2024年4月28日日曜日

やし酒飲み エイモス・チュツオーラ 岩波文庫

ぶっとんだ話だ。アフリカはぶっとんでいる。

作者はチュツオーラと表記されているが、トゥトゥオーラというほうが近いんではないかと思う。そのほうがアフリカっぽい。

ぶっとんだ話を1970年に、日本語に訳した人もぶっとんでいる。巻末の解説を読むとそう感じる。さらに巻末に解説、というよりそれ自体が単独の作品のような文章を書いた多和田葉子さんも、相当ぶっとんでいる。日本語で整合しない内容もあるけれど、トゥトゥオーラを読んだ後では、多少の不整合なんかどおでもよくなる。

多和田葉子さんは、いまのいままで知らなかったが、ノーベル文学賞といえば名前が出てくる人だそうな。村上春樹みたいに。

インドネシアのスラウェシ島のトラジャは死者と生者が共存していることで有名だ。この話を読むと、トラジャはどうやらアフリカの比ではない。トラジャほどでないとはいえ、近代化して発展したインドネシアやマレーシアでも、魔術師や祈祷師、いわゆるドゥクンとかボモが棲息する余地がたっぷりある。「へーぇ、黒魔術とか白魔術とかまじめに信じてるんだ。」と思ったことが何度もある。カリマンタンやボルネオの森には先住民の祖先の精霊が住んでいる。

アフリカでは、余地とか、信じているとか、そういうレベルではない。死者は生者と同じくらいにうろうろしており、神も精霊も悪霊も、魔術師も祈祷師も、ふつうの職業のようにそこらへんにある。やし酒飲みもそのひとつだ。おもしろい。

下諏訪には、ときどきそういう人がいる。
「毒澤鉱泉に行ってきました。」
「よかったですね。神に選ばれたんですね。」
毒澤鉱泉というのは、神に選ばれないと、たどり着けないらしい。
毒澤鉱泉に入った帰り道、魂がふわふわしていた。毒澤鉱泉が異界だったのか、毎日ふつうに通勤している下諏訪が異界なのか、わからなくなる。

我輩はアフリカを知らない。チュニジアは行ったことがあるが、サブサハラはぜんぜん知らない。行く機会がなかったし、行きたいとも思わなかった。でもこの本を読むと、いっかい見てもいいかな、という気になる。ふわふわして帰ってこれるかどうか、自信がないけれど。


2024年4月15日月曜日

大阪不案内 森まゆみ ちくま文庫 その2

標題の本の感想の続き。

前半を読んでいた頃はあんまり気にならなかった。後半になると、この人の蘊蓄の量と濃厚さに圧倒される。最後の堺の章になると、歴史と文人と建物の蘊蓄が1行に5つぐらい出てきて、ああ疲れた。飛行機に乗ったら前の座席の背後のポケットに入ってる機内誌。そこに載ってるエッセイなら、ひとつのネタで書けて原稿料をもらえる。それで家族を養える。そんなネタが、1行に5つ出てきたら、ほんま疲れまっせ。文体もなんも印象に残らへん。

ピアノでいえばオスカー・ピーターソンか。

パワフルな女性にときどき出会う。魔女みたいな人。5000年くらい生きてて、森羅万象ことごとく知らないものはない。「頼むから黙っててくれ。」と言っても、「私は大丈夫。」と、朝まで寝かしてくれない人。いや、森まゆみさんがそういう人かどうか知らんけど、その魔女を思い出した。時差ぼけ知らずの魔女。

2024年4月14日日曜日

大阪不案内 森まゆみ ちくま文庫

富士見の古書店で購入。富士見書店が消滅して、跡地にダイソーが入った。カルチャー的焼け野原の富士見だ。富士見町立図書館を除いて。と思いこんでいたら、このところカフェとかレコード店(CDじゃなくてレコード)とかオープンしている。まるでプチ上田みたいになってる。(贔屓目というやつ。)

さてこの本。半分がた読んで、我輩はあらためて大阪のことをなんも知らんと思った。

そもそも我輩は、大阪のことをなんも知らん。生まれ育ったのは、梅田から電車で20分くらいの兵庫県西宮市今津だ。なんでそんな近所のことを知らんのや?

神戸のことはわかる。全部が全部知ってるなんて言えるわけはないが、だいたいのところはわかる。なんでかというと、座標軸の原点が元町か御影くらいしかないから。ひるがえって大阪は、座標軸の原点が多すぎる。梅田。西梅田。旭屋書店。阪神百貨店のデパ地下。難波。鶴橋。通天閣。浜寺公園。エミおばちゃんが住んでた港晴。いずもや。喜楽別館。泉の広場。みみう。一心寺。じゃりんこチエ。社会人駆け出しのころ通ってた本町。

学生時代に伊藤武司に「おれ城東区なんや。わかるやろ?」と言われて、ぜんぜんわからんかった。城東区で知ってるのは、ヨネおっさんのアパートだけ。ワイの大阪知識はピンポイントすぎて、あとはぜんぜんわからんのや。地下鉄の乗りかたくらいやったら知ってるで。

そんな大阪ストレンジャーの我輩に、この本は新鮮やった。東京人の目から見た大阪入門。もちろんこの本を読んで理解でけへんかったこともいっぱいある。けど少なくとも、大阪についてなんか語ったらあかんということはわかった。

2024年4月8日月曜日

落第社長のロシア貿易奮戦記 岩佐毅 展望社

著者の岩佐さんは大学の大先輩で、フェースブック友達でもあります。学科が違うし、年齢も15歳ちがうけれど。

我輩の出た大学は、1学年に320人くらい、つまり4学年で1500人足らずという小さい学校。だけれども、それぞれが学科のなかにひきこもっていて、他の学科のことはほとんど知らない。サークル活動でもなければ他の学科の人たちと知り会うことはない。中国研究会みたいなところに所属して語劇なんかで忙しくしていると、いよいよ引きこもりになる。上3年、下3年くらいの先輩後輩の関係の中で濃密に付きあうことになる。

ロシア学科の大先輩である岩佐さんとどんなふうにフェースブックで知り合ったのか、経緯を忘れてしまった。岩佐さんはパワフルなので、どっかで彼のネットワークに引っかかったのだろう。そんな彼に勧められて手に入れたのが標題の本。

我輩みたいな低燃費ライフスタイルで暮らしていると、岩佐さんのバイタリティーに圧倒されっぱなし。おそらく我輩の20倍くらい、いやそれ以上に濃厚に生きてはります。

組織に馴染めなかったり、自分がやりたいことと違うことをやっているなと思っていたり。そんな人たちがこの本を読んだら、きっと吹っ切れると思う。

いろんな形で。

2024年4月5日金曜日

中国生業図譜 相田洋 集広社

定価3500円。アマゾンではプレミアがついて5000円くらいになっていた。ヤフオクで2800円。ブックオフオンラインで見つけてもらい、1500円くらいで購入。届いたので開封したら新品。

穿った見方をすれば、売れそうにない出版社在庫をブッコフが引き取り、アマゾンに高値をつけて出し、しばらくしてからブッコフオンラインでディスカウントで出す。出版業界で革命が進行中のようだ。

さて、内容。裏表紙にいきなり、子供売りのオバはんの写真が載っている。これでまず頭をゆわされてしまう。脳袋壊了。このオバはんの職業は、子供に特化した人身売買である。

それのみならず、こんなん職業か?というのが出てくる。

著者は1941年張家口生まれの学者先生。退職してアカデミックな世界が対象にしなかった内容を本にしてくれている。相田先生曰く、その時代の中国では他人の職業に干渉しなかったと考えられる。他人の食い扶持だから。

相当変わった先生にちがいない。



2024年3月25日月曜日

信州の鉄道物語(上) 信濃毎日新聞社

1987年に刊行され、その後に絶版となった本が2014年に再刊された。上巻は「消え去った鉄道編」である。

茅野市北山芹ヶ沢の師匠のところで農業を学んでいたころ。師匠曰く、北山には鉄鉱山があって、鉄鉱石を運ぶ貨物船路が茅野駅まで敷かれていたと云々。大東亜戦争の頃の話であり、白人捕虜がこき使われたらしい。「この地域の気性が荒いのはそのせいもある。」と、師匠は語った。その跡地はいま、風光明媚な自動車道路になっている。

この本の存在を知ったとき、その線路の歴史を知りたいと思った。手に入れて読みはじめると、あちこちに鉄道が敷かれていたことを知った。千曲川流域では現役の上電、長電だけでなく、丸子電鉄もあったという。丸子は何度も通過したことがある。そういえば、鉄道の駅があっても不思議ではない街の佇まいだ。上田と諏訪を結ぶ大門街道にも鉄道敷設の計画があったらしい。計画倒れになったり、廃止された路線のあとには、どこにも素晴らしい道路ができている。

長野県飯田市と岐阜県中津川市を結ぶ中津川線が計画され、一部着工していたという。恵那山の下に神坂(みさか)トンネルを掘る、ということは、いまの中央道の恵那トンネルに並行したルートだ。もしこの中津川線が開通していたら、塩尻から名古屋に至る鉄路は、いまの中央西線に比べて格段に楽な地形を通ることになる。ということは、のちのリニア計画にも大きな影響を及ぼしたかもしれない。

鉄道が廃止されたり計画倒れになったのは、要すればモータリゼーションに負けたということ。資源や環境やらで時代の風向きが変われば、鉄道に有利な風が吹くかもしれない。何十年か経ったら、電車に乗りながら、「ここは昔、道路しか通ってなかったらしい。」なんて語る時代が来る可能性もある。

2024年3月16日土曜日

ナゴヤ全書 中日新聞連載「この国のみそ」 中日新聞社

にわか名古屋ファンになった我輩である。

大東亜戦争のときの名古屋空襲が特筆されていて、なんでそんなボコボコにされたかといつと、航空機をはじめ軍需産業が集中していたから。その歴史が記述され、それが戦後の復興とものづくりで再生し、トヨタがいかに大きな存在になったか、と一連の流れが解説される。

いまパレスチナで進行中の空爆もあって、空襲のあたりは読んでいて辛いものがあった。でも空襲に負けないで復活した名古屋の製造業はすごいと思う。

それと伊奈製陶は長野県の伊那とはなんも関係がなくて、常滑の伊奈家のファミリービジネスが発祥だと知った。常滑はこないだ訪問したばかりなのでこころやすい。「ワテ常滑知ってまんねん」って言えるし。

東亜同文書院と愛知大学の関係もきっちり書かれている。敗戦して東亜同文書院の蔵書や文書がなんで愛知大学だったのかというのが謎だった。しかしこの本で、東亜同文書院の前身だった日清貿易研究所をつくった荒井精が名古屋出身。尾張藩士の家に生まれて中国に渡った軍人と言うのを初めて知った。

ちなみに荒井精という名前をググっても何も出てこない。紙に印刷された本でしか知り得ない知識というのがあるんだ。ネットに載っているのがすべてというわけではなく、すべての知識がネットに載せられてい流わけではない・・・と言うのは意外と意外だ。

いままで、日本における名古屋は中国における上海みたいなもんじゃないか、冠婚に見栄を張る文化は上海よりだよね・・・としか考えてなかった名古屋。その名古屋がこんなに魅力的な土地柄だった。それを知らされただけでも、この本の存在は大きい。