東亜同文書院のどちらかに行くか考えたというくらいのレベルだったらしい。私立ながら、各都道府県から選抜された入学生は学費も生活費も渡航費も、全額が官費で支給されたというから、官民連携プロジェクトだった。

東亜同文書院はスパイ学校みたいに言われることもあるが、卒業生はどっちかといえば実業界で活躍した人が多い。最終年次に大旅行という催しがあって、学生たちが自主的に考えた旅行計画に基づいてグループで中国各地を数ヶ月にわたって旅行し、その報告書をもって卒業論文とする、という実践的な方針だった。その膨大な報告書は中国でも出版され、我が同学の八木英一氏は上海でそれを見つけて購入した。 

その東亜同文書院が設立されたのが1901年。明治でいえば34年。日本政府がアジア進出に本腰を入れ始めたのがこの年、と我輩は認識していた。しかし標記の「大アジア」をざっと読むと、東亜同文書院の設立は流れの始まりではなく、ひとつの里程標だったことがわかる。 

東亜同文書院は1945年の敗戦をもって閉鎖。膨大な書籍類は、ひそかに日本に持ち込まれ、愛知大学に納められた。だから東亜同文書院の同窓会である滬友会(こゆうかい)の本部は愛知大学にある。中国語学習者の必須図書とされた中日辞典を編纂したのが愛知大学なのは、そういう経緯がある。

その東亜同文書院ができた頃が、「あゝ野麦峠」で有名になった、飛騨地域の貧しい若い女性が野麦峠を越えて、諏訪の岡谷の製紙工場の女工さんになった最盛期。 日清戦争に勝ったものの、ロシア・ドイツ・フランスの三国干渉を受けて悔しかった時代。1905年に日露戦争にかろうじて勝って、アジアに自信を与えた。でも既に、孫文は日本でうろうろしていたし、魯迅も日本で学んでいた。中国からだけでなく、のちにアジア各地で活躍する人たちがうろうろしている、そういう人たちを世話する面白い人たち、例えば頭山満とか宮崎滔天がいる日本があった。

いまの関心ごとはおもにウクライナのごたごたで、イスラエルがガザで現在進行中の大虐殺もウクライナ代理戦争も、根はアシュケナージユダヤの金融メディア複合体がバックにいることだと考えている。頭のいいはずのユダヤ人が、ウクライナで壊そうとしたロシアをかえって結束・再生させ、強くするはずのドル基軸体制を崩壊させつつある。アホやん。イスラエルではユダヤ人シオニストがほぼナチであることを証明し、ウクライナのゼレンスキー(ユダヤ人)のバックにネオナチがいることが自然に理解できる流れを作った。これもアホやん。

「失敗の本質」はだいぶん前にざっと読んだ。なんで日本が大東亜戦争にボロ負けしたかということが書いてある。豊富な情報が詳細にわたって記述されているので疲れた。しばらくたって考えると、「あらゆる組織は1世代、だいたい30年で劣化する」ということかなと思う。日露戦争に勝ってから大東亜戦争でボロ負けするまでちょうど40年。盧溝橋事件が1937年なので、日露戦争が終わってから32年でドツボに突進し始めた、と考えられる。この「失敗の本質」を、今こそ世界の人たちが読むべきだと思う。英語版も出ているらしい。

アシュケナージのユダヤ金融メディア複合体と簡単に括ったけれど、ロシアを潰したかったウィングはウクライナとかロシアのオリガークたち。全員ユダヤ人。彼らはソ連の崩壊に乗じてオリガークになった、それが1990年代の半ば。つまりアシュケナージのユダヤ金融メディア複合体のオリガークウィングに限れば、だいたい30年くらいで劣化したことになる。

ユダヤ人がイギリス王室と金融を支配したのが1500年以降。500年もかけてカネと影響力と情報収集ネットワークを蓄積して、イスラエルを建国させるのが1948年。エジプトにボロ勝ちしたのが1968年。イラン革命が1979年で、その時以来イスラエルはもっぱらイランを敵視してきた。イラン革命から45年経って、イランにちょっかいを出して、イスラエルがボコられ、ついでにアメリカ製アイアンドームがじつはスカスカだったというのがバレたのが最近。狂犬イスラエルが世界の定説になった。エジプトにボロがちした時から57年。イラン敵視開始から46年。劣化まで、さすがに長く持ったな。

そんなことを考えています。